夢は具体的にしなければ動き出さない。47歳で夢のスタジオを構えた「Pilates Studio soRa」Reikoさん
大阪・上本町で「Pilates Studio soRa」を経営する、ピラティスインストラクターのReikoさん。37歳でピラティスインストラクターとなり、39歳で小さなスタジオを構えたそうですが、最初は経営に苦労をしたといいます。経営コンサルや潜在意識の書き換え講座などを受けたことにより、47歳のときにずっと目標にしてきた大きなスタジオを持つことができたそうです。
前編ではその経緯と、夢を叶えるために具体的にやってきたことを伺いました。
今回、お話を伺ったのは…
Reikoさん
STOTT PILATES®フル認定インストラクター/「Pilates Studio soRa」代表/ジャズ、タップダンス講師
20歳から趣味としてダンスを習い始め、ジャズダンス、タップダンスを元ブロードウェイダンサーのニランジャンに師事。ニューヨークへの単身ダンス留学を経て、37歳のときにダンス講師となる。その後、ピラティスインストラクターとしても始動。2021年には大阪・上本町に「Pilates Studio soRa」をオープンし、現在は9人のスタッフを抱える人気のスタジオとなる。
筋肉についてもっと知りたいと、ピラティスの道へ
――37歳でピラティスインストラクターになったそうですね。どのようなきっかけだったのですか?
元々はダンスの講師をしており、踊るときやストレッチをするときに、筋肉がどう動いているかを知りたいという思いから、ピラティスを習い始めたのがきっかけでした。私は20歳からダンスをずっと習っていて、一般企業で仕事をしながらセミプロのような形でダンスを続けていたんです。パフォーマーとしてプロを目指していましたが、ダンス一本で食べていくことはなかなか難しく、37歳だった2011年にダンス講師として本格的に活動を始めました。その時に痛感したのが、もっと筋肉について知りたいという思いだったんです。
――ピラティスによって、筋肉について学べる、と。
ピラティスのことはまったく知りませんでしたが、知人から「筋肉のことを知りたいならピラティスだよ」とすすめられたんです。そこでインストラクター養成講座に通ってみるとピラティスは解剖学をベースにしており、まさに自分の知りたいことを深く知ることができました。それがもう、楽しくて楽しくて(笑)。どっぷりとはまってしまい、ダンス講師と並行して、ピラティスインストラクターとしても活動を始めることにしました。
――そこからどのようにして、ピラティスインストラクターとして活動する場を作ったのですか?
ダンス講師をしていた教室の先生に交渉して、ピラティスのクラスも持たせてもらいました。あとは自宅のリビングでも教えていましたね。その頃はピラティスがそこまでメジャーではなかったので、5回無料で通えるプランを作って自分の周囲の人におすすめして。それくらい通ってもらわないと、効果が実感できないと思ったんです。
そこから2年ほどで徐々に来てくださる人が増えてきました。自宅でレッスンをしていると、夫には外に出てもらわないといけなくなってしまうので、段々と申し訳なくなってきて(笑)。そこで2013年に雑居ビルの1室をスタジオとして借りることにしました。そこまで生徒さんが多かったわけではないし、ちょっと怖さはあったのですが、私にはずっと大きな自分のスタジオを持ちたいという夢があって。その時すでに40歳間近だったので、そんな悠長なことを言ってられないと思って、一歩を踏み出すことにしました。
しっかりお金をかけることで、かならず返ってくるものがある
――実際にビルの1室にスタジオを構えてみて、いかがでしたか?
最初は本当に苦労をしました。集客は自分のSNSと、業者さんに作ってもらった簡単なホームページだけだったのでお客さまもパラパラとしかこなくて。そこから潜在意識の書き換えという自己啓発的なコーチングを受講してみると、段々とうまくいくようになっていきました。人間の脳には「潜在意識」という無意識的な領域があって、その部分を変えると現実も変わっていくということを教わりました。潜在意識というと怪しい感じがするかもしれませんが、意識しているかどうかは別としてだれもが潜在意識の影響を受けています。
――具体的にはどんなことをするのですか?
まずは目標を決めます。そしてそれを実現するために、できる範囲で行動をするんです。たとえば私の場合は大きなスタジオを持つのが夢だったので、そのためには何が必要なのか、いくらかかるかを調べました。また実際に大きな物件の空きがないか探したこともありましたね。
具体的にイメージすることもとても大切で、大きなスタジオで私がスタッフを前に話している姿や、生徒さんを前にレッスンしている姿をイメージしたりもしました。コロナ禍になってしまって、時間はすごくあったので、繰り返し潜在意識の書き換えを行っていたところ、今のスタジオを見つけて。自分がまさに思い描いていたような場所でした。イメージをしていたので、すぐに動き出すことができ、2021年、47歳の時に今のスタジオをオープンさせました。
――そこからは順調でしたか?
経営コンサルタントの方からのアドバイスと、前のスタジオでの反省もあり、ホームページや広告などお金をかけるべきところにはしっかりかけようと思い、すべて業者の方にお任せすることにしました。そうすればきちんと返ってくると思ったんです。ピラティスブームが始まったということもありますが、そこからどんどんとお客さまが増えていき、おかげさまで現在は9名のスタッフを抱えるまでになりました。
お客さまとコミュニケーションを大切に
――ピラティスインストラクターとして、心がけてきたことはどんなことでしょうか?
色々あるのですが、お客さまとのコミュニケーションを大切にしてきました。プライベートレッスンのときはレッスンの最初には必ず、体をほぐすステップを入れるようにしています。そうすると最初に会話をする時間ができるので、お互いのことをよく知ることができますし、話す時間を楽しみにいらっしゃる方も増えた気がします。私が心を開いているということが伝わるとより親密度が増す気がするので、プライベートな内容を私から話すことも多いです。大阪という土地柄もあって、話すのを楽しみにきてくださるお客さまも多いので、会話の時間は大切にしています。
ちなみにダンス講師の場合は、「だめ!もう一回!」という感じで講師が上から伝えたほうが信頼感が増すのですが、ピラティスの場合は逆でお客さまという感じ。このように生徒さんが私に求めていることを把握するのも、インストラクターとして活躍するためには重要なことだと思います。
――Reikoさんは37歳からピラティスインストラクターとなり、47歳で大きなスタジオを持つという夢を叶えていらっしゃいますが、同年代の女性のなかには家族の反対にあってなかなか夢を追うことができないという人もいると思います。アドバイスをいただけますか。
反対されるのは、実は自分の心が決まっていないとか、やりたいとは思っているけれど心のどこかでは怖がっているとか、不安を持っているとか、そういったことが相手に伝わっているからだと思います。私の場合は夫から反対はされませんでしたが、その要因の1つがやりたいことをきっちりと決めて、本気を示したからだと思っています。私は大きなスタジオを借りたときも、銀行から借り入れはしませんでしたが、融資を受けるための事業計画書を作って夫に見せたんです。なぜ融資をしてもらいたいのか、ほかのスタジオと比べてどう差別化するか、経費がどれくらいかかるかなど全部を書きました。夫には本気度が伝わったと思いますし、自分の夢がより具体的になり、実現にもつながったと思います。
そして自分は夢を叶えられると思うこと。そう思わないと実現は難しいのではないかと思います。
後編では現在9名のスタッフを抱える「Pilates Studio soRa」が、どのようにして人気のピラティススタジオとなったかを伺います。ピラティスブームが起こり、さまざまなメソッドが誕生していますが、体を痛めずに鍛えることができる「Pilates Studio soRa」のピラティスは年配の人にも人気を集めているといいます。また業務委託契約をしているスタッフとのコミュニケーションも大切にすることで、辞めるスタッフもほとんどいないとのことです。後編もお楽しみに!