挫折をバネに仕事の幅を広げ、キャリアを積んだ30代でママに【美容師 阿形聡美さん】#1
10代の頃から、「手に職をつけたい!」と自立心が強かった阿形聡美さん。その思いを叶え、現在は人気サロン「NORA Journey」でスタイリストとして活躍中。まもなく2歳になる女の子のママでもあり、公私ともに忙しい日々を送っています。
前編では、美容師としてのターニングポイントとなった挫折体験や、NORA Journeyでの経歴を中心にお話をしていただきました。
お話を伺ったのは…
NORA Journey(ノラ ジャーニー)
スタイリスト 阿形聡美さん
2007年関西美容専門学校卒業後、都内1店舗を経て2008年に「NORA」入社。2013年に新店舗「NORA Journey」の立ち上げから参加。副店長を経験後、プロモーションディレクターに就任。女性ならではの視点で、甘すぎないカワイイ、本能をくすぐるような「エロ髪」を提唱し、同世代のお客樣を中心に共感を得る。一児のママとなり、「くせ毛ママ美容師」としての発信も注目を集めている。
手に職をつけたくて、美容師の道へ
――阿形さんが美容師になろうと思ったきっかけは何ですか。
小学生の頃、『ご近所物語』(矢沢あいによる漫画作品)に影響されて、専門学校へ行きたいと思っていたんです。そのときは服飾関係を思い描いていましたが、私が自分でヘアアレンジをしているのを見た友人が、「美容師に向いているんじゃない」と言ってくれて。中学生の頃には美容師になりたいと思うようになりました。
――中学・高校時代、その思いはずっと変わらず?
高校生のときに母の影響でお菓子づくりにハマり、パティシエもいいなと思ったこともあります。何にしろ、専門学校へ行って手に職をつけるということだけは変わらず考えていました。子どものころから自立心が強くて、自分の力で稼げる女になりたいと思っていましたね。
――美容学校卒業後に上京されたんですよね。
はい。私が美容学生のとき、ヘアスタイルに特化した雑誌やヘアカタログがとても流行っていて、雑誌に載っているようなサロンに就職してメディアの仕事をしたいと思っていました。片っ端からそういうサロンを受けたのですが、ことごとく落ちて…(笑)。ひとまず青山のサロンで1年半ほど働いてから、NORAに入社しました。
――NORAを選んだ理由は何だったのでしょうか。
NORAは私が美容師になった年にオープンしていて、美容学校の友人や大先輩から話を聞いたこともあって知っていたのですが、はじめはNORAを受けようとは思っていませんでした。当時は30代のスタイリストが中心で、客層も大人という感じで、私自身は若いお客様をやりたかったからです。
1年半、美容師として働いたうえで、本当に行きたいところはどこかなとあらためて見直してみたとき、私にはきちんとしたカリキュラムや技術チェック体制があるところが合っていると気づいたんです。それで、そういったことが整っている大手サロンから独立したNORAに、魅力を感じるようになりました。
――NORA Journeyに所属したのはいつですか。
2013年に、オープニングメンバーとして異動しました。楽しさも大変さもいろいろありましたが、サロン立ち上げのときのコンセプトにすごく共感したのを覚えています。
――どんなコンセプトだったのですか。
当時は「モテ」「愛され」の全盛期。女の人が誰かに選ばれるための髪型や、万人受けする髪型が主流でした。そんな中で、NORA Journeyは「他者からの評価ではなく、自分が心地よい髪型にしよう」「自分らしく」というコンセプトだったんです。そういう、人からどう見られるかを気にしすぎず、生き心地がいい髪型を選ぶというのがすごく理想的だなと思いました。
挫折体験が自分の技術や知識を見直す機会に
――美容師になってから、ターニングポイントとなったできごとはありますか。
スタイリストデビューしてしばらく経った頃に、外部のメイクアップアーティストさんの伝手で、アイドルのヘアを担当するチャンスをいただきました。これが、全然うまくいかなくて!
アシスタント時代から先輩の撮影につかせてもらってモデルさんのメイクをしていましたし、スタイリストになってからはヘアカタログのお仕事もいただいたりして、わりと順風満帆に生きてきちゃって(笑)。でも、雑誌とテレビの仕事は全然違うし、一般の女の子とアイドルの子の求めるものも全然違う。現場でアイドルの子は不機嫌になってしまうし、私には何がダメなのかわからないし…。結局、その仕事から外されてしまいました。
当時は辛くて泣きたくなるような挫折だったのですが、すごくいい経験にもなりました。自分の技術や知識の幅を見直す機会になったからです。
――そこから、どのように立ち直ったのですか。
ありがたいことに別のアイドルのお仕事をいただけて、そのときは、事前に練習をしたり、いろんな資料を集めてその子に似合うものを研究したり、しっかり準備をしました。私のキャラクターを気に入っていただけたこともあり、そのあともまたお仕事の話がきました。そこから盛り返せたと思います。
最初のチャンスのときも、もっと相手とコミュニケーションをとれるような下調べをすべきだったと、とても反省しました。
――そこでひと皮向けたのですね。
自分は調子に乗っていたんだなと感じましたし、仕事に対する考え方や姿勢が変わったかなと思います。
自分らしくキャリアアップする中で、結婚&出産
――早いうちからヘアカタログや雑誌で活躍されていましたが、集客や売上にもつながったのでしょうか。
それが、雑誌に載ってもそこまで大きく変わらなかったんですよね。当時はSNSでの集客もまだ活発ではなかったので、地道に飲み歩いて、飲み友を増やしました(笑)。私が美容師だと知ると自然と来てくれたので、一番集客につながった方法かも。あとは、ブログをやっていたので、そこから来てくださった方もいます。
――ブログにはどんなことを書いていたのですか。
最初の頃は、今日は何々をした、撮影をして楽しかったとか、つぶやく程度のことです。スタイリストデビュー後は、お客様のBefore&Afterや、お悩みに対するアドバイスなども書くようになりました。
――飲み友もブログも、自分のことを知ってもらうというのは集客につながる一歩なんですね。NORA Journeyでのキャリアをもう少し伺えますか。
サロン立ち上げ後、少し経ってから副店長に就任しましたが、副店長とは何をする役職なのか明確ではなく、わからないままズルズルと…。副店長手当をお返しすべきなのではと思うくらい、何もできませんでした。
普通なら次は店長に上がると思いますが、店長をやりたくないと言ってサロンの代表と一悶着。そこで、「私が店長にならない方がいい理由」をプレゼンしたんです(笑)。私がお店やスタッフの管理をするよりも、もっと得意分野で力を発揮させてもらった方がお店のプラスになると。代表には「なるほど、そうだね」と言われました。
そのあとは、お店のSNSを担当する役職をいただきました。発信は楽しくできるし、どんな内容が注目されるのか感覚ではわかるのですが、インスタグラムのインサイトを見るなどのデータ分析は大の苦手で。結局、プロモーションディレクターという、一見カッコいいけれど実は「好き勝手に発信するだけ」という立場になりました。
――そんな中、パートナーと出会って結婚なさったのはいつですか。
相手は5歳年下でIT系の仕事をしている人で、私が29歳のときに知り合いました。30歳頃から結婚前提でおつきあいを始めて、32歳のときに結婚。そして、妊娠したのは34歳のときです。
――妊娠がわかったとき、その後の働き方をどうしたいと思いましたか。
産んでから美容師に復帰するのは自分にとってあたりまえに思っていたので、まずはサロン側と話し合いをしました。このお店では私が産休取得第1号なんです。いろいろ提案をしてもらって、やってみてダメだったら相談をしていこうという、臨機応変な感じでした。
自分の力で自分らしく生きるという自身の姿勢と、まさにぴったりとも言えるコンセプトを持つNORA Journeyに出会えた阿形さん。前編のお話を聞いて、挫折から学び、次に生かすことの大切さをあらためて感じさせていただきました。
後編では、出産後の復帰準備や復帰後の生活の変化、NORA本店で行なっている「ママサロン」のこと、「くせ毛美容師」として発信するSNSの話などをご紹介します。
撮影/高嶋佳代
取材・文/井上菜々子