エステに携わって14年、エステを多くの方々に知って頂くために教育者になりました。
この世に手業を生業にしているサービス業はどれぐらいあるのでしょうか?手一つで人を喜ばせたり、疲れを取ったり、美しくしたり、癒やしたり・・・。これってすごいことですよね。
このコラムは、手業を生業にしている美容からヘルスケアの業界の方々にフォーカスをしたプロフェッショナルインタビューです。その人の手が語る物語をお楽しみいただければ幸いです。
モアリジョブ編集部
私の手にしか、できないシゴト。 藤原菜穂子さん
――エステティシャンになったきっかけは?
藤原 高校2年生の時に、職業の人気ランキングでエステティシャンを目にし、興味を持ちました。親戚に美容師をしている人が多く、小さい頃から何となく美容が近くにあり興味もありましたが、美容師とは違う道に進みたいなって思っていました。また、母親の影響も大きかったですね。母が子供優先で、自分に時間もお金も使う人ではなかったので、母をキレイにしてあげたいなって気持ちがありましたね。
――エステティシャンになった頃はいかがでしたか?
藤原 とにかく忙しかったですね。専門学校で学んできたことを発揮する場にたどり着くまでに時間がかかりました。専門学校を卒業したらすぐに入客出来ると思っていたのですが、最初は、お客様のお出迎え、ベッドメイキング、お掃除、そういう細かい業務をやることにギャップがありました。自分は何のためにこの仕事を始めたのかなと、一時期分からなくなることもありました。それからしばらくして、入客出来るようになり、お客様とのコミュニケーションの中で、やっぱりこの仕事を選らんで良かったなって思いました。
――最初に勤めたサロンは希望していたサロンだったんですか?
藤原 私が就職活動をしていた時は、就職がとても厳しい時代で、就職氷河期と言われていたんですね。なので、第1希望には入社できず、第2希望か第3希望のサロンに就職させて頂きました。その当時は、エステティックがブームだったので、入社した同期が300名と多かったですね。同期には、本当に助けられて、今でも良いお付き合いをさせてもらっていますし、この会社に就職して良かったと今では思っています。
――最初に入客したお客様のコースは覚えていますか?
藤原 覚えていますね(笑)。ボディの痩身のコースのお客様で、先輩のアシスタントをさせて頂きました。
――エステティシャンになられてからの失敗談を教えてください。
藤原 予約がかぶってしまって、お客様をお待たせてしてしまった事ですね。幸いにも大きなクレームに発展はしませんでしたが、やってはいけない事でお客様にご迷惑をおかけしてしまいました。また、声が低く、最初のころは電話対応させてもらえませんでしたね。私の声が感じが悪いということで、同期は既に電話対応をしていたのに、私はなかなかやらせてもらえませんでした。今の声から2トーン上げないとエステティシャンとしての対応には向いていないと言われ、その時はこの仕事が向いていないのかなって思った事もありました。
――エステティシャンになられてからの成功談は?
藤原 成功と言えるかですが・・・。技術を人一倍練習していたので、ありがたいことに、お客様から指名を頂くことが多かったなと思っています。その結果、入社して1年ちょっとでエリアマネージャから声をかけてもらって店長を任せて頂きました。最初は抵抗もあり、一緒に働く人たちが自分よりも年次が上の先輩方だったので、プレッシャーもあり、出来ませんと昇進を断っていましたが、勇気を振り絞って引き受けることにしました。それが良かったのか、色々な機会をいただき、様々な経験を積むことが出来ました。今では、勇気を出してやって店長を引き受けて良かったなと思っています。店長になったことで、エステティシャンとしてだけでなく、店舗の運営やスタッフの育成に関わる機会が増え、今に繋がっているんだなと思います。
――今まで辞めたいと思った事はありますか?
藤原 プレッシャーからか、辞めたいと思った事がありますね(笑)。毎月のお客様への対応だったり、サロンを今よりももっと良くするためには、と考えすぎてしまいプレッシャーがだんだんと大きくなっていってしまいました。
――誰かに弱音を吐き出したり相談はしましたか?
藤原 自分の中で消化するタイプなので、上司に相談したことはなかったですね。後輩や部下がいる立場なので、中途半端な気持ちで辞めたいって口に出すのは、何か違うかなって思っていたので、辞める相談などはないですね。
――エステティシャンを辞めたいと思っても続けられた理由は?
藤原 お客様の存在とスタッフのチームワークの良さですね。やっぱり、なんだかんだ言ってもスタッフが助けてくれましたから(笑)。私のサロンは、スタッフの仲が良くて、休みがあったら弾丸で旅行に行ったり、翌日休みでもないのに営業終了後、そのままロマンスカーに乗って箱根で1泊したりしていました。翌日、全員出社の日で始発でお店に向かうんですけど、楽しんでいましたね。また、お客様にも恵まれて、また来週来るよって行って頂ける関係性があったからこそ、それがブレーキとなり、辞めたいとは思っても続けられた理由でしょうか。
――藤原さんにとってのモチベーションとは?
藤原 お客様とスタッフが一番大きいですね。女性の職場なので、女性が最前線で働ける環境や、頑張れば頑張るほど評価をしてくれる雰囲気にモチベーションを感じていました。もちろん、それを支えてくれるスタッフやお客様に対して、より良い物を還元したいという気持ちが、モチベーションに繋がったかなって思います。
――エステティシャンから教育者になろうと思ったのは?
藤原 まず、転職をしたいと思ったんですね。エステティックは楽しかったけど、自分にとって一番のやりがいはって考えた時に、人を育てたいと思いました。店長時代に、スタッフの育成が本当に楽しかったんですよね。だから、教育者になろうと思いました。
――講師になってみていかがでしたか?
藤原 最初は難しいなと思いました。社会人への考え方なんてまだない生徒たちに対して「社会人とは」を押しつけすぎてしまいました。彼女たちにとっては、厳しい先生だったと思います。
――講師のお仕事はいかがですか?
藤原 生徒たちと話をするのも楽しいですし、生徒の成長を見るの事が喜びですね。彼女たちの専門学校時代って、とてもキラキラしている時期だと思うんですね。そういう貴重な時間に関わらせてもらえることに、喜びややりがいを感じています。毎年、卒業式の日は、彼女たちの晴れの姿を見て感動して、泣いてしまいますね(笑)。
――藤原さんにとっての恩師は?
藤原 当校の副校長の木村です。私の直属の上司であり素敵な先輩です。講師になって1年目の厳しさを履き違えた私に対して、気付かせるように指導してくださいました。この仕事が楽しく、やりがいを感じられているのも、木村副校長のお陰です。長い目で、暖かく見守ってくださったからこそ、成長出来たと思っています。
――仕事とプライベートのバランスは?
藤原 元々バランスを取るのが得意だったので、エステティシャン時代は、仕事とプライベートのバランスは取れていたと思います。”ON””OFF”を付けず、スタッフとは仕事もプライベートも良い付き合いができる関係性を保てていたので、過ごしやすかったですね。今の方が逆に、プライベートの時間を使っていることが多く、バランスは取れていないかもしれません。講師は、学生が帰ってからも仕事がありますし、私の場合は、通勤時やバスタイムの時間を使って、授業の組み立てを考えたりしていますね。なので、今の方がバランスは取れていないかなと思います(笑)。
――将来の自分はどうなっていると思いますか?
藤原 エステの仕事に携わって14年、このままエステティックの仕事に関わって行くんだろうな・・・と思っています。日本のエステティックは、まだまだ伸びると思うんです。まだ一般的ではなく、未だにごく一部の人の物だという考えを持っている人が多くいます。近い将来、エステティックがもっと普及して、お客様の身近な存在になっていけばと願っています。エステの発展を目指し、まず教育に力を入れ、その他にも色々な形で関わって行ければと思っています。
――最後に、業界やエステティシャンを目指している方に一言。
藤原 美容専門学校の講師の立場として、企業様へのお願いなんですけど・・・。専門学校卒の資格を持ったエステティシャンを大事に育てて頂ければと思っています。彼女たちを育てることできっと、お客様にご満足いただけるエステティシャンが増えていき、エステティック全体が価値のあるように変わっていくと確信しております。美容専門学校で2年間しか学んでいない未熟者ですが、温かい目で見守っていただけたらと思います。企業の皆さまに育てていただけるよう、我々講師陣は、育成をもっともっと頑張っていきたいと思っています。
School Data
学校法人三幸学園 東京ビューティーアート美容専門学校
住所:東京都文京区本郷3-37-8
TEL:03-5805-1251
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