介護との両立のため開いたサロンをきっかけに石垣島で広く事業を展開【アイランドヒーリング株式会社 川島直己さん】#1
地方でヘルスケア事業に携わっている方に、集客や売り上げアップのための取り組みについてインタビューする本企画。今回は沖縄県石垣島でセラピストとして活躍している、アイランドヒーリング株式会社 代表の川島直己さんにお話をお聞きします。
前編では、川島さんが石垣島でサロンを開いた理由、事業展開の経緯についてお聞きします。
お話を伺ったのは…
アイランドヒーリング株式会社 代表取締役 川島直己さん
静岡県出身。エステティックやセラピーを学んだ後、セラピストとして活動をスタート。10年後、沖縄県に移住。結婚や介護などのライフスタイルの変化に合わせ、アイランドヒーリング株式会社を設立する。沖縄県エステティック・スパ協同組合監事、THE Therapistスクール校長、INFA国際連盟インターナショナルエステティシャン、日本ケアセラピスト協会準講師など、幅広く活動中。
なんとなく始めたエステの仕事を10年続け、知識を蓄える
――まずはセラピストになった経緯から教えてください。
最初はエステからスタートしたんですが、そのきっかけは大したものではなくて(笑)。18歳で進路に悩んだとき、「求人情報誌のなかで指をさしたものに応募してみよう」と思って、それがたまたまエステサロンだったんです。そこでアルバイトから始めて正社員になり、10年ほどエステティシャンとして働きました。エステティックやセラピーを学んだのは、その時期です。
――10年続けられたということは、ご自身に合っていたんですね。
そうですね。でも当時のエステサロンは100万単位のお金が1人のお客様から動く時代だったので、下積み時代は本当にすごく不安でしたし、何回も辞めようと思いました。それでも続けられたのは、エステが成果を感じやすい仕事だったからだと思います。
私がいたエステサロンはオールハンドの施術にこだわっていて、そこで人の体にすごく興味を持ちました。結果を出すことが絶対のエステ業界で、「結果を出すにはどうしたらいいのか」を体の構造から調べていく。今みたいにウェブで手軽に情報にアクセスできる時代ではありませんから、図書館などに足を運んで自分で調べるんですよね。そして、それが結果につながるんです。
――その後、沖縄に移住された経緯は?
10年働いていると責任のある仕事も任されるようになり、若かったので少しつらくなってしまったんです。毎月数字を追いかけるのに疲れ、20代後半だったので「一度は海外で仕事をしてみたい」と思ったりもしたんですが、いろいろな事情から海外には行けなくて。
そんなときに本屋さんに行ったら、離島情報誌が売っていたんです。当時はリゾートバイトや派遣というのは地方だと広まっていなかったので、「離島に住み込みで仕事ができる」ということを初めて知りました。
それで雑誌を見ながら一軒一軒電話をかけて、雇っていただいたのが西表島にある飲食店だったんです。
――すごい行動力です。でもエステやセラピーではなかったんですね。
その時点では、そういった仕事はもういいかなと思っていました。再開したのは、その後、石垣島に移住してからです。
夫と結婚を前提にお付き合いしていたとき、夫が住む石垣島に引っ越しました。そこで仕事を探したんですが、当時の石垣島にはエステサロンが2軒、リラクゼーションサロンは0軒。そのエステサロンの1つで、パートとして働き始めたのが、エステやセラピーを再開するきっかけになりました。下着屋さんが知識ゼロで開いたサロンで、「働きながら教えてください」と言われて。
店長などではなく気軽だったのも、「また戻りたい」と思えた理由だと思います。それに本当は、自分の細胞に「この仕事が大好き」というのが刻まれていたんだなと、再開して感じました。
介護や育児との両立のため、自宅にあった事務所で開業
――石垣島でサロンを開いた理由とは?
石垣島のエステサロンで働いている3年弱の間に、育児と両親の介護が始まりました。1歳の子どもを抱えて静岡に帰省し、両親の介護をするようになり、その間に私もガンの疑いで入院手術をして…。そういったことが重なったので、お勤めするのが難しくなってしまったんです。
その後、父は他界しましたが、母は介護の手がないと生活することがままならなかったので、石垣島に呼ぶことにしました。親の介護、育児、主婦業をしながら働く方法を考えたとき、自分でサロンを開くのが一番いいんじゃないかと思ったのが、開業のきっかけです。嫁ぎ先のおうちに事務所が元々あったので、そこを使わせてもらって「アイランドヒーリング」をスタートしました。
――最初は自宅サロンのようなかたちでスタートしたんですね。現在は幅広く事業展開されていますが、その経緯は?
知り合いもほとんどなく資金もゼロ、でも家族を養わないといけない。そんな状態からのスタートだったので、「とにかく島のお客様のニーズを聞こう」とは考えていました。でも、最初は自分1人で、お客様にエステだけをしていくつもりだったんですよね。
そんな考えが変わるきっかけになったのは、最初に来てくださったお客様の言葉でした。「病気でお金を使って時間が無くなっていくより、同じお金を使うならこういうところに来たほうがいい」と言われたことが、すごく嬉しかったんです。私たちは病気を治すことはできないけど、その手前のケアをすることが仕事なんだと確信しました。
私はエステティシャンでしたが、結果を出すためにはどうしたらいいのかを学ぶ中で、ウェルネスの重要性を感じていましたし、そこを追求していた部分が元々あったんです。だから、お客様のニーズと、自分の追い求めていたものが合致して、「ウェルネスにつながることをしていこう」と考えるようになりました。そこから、いろいろな展開が始まっていったんです。
――事業展開において大切なことは何でしょうか?
やっぱり、人とのご縁が大きかったと思います。ウェルネス事業が展開できたのは、沖縄県が観光産業としてバックアップしている「沖縄県エステティック・スパ協同組合」に入るきっかけをいただいたことが大きかったですし、そこで『沖縄ブランド 琉球てぃなんでぃ』という技術のブランド化を様々な専門家の方々と一緒にやらせてもらったのも、自分の中で外に目を向けるきっかけにもなりました。また「沖縄県エステティック・スパ協同組合」の活動のなかで、様々な専門家やスパ業界の方などと知り合えたのも、その後の展開にもつながっていきましたね。
地方で事業展開していく原点は、ニーズをキャッチし続けること
――さまざまな活動をされているなかで、経営面でやって良かったと感じたものは?
「これがすごく利益になります」というものはないんだろうと思います。今はスクールがすごく収益があったとしても、いきなりストンと落ちることもありますから。
自分がしてきたことで共通していることがあるとしたら、やっぱり「人が求めていること」という点なんです。ニーズをキャッチして、それを前に出していく。そういうものに合わせて活動しているだけであって、そこにお金がついてくるものなのかなと思います。
――1度お仕事を辞めたときと違い、続けられているのは何故だと思いますか?
あの頃は、会社のため、スタッフのため、お客様のためと、自分のことが後回しだったんですよね。でも今は「自分のために仕事をしている」という気持ちを、いつも持つようにしているんです。今自分が求めていることの1つが、お客様や生徒さんが何を求めているか考えること。だから当時のように「売上を稼がなきゃいけない」という感覚ではなく、「自分がしたいことをして、そこにお金がついてくる」という感覚になりました。その意識の違いが、とても大きかったと感じます。
自分のために生きたいと思って島に移住した初めての朝、海を見て涙が出たんですよね。「生きてる」って思いました。そこが転機だったので、その気持ちはずっと持ちながら仕事をしていきたいなと思っています。
経営の重責から逃れるため沖縄県に移住した川島さん。「まずは自分」という意識の変化から、アイランドヒーリング株式会社の代表としてさまざまな事業展開をするまでになりました。後編では、経営者となってから大切にしていることや、地方でサロン経営をしていくうえで大切だと思うことを教えていただきます。
取材・文/山本二季