癌サバイバーの経験が介護・福祉に道を広げるきっかけに【介護リレーインタビューvol.59/訪問美容師 松橋なお子さん】#1
介護業界に携わる皆さまのインタビューを通して、業界の魅力、多様な働き方をご紹介する本連載。
お話を伺ったのは…
K+plus トップスタイリスト・訪問美容師
松橋なお子さん
理美容専門学校を卒業後、都心のヘアサロンに就職。2年間のアシスタントを経て転職し、店長も経験。店舗の統廃合を機に、K+plusに転職する。現在は訪問美容師として施設や個人宅を訪れるほか、発達障がいや精神障がいを持つ方々のヘアカット、医療ウィッグアドバイザーとしての業務もこなしている。
前編では、松橋さんが美容師になったきっかけや、2度の転職を経てK+plusを選んだ理由、癌と宣告されて入退院を繰り返したこと、ご自身が医療ウィッグのアドバイザーになったいきさつなどを伺います。
「手に職」をつけたくて美容師の道を選択

調理師、看護師などいろいろな選択肢の中から「美容師になる!」と決めたそう。
――松橋さんが美容師になったのはどんなきっかけが?
父から「これからは手に職を身につけた方がいい」と言われたのがきっかけです。最初は調理師がいいかなと思いましたが、調べてみると当時はまだ男性が多くて、そんな中でやっていく自信が持てませんでした。じゃあ看護師はどうかと思いましたが、解剖の授業があると聞いて「ダメだ」と諦めました(笑)。
――それで美容師の道に?
ヘアアレンジとかスタイリングとか髪に触ることが好きだったので、「私に向いているかも」と思えました。
――卒業後は、K+plusに就職を?
いいえ。最初は池袋に本社のあるサロンに就職しました。ここで2年ほどアシスタントをして、また別のサロンに転職しました。
――そろそろスタイリストという時期ですよね。なぜそのタイミングで?
最初に勤めたのがチェーン展開しているサロンで、私が在籍していたのが、ちょうど店舗を拡大する時期だったんです。人事異動が激しくて、先輩に技術の指導を受けていても途中でその先輩が他店舗に異動してしまう。教わる内容が変わってしまうこともありました。もっとこぢんまりした店舗で、みっちり教わりたいと思って転職しました。
――前向きな転職だったんですね。
ちょうどカット技術を教わるタイミングだったので、転職先のサロンでしっかり教わりました。
そのサロンでスタイリストデビューをしてから2年しないうちにチーフになり、店長も経験しました。海外研修にも行かせてもらったし、経営のことなどいろいろなことを教わったんですよ。
――K+plusへはどのタイミングで転職を?
前のサロンの店舗が赤羽にあったときですね。私がちょうど30歳になるときでした。
――転職の理由は?
前に勤めていたところもチェーン展開をしているサロンで、私は赤羽店で店長をしていました。ところが、赤羽店をクローズして他の店舗に異動するように辞令を受けたんです。タイミングが悪く、ちょうど成人式の着付けのご予約を受けていた時期で、他の店舗をご紹介するにもちょっと不便で遠かったんですね。
――本当にタイミングが悪い。
せっかくご予約をいただいているのに、どうしようか悩んだ末、「私が赤羽にあるサロンに転職すればいい!」と思いついたんです。それでK+plusに転職しました。
無事にみなさん成人式を終えることができました。
転職2年目で癌に。手ごろな医療ウィッグの必要性を痛感!

ウィッグを着けて友人の結婚式に出席。ご自身でカットして似合うスタイルに仕上げたそう。
――松橋さんは癌サバイバーと伺っています。癌にはいつ?
転職して2~3年してからですね。父も癌だったので「おまえも気をつけなさい」と言われていました。
――どんなタイミングで分かったんですか?
不正出血があって「もしかしたら?」というヘンなカンが働いて、癌の研究もしている婦人科で診てもらったんです。そうしたら「癌です」と。ものすごくあっさり告知されました(笑)。
――いきなり告知ですか!?
担当医は分かりやすく絵を描いて説明してくださって、今はこういう状態で他の臓器に転移しているかを調べますからって、もう治療のためのレールがしっかり敷かれていました(笑)。
――仕事を休まないといけませんよね?
そうなんです。社長も私も同年代で、身の回りに大病をした人がいなかったので、手術をしたらどんな状態になるのか想像できませんでした。「入院期間はこのくらいだから、じゃあここで手術して、この日に復帰しよう」って、自分の体を優先させるより、仕事を中心に考えていました(笑)。
――体は大丈夫だったんですか?
最初の手術が終わってから3か月後に新たな癌が見つかって、合計3回手術を受けているんです。2回目の手術の時は、病院に外出届を出して日中はここで働いて病室に寝に戻る生活をしていました(笑)。
――タフですね。
私はちっとも辛くなかったんですが、体は悲鳴を上げていたんですね。お店がいちばん忙しいときにお腹が痛くなったんです。鎮痛剤を飲んだら痛みが引いたので、そのまま働いて病院に戻ったら、卵巣が破裂していたんです。
――えっ!? そんな重症なのに鎮痛剤で痛みが消えたんですか?
消えたんですね(笑)。破裂してしまったせいで、手術後に抗がん剤治療をしなければなりませんでした。
――抗がん剤は副作用が強いですよね。
最初の投与から2週間くらいすると髪が抜けていきます。眉もまつ毛も抜けました。髪が抜けて「かわいそう」な感じになるのがイヤだったので、ツルッと坊主にしたんですよ。
――ウィッグが必要ですね。
病院には医療ウィッグのパンフレットがあって、私もそれを見ましたが値段が高い!ゼロが多いんです。私は美容師ですから「ファッションウィッグでいいや」と思っていくつか購入して自分に合うようにカットしていました。
――お友だちの結婚式の写真、言われなければウィッグだとは分からないですね。
ありがとうございます。ウィッグを着けたいけれど自然に見えないのはイヤだし、値段が高いのも困る。その点をどうにかしたいと思って、医療ウィッグアドバーザーになったんです。
――ご自身の経験を生かせますね。
ウィッグを作っているところに見学に行ったり、いろいろ勉強しました。抗がん剤治療を受けている人にウィッグを提供しているNPO法人があって、そこに週に1~2回、サロンがお休みの日に行ってお手伝いしていました。ダブルワークですね。
――体は大丈夫だったんですか?
お客さまが「このウィッグが私を待っていてくれたみたい!」って、喜んでくださる姿を見るのがすごく嬉しくて。辛いとか感じることはなかったですね。
――こちらのサロンでもウィッグを購入できるんですか?
購入していただいたら、ここで装着してもらって顔立ちや骨格に合わせてカットします。ただその方の体調によって、ここまで来られない方もいらっしゃるんですよ。そのときは私がウィッグを持ってお邪魔しています。私の訪問美容のきっかけは、医療ウィッグなんです。
癌をきっかけに医療ウィッグ、そして訪問美容と次々に道を切り開いていった松橋さん。後編では、訪問美容を本格的に始めるようになったいきさつ、壁に突き当たったときの克服法、これから訪問美容を志す人へのアドバイスをご紹介します。
撮影/森 浩司