日本を飛び出してシンガポール行った経験が、次の夢に繋がりました。
この世に手業を生業にしているサービス業はどれぐらいあるのでしょうか?手一つで人を喜ばせたり、疲れを取ったり、美しくしたり、癒やしたり・・・。これってすごいことですよね。
このコラムは、手業を生業にしている美容からヘルスケアの業界の方々にフォーカスをしたプロフェッショナルインタビューです。その人の手が語る物語をお楽しみいただければ幸いです。
モアリジョブ編集部
私の手にしか、できないシゴト。 佐藤晴南さん
――美容師になったきっかけは?
佐藤 小さい頃、地元の美容室に母とよく通っていて、そこで働いている美容師に憧れたのがきっかけですね・・・。それと、母が私の髪の毛をよくセットしてくれて、昔流行っていた漫画の主人公“キャンディキャンディ”のような髪型や色々な髪型ににしてくれたんですね。その母の影響もあって、私も髪の毛を触るのが好きになり、気が付いたら友達の髪の毛を触るようになっていました。なので、小さい頃から私は美容師になるんだって勝手に思っていましたね(笑)。
――美容師になった頃はいかがでしたか?
佐藤 体力の全てを使い果たしていました。10時間以上ずっと立ちっぱなしで・・・。気も遣うし、先輩方からの指示や言われる事もやる事も多く、初めてのことばかりで大変でした。無我夢中でアシスタントを終えたって感じでした。
――最初に就職したサロンはどんなお店でしたか?
佐藤 最初のサロンは、老舗サロンでそこには5年間勤めていました。そこはベーシックを大切にしていて、技術力を高める上では、すごく良かったですね。それからスタイリストの経験を積んでいくうちに、物足りなさを感じてまい、一度外の世界を見てみたいなって・・・。撮影をやったり、今流行っているようなことをやりたい気持ちが強くなって、別のサロンに移ろうと思って転職しました。
――美容師になられてからの失敗談を教えてください。
佐藤 これは笑い話になるか分からない話なんですけど・・・。昔、ご家族で担当させて頂いていたお客様がいて、そのお子さんの前髪をカットする機会があったんですね。ご希望は、前髪を眉毛より少し下で揃えることだったんですけど、顔を下を向いていたので「こんな感じかな?」ってそのままの体勢で切ったら、ちょっと眉毛の上になってしまい、その前髪を見たお母様が、ものすごくご立腹になられて・・・。その後、すぐに店長とお宅まで謝罪に伺い、誠心誠意お詫びしました。結局許してくださって、何事もなくその後も通ってくださいました。
――佐藤さんにとっての成功談は?
佐藤 成功談ですか・・・難しいですね。美容師って、毎日のちょっとしたことが成功なんですよね(笑)。ちょっとした話なんですけど、同じお客様が1ヶ月後に来店されて「同じカットをしてください」って言われて、簡単にできるだろうと思われるかと思いますが、結構難しいんですね。そのお客様の髪の状態や伸び具合も変わっているので、まったく同じカットをすることは正直難しいんですね。でもそのお客様のリクエストをちゃんと再現できて、喜んでくれたり、そのお客様がリピーターになって、売上もプラスになって・・・。美容師の成功ってそういう小さい積み重ねなんだろうなって思います。だから、毎日何らかの小さな成功を得ていたと思います。
――美容師になられてから、思い出に残っているお客様はいらっしゃいますか?
佐藤 私がシンガポールで美容師をしていた時に、偶然再会したお客様です。そのお客様は、私が美容師として最初に働いたサロンのお客様で、何年も前にお会いしたのが最後だったのに、覚えていてくださって、再会したときは嬉しかったですね。シンガポールでは、私が担当させて頂きました。日本に帰ってからも、食事に行ったり良いお付き合いをさせて頂いています。
――シンガポールで美容師をされていたんですか?
佐藤 海外に興味があって、いつかは行きたいなって思っていました。最初のサロンを5年働いた後に海外に行くことを考えたんですけど、ビザの問題や条件が合わず断念しました。その後、別のサロンで働いていた時に、専門学校の先生がシンガポールで美容室をやっている方を紹介してくださって、話を聞くだけならって思って軽い気持ちでコンタクトを取ってみると、そのまま採用になってしまって・・・。突然の事だったので悩みましたが、このタイミングしかないな、年齢の事もあるし私には後がないなって思ってシンガポールに行きました。あの時は相当切羽詰まってましたね(笑)。海外に行けず、このまま日本で美容師をやるのかって後悔していたので、思い切って日本を飛び出して、良かったです。
――シンガポールでは、どのようなお客様を担当されましたか?
佐藤 日本人のお客様が多かったですね。6割は日本人の方で、後の4割はシンガポール人や欧米系の方などでした。
――せっかく行ったシンガポールから日本に帰ろうと思ったのは?
佐藤 シンガポールには2年滞在しました。ビザの更新のタイミングでどうしようかと悩んでいるときに、母校の先生から連絡があって、ベルエポックで講師を募集しているからどう?と誘って頂きました。
――美容師から講師へ転身されましたが、教える事に前から興味はあったんですか?
佐藤 とてもありました。最初の美容室に勤務している時に、ベルエポックで教える機会があり、その時に教えるのも楽しいなって思っていました。
――今まで美容師を辞めたいと思った事は?
佐藤 いっぱいありますよ、常にありました(笑)。自分がこれが良いと思ってやってきた事が全然違ったり、今まで信じてやってきたことを否定された時は辞めたいって思いました。でも、仕事がハードで辞めたいと思った事はなかったですね。元々、大変な仕事だということは分かってこの世界に入ってきたので・・・。あと、先輩にずっと怒られていると、ハングリー精神が出てきてくるんですよね。怒られれば怒られるほど、やってやるって、見返してやるって気持ちになっていました。結果、やる気に繋がっていましたね。
――でも、ハングリー精神だけではやっていけませんよね?
佐藤 私は4年目でスタイリストになったんですけど、3年目からブローの練習が始まってそれがすごく楽しかったんですね。周りからも信頼されてきて・・・。自分ができるようになり、サロンで信頼もされて仕事が本当に楽しくて。だからこそ、続けられたのかもしれません。
――ハードな職場の中でどうやってモチベーションを保ちましたか?
佐藤 同期や先輩達のおかげというか・・・。たまには愚痴を言い合ったりもしていましたが基本、美容に熱い思いを持っている人たちばかりでした。仲間同士で、美容に関して思いっきり話せる環境だったからこそ、モチベーションを保てていたんだと思います。
――独立は考えたことはなかったですか?
佐藤 日本に居た時は、一度も思わなかったですね。でも、シンガポールに行った時は、独立をしてもいいかなって思った事もありました。
――佐藤さんにとっての恩師は?
佐藤 ベルエポックで私の担任だった先生です。就職先にことごとく落ちて、最初の就職先を紹介してくれたのも先生でした。シンガポールに行くきっかけをくれたのも先生でした。今、母校で働けているのも先生からの誘いがあってこそです。色々な経験をされている方で、私に刺激を与えてくれた私にとって大切な恩師です。
――仕事とプライベートのバランスは?
佐藤 昔は全然取れなかったですね。最初のサロンは百貨店に入っていたサロンだったので、22時か23時には出ないといけなかったので、プライベートな時間を作る事は出来ていました。転職した2店舗目のサロンでは、オープニングのサロンだったので、休みはあまり無かったですね。本当に忙しかったですね。講師になった今はバランス良く過ごせています。休みの日は、筋トレが趣味なので走ったり、自宅で筋トレしたり、友達と食事に行ったりしてリフレッシュしています。
――将来の自分はどうなっていると思いますか?
佐藤 夢なんですけど・・・。一度日本を飛び出して海外に出て、美容業界がどうなっているかこの目で見てきて、海外でも特に東南アジアって貧しくて教育をまともに受けられない子が多くいるんですね。そういう人たちに美容に興味があるのなら教えてあげたいな、日本の技術をもっていけたら良いなって思っています。熱い思いを持っている人たちが沢山いるんですね。その人たちに頑張って欲しいし、美容関係で何かしらの手助けが出来ればと考えています。
――最後に、業界や美容師を目指している方に一言。
佐藤 アシスタント時代に心に残った言葉があります。「美容師の段階が1~10で例えると、1~9が苦しいことや大変なこと。思い通りにならない事も沢山ある。でも、その1~9を努力して頑張った人にだけ10以上の楽しい世界が見えてくる。」今思うと、本当にその通りだなと。10以上に達すると、むしろ辞められないと思います。是非、この10以上の楽しくて仕方ないこの世界を見て欲しいと思います。そして日本に留まらず、世界中で活躍する日本人が増えて欲しいと思います。
School Data
学校法人東京滋慶学園 ベルエポック美容専門学校(原宿)
住所:東京都渋谷区神宮前3-26-1(第1校舎)
TEL:03-3423-9090
https://www.belle.ac.jp/