デザイナーからヨガの道へ。宮古島移住で「比べること」を手放せた【ヨガインストラクター ERIKOさん】#1
宮古島で地域の人々に向けてヨガを発信するヨガインストラクター・ERIKOさん。数年前に東京から宮古島に移住してきたそうですが、自然豊かで開放的な環境に身をおいたことで、ヨガのスタイルを見つめ直せたと言います。
前編では、アパレルデザイナーからヨガの道へ転身した経緯、宮古島でERIKOさんが目指したヨガのあり方について教えていただきます。
教えてくれたのは…
ヨガインストラクター・ERIKOさん
アパレル企業に勤め、デザイナーとして活躍し、結婚を機にフリーのヨガインストラクターに転身。都内で数年活動した後、宮古島に移住。自宅兼プライベートスタジオ「ERIKO YOGA STUDIO」を構え、少人数制レッスンを行う。
アパレルデザイナーとしてストレス過多の日々。ヨガの道に進むも「ウケ」を気にしてしまっていた
――以前はアパレル業界にいらっしゃったと伺いました。
販売職・営業を経て、デザイナーとして働いていました。デザイナーになることが小さい頃からの夢だったんです。しかし、実際はやりがいなんて感じられなくて…。センスの良い人は周りにたくさんいたし、私の場合は自分がつくりたいものをつくるというより、流行っているものや売れるものを淡々とつくる、みたいな感じでした。自分にそこまで才能があるとも思っていなかったので、自信を持ってアイディアを出すこともできなかったんですよね。
仕事内容はハードだし、ストレスもそれなりにあり…。一ヶ月に一回は熱を出していましたね。当時は原因不明だったんですけど、今思えばストレスだったのかなと。
――そんな中、どういうきっかけでヨガと出会ったのですか?
ヨガをはじめたのは20代のとき。オフィスワークによる足のむくみと運動不足を解消したかったんです。私、もともとはめちゃくちゃ体育会系なんですよ。中学時代はソフトボールの強豪チームにいたくらい。でも、デザイナーになってからはとにかく仕事が忙しく、運動どころじゃなくて。
運動したいとは思ったけれど、ジムでのトレーニングは嫌で、当時流行っていたヨガを取りあえずやってみたという感じです(笑)。
――ヨガを仕事にしようと思ったきっかけというのは?
ヨガをはじめてから、「ヨガの先生という道もあるのか」とぼんやり考えていたんですね。でも、私はインストラクターになって生活していけるのか?という葛藤もあり、なかなか踏ん切りがつかなかったんです。
そんなときに結婚の話が出て、会社を退職することに。主人に「実はヨガの仕事をやってみたいんだよね」と相談したところ、「え、やってみれば良いじゃん!サポートしますよ」と軽い感じで背中を押されて(笑)。
それからインストラクターの資格を取り、フリーランスとして活動をはじめたんです。
――実績ゼロからのスタートだったと思いますが、大変だったことはありますか?
経験がないんだからお客様が来ないのは当たり前だと割り切っていました。なので、そこで悩むことはあまりなかったのですが、自分でレッスン内容を組み立てたりすることは大変だったかな。どうしても「ウケるかどうか」という基準で考えてしまって。
――デザイナー時代の癖でしょうか?
そうなんです。他と比べたりとかね。
東京にはインストラクターがたくさんいるじゃないですか。Instagramを見ればキラキラな情報ばかりだし。たぶん環境がそうさせたのかな。「誰かと比べられるものではない」というヨガの教えがあるんですけど、それを思い出したのは宮古島に移住してからです。
移住した宮古島で、地域の人にヨガの本質を伝えたかった
――なぜ宮古島へ移住を?
主人が大きな病気をしたことで、主人自身も「自分の好きなことをしたい」という気持ちが強まり、都会から離れることにしたんです。どこかあったかい地域が良いなと思って国内外を旅したところ、最終的に宮古島にたどり着いたんです。
はじめて宮古島を訪れたとき、海の美しさに感動し、自然の豊かさに魅了されました。もともと本島も選択肢にありましたが、やはり宮古島の綺麗な海を見てしまったらもう本島には行けませんでした。
その3ヶ月後に再び宮古島を訪れ、トントン拍子で物事が決まり、「招かれているんだな」と実感。その8ヶ月後くらいには引っ越していました。
――先ほども少しお話しがありましたが、宮古島に来たことでヨガスタイルに変化があったようですね。
私が移住した当時、宮古島にはヨガインストラクターがまだ数名しかおらず、ヨガ自体もあまり普及していなかったんです。
それもあり、仕事のためというより自分のためにヨガをする時間が増えました。もちろん東京にいた頃も好きな先生のスタジオレッスンに通い、自分一人でヨガをする時間を取っていましたが、宮古島に来てからはビーチや公園など豊かな自然に囲まれて、毎日2時間くらい練習するようになったんです。それこそが本当の意味での自分の時間だなって。自分自身をケアするヨガができるように、宮古島の環境がそうさせてくれたんです。そのときにヨガの哲学や理論が腑に落ちて、執着していたものがスッと抜けてったんですよね。
――スタジオを開くまでに数年のスパンがあったようですが、移住当初からスタジオを構える予定だったのでしょうか?
もちろん、スタジオを構えるつもりでした。でも、その頃の宮古島はバブル真っ只中で、住宅メーカーが追いつかず、家を建てる順番がなかなか回ってこなかったんです。私のときは3年待ちでしたね。
――スタジオを構え、どんなクラス内容を考えていたのですか?
最初に調査をしたところ、個体差に合わせたヨガの深め方を伝えたり、マインドにフォーカスした内容のクラスが少ないのではないかと気づきました。どちらかというと体操の延長のレッスンに近い形がここにはあるのではないか?と感じたんです。
宮古島はこんなに気候が良くて開放的な環境であっても、ストレスを抱えている人は都内と同じようにいるはずなんです。だけど、ジムも当時は一個しかなく、ストレスケアの手段が圧倒的に少なかったんです。みんなどうやってストレスを解消しているのか不思議でした。そこで、体をしっかり整え、心のあり方も変えていけるようなクラスを広めていきたいと思いました。
宮古島は観光業がメインなので、観光客の方に向けたレッスンだけをしていくことも可能です。でも私は、ヨガの本質を地域の方々にも伝えていきたいと考えています。マインドにアプローチしていくことで、スポーツとは違う爽快感が得られるということを伝えていけたらと思っています。
縁もゆかりもなく訪れたという宮古島。けれど、今では地域の人々への愛に溢れていました。そんなERIKOさんはまさに地域に根ざすヨガインストラクター。宮古島におけるヨガの役割と、ERIKOさんが行う「健康のためのヨガ」について、後編で詳しくお聞きします。
取材・文/佐藤咲稀(レ・キャトル)