タレント:島田洋七さん
1950年2月10日生。72年に漫才師としてデビュー。75年、洋八とのコンビでB&Bを結成。80年代の漫才ブームの先駆者となる。「もみじまんじゅう」のギャグが一世を風靡し、上方お笑い大賞銀賞を受賞するなど活躍した。現在は漫才師として活動しながら、講演や執筆活動に従事。著書「佐賀のがばいばあちゃん」は、映画化、舞台化されたほか、韓国版、台湾版、英語版など世界各国に広がりを見せている。
80年代に全国を席巻した漫才ブーム。ビートたけしのツービートらとともにその中心にいたのがB&Bの島田洋七さんです。今も様々なバラエティで活躍する、島田さんに、自身が体験した介護体験について伺いました。
1999年の春、脳梗塞で倒れた島田洋七さんの義母。翌早朝、東京から義母の住む佐賀県に向かった洋七さんの妻が医師から告げられたのは「もって2週間」という言葉でした。しかしその後、義母は奇跡的に回復。喜ぶご家族でしたが、それは同時に14年にも渡る介護生活の始まりとなりました。
そこで、島田さんは、佐賀県に家を建て、東京から引っ越すことを即決したそうです。
「誰もが初めて経験することやから、嫁さんも最初は落ち込むし、気も張ってたけど。途中から(いつまで介護が続くのか、その)期限がわからんやん。うちなんか2週間やで、最初に佐賀医大で言われたの。だから回復した後に、もうちょっと気楽に、と俺が言ったんや。そしたら、妻もそのほうがいいのかもな、と。介護という字を忘れて、母ちゃんに会いに行こうってな。介護っていうと重々しいじゃないですか。そうならないための第一弾が、嫁さんに黙って佐賀に家を建てることだったんですわ」
島田さん自身の出身が佐賀県のため、戻りやすかったこともありました。しかし何より芸人という仕事柄、全国津々浦々へ行くことも多く、東京で仕事がある時だけ上京すればいいと割り切ったのだそうです。
東京住まいにこだわらなくても、仕事を失うリスクが低かったのは大きかったようです。
「あんま、力を入れ過ぎん方がいい、と思ったんですよ。ホンマに仕事を辞めてやるのは、よう考えた方がいいよね。仕事辞めて介護をやるのは。ものすごく負担になるのもだし、失礼な話、長引くかなと思ったら1〜2年で終わったり。そうしたら、田舎は特に再就職が難しい。自分が田舎に戻って介護に入るだけでなく、兄弟がおったり親戚がおったら腹の底から話し合いして、国に頼るところは頼って。そういうふうにせんと、キツいんやね。実家と、自分の家…2つとも家庭が壊れるって」
そうして佐賀県に引っ越した島田さんでしたが、麻痺が残った義母の世話の問題は残りました。倒れるまで義母は島田さんの奥様の弟夫婦と同居されていましたが、漁師という仕事柄、つきっきりで介護することは難しかったのです。そこで、介護保険制度が始まった2000年4月、老人介護施設に義母を入居させることにしました。
「病院も、リハビリを兼ねて介護施設がいいんじゃないかと紹介してくれたんですわ。本当にツイてたというか。最初の施設は3年。それから違うところを見つけて移ってね。そこで最後まで面倒を見てもらいました」
当時はまだ老人介護施設が一般的ではなく、病院から退院したら家で面倒をみるのが一般的でした。
「もちろん本人が家の方がいいと言ったら連れて帰ってますよ。でも、あんましゃべられへんけど、ばあさんに「ここの方がええ?」と聞いたら、「うん」って。ベッドのそばにあるボタンを押したら誰か来てくれるし、介護士さんとかプロがいる施設の方が家より安心だったみたいですわ。それに素人がトイレの介助や椅子に座らすだけでも、大変やで。20kgの砂袋でも担いでみ。ギックリ腰になるで。ばあさんでも50kgくらいだから、その倍以上やからな。なかなかできんわ」
本人が快適に過ごせる施設に入れたことで、家族は義母に笑顔で話しかけられるようになったそうです。さらに年2回の外泊許可時には親族一同で温泉旅行へ出かけ、数多くの思い出も残せました。
「僕なんかはしょっちゅう施設に行けないからね。行った時に“よろしくお願いします”と言うだけ。その時に介護士や施設の人がごはんを食べているのを見たけど、みんな楽しそうに仕事してたな」
頻繁に施設へは行けない島田さん。帰れない時は毎日施設へ通う奥さんに1日1〜2回は電話をして、様子を聞くなどのケアをしました。義母のため、家族が自分でできることをして支え合った14年だったのです。
「カミさんの話を聞いてあげな。しらんぷりできん。でも、誰か働かないけないからね。僕は働くしかない。全員が仕事を失ったら、介護もつらい。お金もない、介護もせねばならないのはキツいやん。支え合わんとね。だから介護は大変だよな、と毎日カミさんに電話して、話を聞いてあげたんや」
そして、介護する人たちが追い詰められないためにも、老人介護施設の存在が重要だと島田さんは言います。
「施設の人、介護士さんには非常に感謝してますよ。本当に大変で、ええかっこや見栄ではできない仕事。いつもありがとね…14年間、本当にそう思ってましたね」
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