理想の介護を目指して単身赴任も経験!【介護リレーインタビューvol.57/生活相談員 新坂俊一さん】#1
介護業界に携わる皆様のインタビューを通して、業界の魅力、多様な働き方をご紹介する本連載。
お話を伺ったのは…
介護老人福祉施設 ラペ相模原
生活相談員 新坂俊一さん
介護技術などを学ぶ専門学校を平成20年に卒業し、介護の現場職員として13年間勤める。令和3年より社会福祉法人 緑樹会の介護老人福祉施設 ラペ相模原に生活相談員として勤務している。
前編では新坂さんが介護の世界に足を踏み入れたきっかけや、介護や福祉のことを深く学ぶうちに単身、岡山で働くことになったことについてお話いただきます。
調理師と介護士。天秤にかけて介護の道を選択

おばあさまが民生委員だったこともあり、介護の話はよく耳にしていたそう。
――新坂さんが介護の道に進もうと思ったのはどんなタイミングですか?
高校生の時ですね。ただ最初から介護の仕事を目指していたわけではありません。
板前をしている父の姿に憧れて、「僕も料理人に」と思っていた時期もありました。それもあって居酒屋でアルバイトを始めたんです。そのときに「板前の世界は、そう簡単なものではない」というのを知って、方向転換しました。
――板前と介護の仕事は業種が違います(笑)。
たまたま同じアルバイト先に介護の仕事をしている人がいたんです。仕事の内容などをいろいろ教えてもらって、「これは面白そうだ」と。そのときに、子どもの時にボランティアで介護施設へ慰問に行ったことや、祖母が介護施設へ食事を作りに行っていたことも思い出したんです。
――介護施設が身近にあったんですね。
祖母が民生委員をしていたこともあって、介護の話題がよく出ていたんです。僕がまだ幼くて介護施設が何なのかを分からなかったとき、祖母が「あそこは、おじいちゃんとおばあちゃんが楽しく暮らす場所なんだよ」って教わっていました。
――とても素敵なおばあさまですね。
僕は人と接するのが好きなので、介護の仕事はピッタリだと思ってこの道を選びました。それに「勉強をしたくない」という想いもありました(笑)。介護の専門学校は推薦で入れるというのも大きかったですね(笑)。
――卒業後はどちらに?
平成20年に特別養護老人ホーム けいあいの郷に勤めました。この介護老人福祉施設は開設したてで、オープニングスタッフを求人していたんです。長く歴史のある施設だと、介助や介護の進め方や考え方が凝り固まっているような気がして、真っ新なところで自分の力を試したいという想いがありました。
――とても前向き!
「自分で作っていきたい」という想いはあっても、その実力がないと空回りするだけですよね。それで、休みの日には介護や福祉に関するセミナーに積極的に参加していました。いろいろな職種の方と関わりが持てて、勉強になることがたくさんありました。
――高校生の時は勉強したくなかったのに!
そうですね(笑)。たくさんのことを学んだおかげで目標もできたんですよ。どんな状態の方でも安心して過ごせる場を作ること。そのために専門性を兼ね備えたチームを作ること。勤務先は変わっていますが、今もこの目標を目指して仕事に取り組んでいます。
介護の理想を求めて岡山で単身赴任することに

最初に勤めた「けいあいの郷」ではフロアリーダーも任されていたとか。
――けいあいの郷はどのくらいお勤めだったんですか?
6年ほどですね。入社から5年後に同じ法人でまた新しく施設を建てることになって、そこでもオープニングスタッフとして赴任しました。
――新しい施設に着任するというのは、信頼されている証ですよね。
ユニットリーダー、フロアリーダーと順調にキャリアアップして、スタッフ20人を束ねるリーダーとして働くようになっていました。
――順調にキャリアアップしているのに、なぜ岡山へ?
勉強会やセミナーに参加しているとき、岡山で介護施設を運営なさっている理事長を紹介してもらったんです。その方の価値観や施設の運営方針などにすごく惹かれてしまって。
――なるほど。その当時、ご結婚は?
実は「岡山へ行く」と決めた年に結婚しました。結婚式の2か月前に「岡山で働きたい」と伝えて、式の後に2人で引っ越しました。
――パートナーの反応はいかがでしたか?
「何で!?」っていう感じでした(笑)。「どうしてもやりたいんだ」という想いを伝えたら、付いてきてくれました。2~3年後に子どもが産まれて、妻は1年ほど里帰りしてから岡山に戻ってきたものの、ここには家族も友だちもいない。いっぱいいっぱいになってしまったんですね。でも僕はここに残って仕事をしたい。それで、妻は実家に戻り、僕は単身赴任をすることになりました。
――お子さんを授かったのに、離ればなれになってしまったんですね。
ちょうど僕がやりたかったことを積み重ねていったところだったので、辞めるに辞められない時期でした。月に1回は必ず帰るという約束で、僕は岡山に残ることになりました。ワガママを言いまくった人生ですね(笑)。
――こちらに戻ったのはなぜですか?
単身赴任を始めて3年ほど経った頃、仕事に行き詰まりを感じるようになったんです。そんなとき、子どもが幼稚園に上がるのをきっかけに自分自身と家族のことを考えるようになりました。「俺の人生でいちばん大切なものは何なんだろう」って。「やっぱり家族だよな」と思えて、こちらに戻ることを決めました。
――ご家族は喜んだでしょう?
どうでしょう(笑)。「好き勝手にやってる」と呆れているかもしれません(笑)。
――こちらに戻ることを決めて、すぐ緑樹会に入社なさったんですか?
4月にこちらへ戻ってきた時点では、何も決まっていませんでした。介護の仕事に就くのかどうかも未定な状態でした。いったん介護から離れてもいいのかな…とも思いましたが、せっかく今まで培ってきたものをゼロにするのはもったいない気持ちもあって。ずっと介護の現場にいましたから、今度は「管理者か生活相談員になるのもいいかな」と考えるようになりました。
――そうでしたか。
管理者や生活相談員を募集している求人などをいろいろ調べましたが、どれもピン!とくるものがなくて。そんなときに、いちばん最初に勤めていた施設で同僚だった人から誘いを受けたのが、緑樹会だったんです。
――最初の施設というと、けいあいの郷ですね?
そうです。僕が施設を辞めた後も連絡を取り合っていて、なんだかんだと年に数回は会って遊んだり話をしたりしていました。たまたま連絡をもらったとき、管理者か生活相談員の仕事を探している話をしたら、「それならウチにくれば?」と、勧めてくれたんです。
――まさに渡りに船ですね。
そうですね。4月にこちらへ戻ってきて、8月から緑樹会の介護老人福祉施設、ラペ相模原で生活相談員として働きはじめました。
岡山での単身赴任を経て、現在は生活相談員としてキャリアを積み重ねている新坂さん。後編では生活相談員になってから体験した最大のピンチのこと、地域に密接した介護施設づくりのために取り組んでいること、生活相談員を目指している人へのアドバイスについて伺います。
撮影/森 浩司