現場を見学して印象が激変! 救急救命士志望から介護職へ【介護リレーインタビューvol.64/介護事業部 マネージャー 宮地優輝さん】#1
介護業界に携わる皆さまのインタビューを通して、業界の魅力、多様な働き方をご紹介する本連載。
お話を伺ったのは…
ソーシエグループ 介護事業部
マネージャーの宮地優輝さん
救急救命士を育成する大学を卒業後、ソーシエグループが運営するシェフズデイサービス青葉の介護職員として入社。1年後に副管理者となり、翌年には管理者に就任。その後シェフズデイサービス青空へ管理者として異動し、2つの事業所のマネージャーを兼務する。翌年には兼務が外れ、マネージャーとして4つの事業所を担当している。
前編では宮地さんが救急救命士の道ではなく介護職を選んだいきさつや、順調にキャリアアップを重ねるなかで壁に突き当たった管理者時代のお話を伺います。
救急救命士から介護の道へ、大きく方向を転換!

宅配寿司チェーン店でアルバイトをした経験から、施設で握り寿司をふるまうこともあるとか。
――宮地さんはもともと介護のお仕事に興味があったんですか?
いいえ、まったく(笑)。逆に「辛そう」とか「たいへんそう」とか悪い印象を持っていました。
――そうだったんですか!?
救急救命士になりたくて、そのための大学に進みました。でも実際に救急救命士になるには消防署の職員にならなくてはいけません。ということは公務員試験と国家試験の2つにパスする必要がありました。
――よく考えてみれば、救急救命士は公務員ですね。
しかも消防署の職員になるということは、消防士になるための訓練も必要なんです。でも、救命士の仕事をしたいけれど消防の仕事には興味がもてなくて(笑)。救急車に乗るためには資格が必要なので、一応、試験は受けました。
――救急救命士の資格は、消防署以外に通用しないんですか?
この資格は救急車に乗務するためのものなんです。看護師とも違うので、病院に勤務することもできません。
――意外と資格を生かせる職場がないんですね。試験はいかがでしたか?
落ちました(笑)。浪人して再受験するか悩んでいたときに、バイト先でお世話になった店長から「救命士とはちょっと違うけれど、見学に来ないか」と声をかけていただいたんです。
――アルバイトは何を?
高校から大学を卒業するまで宅配寿司の『銀のさら』でアルバイトをしていました。そのときの経験を生かして、今でも施設のレクリエーションで握り寿司をお出しすることもあるんですよ。
――お寿司屋さんから介護職へ?
『銀のさら』の運営会社に介護事業部もあって、寿司店の店長だった方が介護事業部に異動したんです。本来、まったく違う職種への異動はないんですが、ご自分で「介護をやりたい」と希望したそうです。
――先ほど介護には良い印象がなかったとおっしゃっていましたが?
もっとキツい仕事だと思っていました。実際に見学してみたら、みなさんご自身の足で歩いているし、食事も一人で召し上がってる。元気よくここで過ごして「今日も一日楽しかったね!」ってお帰りになる。介護のイメージが180度変わりました。救命士にこだわる必要もないし、こっちの世界にチャレンジしてみるのもいいかな…と思って、就職を決めました。
自分の言葉で伝えなければスタッフは動かない!

入社から1年で副管理者、翌年には管理者に抜擢されるほど順調にキャリアをアップ。
――最初の勤務先はどちらに?
シェフズデイサービス青葉で介護職員として入社しました。宅配寿司を運営している会社の介護事業部ということもあって、みなさんが召し上がる食事にはとてもこだわっているんです。
――介護職員として入社してから、キャリアアップはどのように?
入社から1年後に同じシェフズデイサービス青葉の副管理者になって、その1年後に管理者になりました。
――順調ですね。
その後、シェフズデイサービス青空の管理者が退職するタイミングで異動することになり、管理者として赴任しました。
このとき、条件を出されたんです。当時の青空は運営がうまくいっていなかったので、建て直すことができればマネージャーに昇進させるというものでした。
――宮地さんはまだ入社3~4年くらいですよね。どうなさったんですか?
問題があったらスタッフに言わなければいけない立場だったんですが、みなさん自分より年上なので、どうしても言いにくい(笑)。結局そこが問題になってしまったんですよね。
――それは辛いですね。
いきなりできるようになったわけではありませんが、伝えなければいけないこと言ってみたら、意外と大丈夫だったんですよ(笑)。「全否定されるワケではないんだな」というのが分かりました(笑)。自分の中で勝手にハードルを上げていたんですね。
――スムーズにいったんですね。
ただ、伝え方には工夫しました。「会社の方針だから、変わります」だけではダメなんです。現場は「この方法で慣れているのに、なんで変えるの?」って思ってしまう。一回自分の中で理解して、こういう目的のために変える必要があるというのを、自分の言葉で伝えなければ納得してもらえないんですよね。
――なるほど。
自分の言葉で伝えるようになったら、「宮地さんが言うなら、そうなんだね」とか「それなら、そうしていこう!」っていう思考になりました。
――具体的にどんなことをなさったんですか?
赴任してから、しばらく口出ししないで、スタッフの様子を観察していました。そうしたら問題点が見えてきたんです。
スタッフそれぞれの頭の中に、利用者さまの状況が入っていて「見える化」されていませんでした。スタッフの頭の中にそれぞれの仕組みができあがっていて、外部から来てみると何が何だか分からない状態だったんです。
――「見える化」されていないと、どんな問題が?
例えば、「この方は延長がある」とか「早く帰らないといけない」とか「薬を飲まないといけない」とか、利用者さまの情報を共有していないとミスに繋がります。しかも、その情報を知っているスタッフ以外はミスに気づかない。利用者さまからクレームが入って、初めて気づくんです。そんなことが積み重なると、ケアマネージャーさんからの信頼も失います。
――それは大きな損失ですね。
いったん、スタッフの頭の中にある情報を全部出してもらって、それを一覧にまとめる作業をしました。新しい情報が入ったら、そのたびに加えていく仕組みを作りました。
それ以来、ミスが大幅になくなって落ち込んでいた数値を建て直すことができました。
救急救命士から介護職へと大きく進路を変更した宮地さん。順調にキャリアアップを重ね、管理者として施設の建て直しにも貢献しました。
後編では管理者からマネージャーになって大きく変わったこと、マネージャーとして心がけていること、これから介護職を目指す人へのアドバイスをご紹介します。
撮影/森 浩司













