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ヘルスケア 2024-07-10

「家族のため」の介護スキルが今は仕事に【介護リレーインタビューvol.48/サービス提供責任者 峯苫智子さん】#1

介護業界に携わる皆様のインタビューを通して、業界の魅力、多様な働き方をご紹介する本連載。

お話を伺ったのは…
フローラ二子玉川 サービス提供責任者の峯苫智子さん

平成30年よりフローラ二子玉川の登録ヘルパーとして勤務。令和2年に同事業所の社員となり、訪問介護をこなしながらサービス提供責任者として勤務している。

前編では、峯苫さんが登録ヘルパーとして働くようになったきっかけや、社員になる決意をするまでをお話しいただきます。

パートナーの失明を機に福祉の仕事に目覚める

――峯苫さんがこの業界に進んだきっかけは何ですか?

7~8年前に視覚障害者のための同行援護を始めたのがきっかけです。主人はもともと晴眼者でしたが、ふと時計を見たら視界が欠けているのに気づき、それで病院で検査をしてもらったら、網膜色素変性症と診断されました。

しばらくの間は見えていましたが、だんだん見えなくなり、最終的には全盲になりました。最初に診断されてから、見えなくなるまで2~3年でしょうか。出来なくなることも増えましたが、出来ることもあるので、見えている間は好きなことをやっていましたね。

――ご主人は強いですね。

強い人です。かなり視力が悪くなり、本人は「やばい、やばい」と言いながらパソコン教室に通ったり、歩行訓練を受けに行っていました。主人は見えなくなることを受け入れて、勉強しなくてはいけないって行動を起こしてくれたから、私も一緒に取り組むようになりました。

――それが同行援護なんですね。

目の見えない主人と一緒に歩くには、どんなことに気をつければいいのかを知りたくて、同行援護の研修を受けたんです。資格を取ってからは、主人だけではなく、ほかの視覚障害者の同行援護も担当していました。

――同行援護の資格以外に介護の資格を取ったのはなぜですか?

将来、母の介護が必要になったときに備えたくて、母と私のために働きながら初任者研修の資格を取得しました。この時はまだこの資格で仕事をしようとは思っていませんでした。

――介護福祉士の資格はどのタイミングで取りましたか?

1年ほど経ってからフローラ二子玉川の登録ヘルパーになり、社員になってから実務者研修の資格を取るために学校へ通いました。働きながら実務者研修を修了したので、介護福祉士になるための「介護事業所3年以上等」の受験資格はこの段階でクリア。資格試験を受ける3か月くらい前から過去問をひたすら解いて、勉強しましため。普段のケアから回答が想像できるのは、働きながら資格を取るメリットですね。

好きな時間に働けるのが訪問介護の魅力

――介護の仕事にはいろいろありますが、訪問を選んだのはなぜですか?

資格を取ったとき、訪問介護とデイサービス、グループホームを見学したんです。訪問介護は利用者さんのお宅で生活に入りこんでサポートをすることに魅力を感じ、働くなら訪問介護だなと、漠然と考えていました。

それに働く日にちや時間を自由に選べるのも魅力でしたね。デイサービスやグループホームで働いたことがないので、実際にどうなのかは分かりませんけれど。

――数ある訪問介護の事業所の中から『フローラ二子玉川』を選んだのはなぜですか?

家から近いからです(笑)。自転車でだいたい5分。歩いても通えます。

事務所の雰囲気も決め手になりました。面接で当時の上司たちが、私の不安に対して「サポートするから何でも言って」って。「分からないことはちゃんと教えるから」という雰囲気があって、ここなら安心して働けると思えました。

――それは心強いですね。

働きはじめたころ、身体を動かせない方のオムツ交換が当時の私には難しくて、どうしてもできなかったんです。事務所に「助けてください!」って電話をしたら、すぐに社員が駆けつけて手伝ってくれたことがありました。

――一人で何でもこなさないといけないのは、プレッシャーもありますね。

何でも出来るように、社内はもちろん社外の研修に積極的に参加して、理解を深めるようにしました。毎日のケアを続けるうちに「気づき・考え・行動」を意識するようになりました。

――それはどういうことですか?

気づけると自分がラクになるだけではなく、利用者さんもラクになると思っています。私は器用な方ではないので、気づけないこともあるんですよ。他のヘルパーさんから「ああだったよ」とか「こうだったよ」とか教えてもらうことも。そんなときは「教えてくれてありがとう!」って、心から思います。

気づけたことは、まず社内で話し合ってみんなの考えを聞いて、それから行動に移します。普段の社員同士の会話はけっこう大事なんですよ。私が知らないことでも「そういえば、あんなことを言っていたな」とか、普段から社内で情報を共有しておくことは大事だと思います。

登録ヘルパーから3年後に社員の道を選択

勤務状況はアプリで確認。登録しているヘルパーたちの日程を管理するのも社員の大切な業務。

――登録ヘルパーから社員になったのはなぜですか?

会社の先輩たちに勧められたのがきっかけです。
社員になると登録ヘルパーさんの責任を負わなければならないし、利用者さんの声も聞かなくてはならない。間に立ってうまく調整できるのか、すごく不安でした。先輩たちが「大丈夫だから」と言って、背中を押してくれたのが大きかったですね。

――先輩社員さんたちは頼りになる方が多いんですね。

事務の仕事もイチから教えてくれて、やる気にさせてくれました。登録ヘルパーからサービス提供責任者になって、着実にステップアップできました。

――自由度が高かったのに拘束時間が一気に長くなって、葛藤はありませんでしたか?

登録ヘルパーをしている間、ずっとサポートしてもらってきたので、今度は私がサポートする側になりたかったんです。

登録ヘルパーさんの働き方はいろいろ。お子さんがいたり、家庭の事情があったりして、休みたいときに休みたい。急に休まざるを得ないときもあります。逆にめいっぱい働きたい人もいます。それに対応するのって、すごいことだと思いませんか?

幸い私には子どもがいませんし、割と自由さがあります。ヘルパーさんたちのサポートをしたかったので、自分の時間が削られるという葛藤はありませんでした。

――ということは、峯苫さんも訪問介護の現場に出ているんですか?

私が受け持っている利用者さんもいますし、他のヘルパーさんのサポートにも入ります。社員になったからといって、私にも休まなければならないことも。そのときは手の空いているヘルパーさんにカバーしてもらっています。利用者さんは待ってくれないじゃないですか。みんなの手厚いサポートがあってこそです。

訪問は訪問なりにサポートし合わないと回っていきません。今は人手が足りないので、仕事を受けたくても受けられないジレンマがありますね。

パートナーが目の病を患ったことを機に福祉に目覚めた峯苫さん。前編では登録ヘルパーから社員になったいきさつなどをご紹介しました。

後編では、サービス提供責任者となって心がけていること、介護士を目指す人へのアドバイスを伺います。

撮影/森 浩司

information

フローラ二子玉川
住所:東京都世田谷区玉川3-40-26 グレイスコート107
電話:03-6326-4244

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