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介護・看護・リハビリ 2025-03-01

きっかけは子どもの涙。支援が必要な子どもの人生にもっと踏み込むことを決意。【介護・看護・リハビリ業界のお仕事企画 寿優和会 児童指導員、施設管理者 阿部智子さん】#1

業界のさまざまな職業にフォーカスして、その道で働くプロにお仕事の魅力や経験談を語っていただく連載「介護・看護・リハビリ業界のお仕事企画」。

今回は社会福祉法人 寿優和会の阿部智子さんにお話しを伺います。阿部さんは児童指導員であり、同法人が日野市より受託し運営する子どもの学習・生活支援事業、自立相談支援事業(くらしの自立相談窓口)を担う施設の管理者です。

前職では学童の指導員として、12年ほど働いていたという阿部さん。仕事を続けるうちに、学童には家庭環境が複雑な子どもや、いわゆるグレーゾーンといわれる発達障害を抱えた子どもがいることに気づいたといいます。

そしてある子どもとの出会いによって、ただ子どもを預かるだけでなく、支援を必要とする子ども達ともっと深く関わりたいという思いを強く抱くようになったそうです。

お話しを伺ったのは…
社会福祉士法人 寿優和会
児童指導員/子どもの学習・生活支援事業、くらしの自立相談窓口施設管理者
阿部智子さん

40代から12年ほど学童指導員として勤めたあと、支援が必要な子どもたちにもっと深く関わりたいとの思いから、退職。その後、寿優和会関連グループが運営する「生活介護事業所とちのみ」に入職する。同法人が子どもの学習・生活支援事業とくらしの自立相談窓口を併設した施設を立ち上げることになり、管理者として立ち上げに携わる。いつも全力で子ども達と接し、さまざまな変化を起こしてきた。

ホームページ

支援が必要な子ども達に、居場所、学習支援、食事の提供を行う事業

阿部さんが管理者を務める子どもの学習・生活支援事業の施設。ピアノ、ゲーム、卓球などもあり、子ども達は思い思いに過ごすことができる

――まず、阿部さんの今のお仕事内容について教えていただけますか。

私が所属している寿優和会では、生活困窮者自立支援法に基づく、子どもの学習・生活支援事業と自立相談支援事業(くらしの自立相談窓口)を併設した施設を運営していまして、そこの管理者を務めています。それぞれ委託を受けて運営をしている形です。

――子どもの学習・生活支援事業というのは、どういうものなのでしょうか?

簡単に言うと、主に生活困窮世帯の子どもを対象に行う、子ども食堂と居場所事業、学習支援事業がひとつになったような場所ですね。学習や生活習慣、育成環境の改善に関する助言などを行います。場所などはオープンにしておらず、基本的には行政からこちらの団体に依頼があったお子さんだけが、来られる形になっています。

今、うちの施設は週に3日、夕方から場所を開けていて、子ども達は勉強をしたり、遊んだりしながら時間を過ごします。その後みんなで一緒に夕食を食べ、子ども達を車で家まで送り届けるんです。子ども達と遊んだり、勉強をするだけでなく、将来の進路について一緒に考えたり、その子どもが生きていくために必要な支援を行います。

――併設されている、くらしの自立相談窓口というのは?

経済的な困りごと、生活のさまざまな不安や悩みを抱える方のための、相談窓口です。寿優和会で運営しているくらしの自立相談窓口は、もちろん相談ができることをうたってはいるのですが、誰もが来られる居場所のようになっているのが大きな特徴です。イベントなども行っているため赤ちゃん連れの親子から、70代、80代の方まで幅広い方が訪れられる場所となっています。

そうやって気軽にお話しをしながら、困りごとがあれば相談にのり、必要があれば行政などの支援につなげていくことができます。相談は基本的にスタッフの社会福祉士の資格を持った相談員が行いますが、私も対応にあたります。

子育てがひと段落した40代から、学童指導員に挑戦

阿部さんは子ども達と関わりたいとの思いから、学童で児童指導員として働いていた

――今のお仕事に就く前は、学童の指導員をされていたと伺いました。学童で働き始めたきっかけは?

私には3人の子どもがいるのですが、子育てが落ち着いた40代のころに、最初はパートとして学童に入りました。子どもが好きだったので、携われる仕事をしたいと思ったんです。学童指導員は基本的に自治体の職員として採用されますが、特別な資格は必要ありません。ただその後、嘱託職員となったあとに、市からの要請で児童指導員の資格を取得しました。

――児童指導員とはどんな資格なのでしょうか。

子どもと直接関わりを持ち、心身の健やかな成長と自立を支援するための資格です。研修や試験などはなく、児童福祉法によって定められた「任用資格要件」のいずれかを満たすと、自動的に得られる「任用資格」になります。私は児童福祉の実務経験を2年以上積んでいたので、取得することができました

パート時代から含めると12年ほど働いたと思いますが、段々と自分の思いと学童の仕事にギャップが生まれてきてしまい、学童を辞めてうちの法人に入職することになりました

「学童から離れたくない」。ある子どもの涙を見て、仕事の仕方を変えると決意

ご自身の転機となった出来事について話す阿部さん

――思いと仕事の間にどのようなギャップが生まれたのですか?

学童は基本的には保護者が働いている間、子ども達を預かる仕事ですが、それだけでは不十分なのではないかという思いが徐々につのってきました。というのも、仕事を続けるうちに、学童にはさまざまな子ども達がいることが分かってきました。

いわゆる「グレーゾーン」といわれる発達に障害のある子や、心の病気を抱えた子、家庭が貧困状態にある子などがいると分かり、その子たちの人生にもう少し踏み込んでいく必要があるのではないかと思ったんです

――そのように考えるようになったのは、何かきっかけがあったのですか?

大きなきっかけとなったのは、あるお子さんとの出会いでした。その子は、親からネグレクトを受けていました。私からも親御さんにいろいろとお話しをしましたが改善はされず、結局、児童相談所が保護をして、施設に入ることになったんです。施設に入所する際に小学校も転校することになり、当然学童にも来られなくなってしまいました。そのときに「学童にいる時間が楽しかった。学童から離れたくない」と泣かれてしまって

その子の涙を見たときから、「あの子が施設に入らなくても済むような方法が、私には見つけられたのではないか」、「何かほかにいい方法はなかったのか」と自問する日々が続きました

そこからただ預かるだけでなく、親御さんと話す機会を増やすなど、もう少し子ども達の人生に深く関わるように仕事をしたいと考えるようになりました。周囲に提案をしたりもしましたね。

――それは、うまくいかなかった?

すべてがうまくいかなかったわけではありませんが、やはり学童は市の事業ですし、思いに共感してくれる人ばかりではありませんでした。その人たちが悪いというわけではなくて、仕事への向き合い方がさまざまなのは当然だと思っています。

そういう状況のなかで、私はもう少し自由な環境で、自分が思う形で子ども達と接したいと思うようになったのが、転職のきっかけとなりました。

学童でいろいろな子ども達への対応をもっと学びたいという思いが強くなっていたので、本格的に現場を経験したいと思い、安定した生活を送るための支援を行う生活支援所で働き始めました。


学童での体験から、自分がどのように子どもと関わりたいのかが明確になっていったという阿部さん。後編では転職した阿部さんが、仕事のやりがいをどのように感じているかを伺います。

それを「子どもの心のスイッチを探して、押すこと」だと表現した阿部さん。子どもたちが未来を見据えて自分で行動を始めたときが、たまらなくうれしいといいます。

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