障がいをもつ子どもの将来に関わりたくて転職を決意 【もっと知りたい!「ヘルスケア」のお仕事Vol.157/児童指導員 武藤由香さん】#1
ヘルスケア業界のさまざまな職業にフォーカスし、その道で働くプロにお仕事の魅力や経験談を語っていただく連載企画「もっと知りたい! ヘルスケアのお仕事」。
今回は児童指導員として、児童発達支援・放課後等デイサービス『ばうむはうす』に勤務する武藤由香さんにお話しを伺います。
前編では、知的障がいを持つ娘さんを育てる中で献身的なサポートを受けたこと、恩返しのつもりで障がい者の作業所で支援員として働くようになったこと、そして、児童指導員になる決意したことについてお話しいただきます。
お話しを伺ったのは…
ばうむはうす 児童指導員
武藤由香さん
47歳のときに介護職員初任者研修、実務者研修を受け、48歳で社会福祉主事任用資格を取得。その間に2か所の障がい者の作業所で支援員として勤務する。令和4年より児童指導員として、児童発達支援・放課後等デイサービス『ばうむはうす』にて子どもたちのサポートにあたっている。
障がいを持つ子どもを育てるなかで受けた献身的なサポート
――武藤さんが障がいを持つ方をサポートするようになったきっかけは何ですか?
私の娘が知的障がいを持っていて、就職するまでにたくさんの方々のお世話になったんです。献身的なサポートは障がいを持つ方たちの将来に大きく関わるんですよね。恩返しではありませんが、私もその一助になれれば…という想いで始めました。
――献身的なサポートというと?
例えば、うちには娘の上に息子がいるんですが、息子が通った幼稚園では受け入れてもらえませんでした。口数が少なくて、自分の名前が言えなかったんです。
どうしようかと思っていたときに、「多様性のある子どもを受け入れてみんなで育てる」という教育方針の保育園を見つけて。園長先生に会いに行ったら「ぜひ、うちに入りなさい」とおっしゃってくださったんです。
――そこの保育園では、何か特別なことをするんですか?
障がいのある子どもを特別扱いしないで、遊びも運動も何もかもみんなと同じことをさせてくれました。冬山に登ったり、スキーやスケートにも連れて行ってくれたんですよ。
――それはすごい! いい経験ができましたね。
その園はグループワークが中心で、娘もほかの子たちと一緒に参加させてもらっていました。
ある年の運動会では自転車のリレー競争があって、グループ全員が自転車に乗れないと競争に勝てないんです。でも娘は自転車に乗れない。それで同じグループの子たちは娘が自転車に乗れるようになるまで、練習に付き合ってくれました。
娘が少しでも乗れるようになると、みんなが褒めてくれるんですよ。そうすると娘は嬉しくなって「もっとやる!」って。おかげさまで運動会では無事に乗ることができました。
――保育園の後は?
小学校と中学校は個別支援学級で勉強して、卒業後は障がい者の就職支援教育をする特別支援学校に通わせました。
そこでは、いざ就職したときに直面するであろうことを体験させてもらいました。ビルメンテナンスのクラスでは実際に会社のお掃除をさせてもらったんですよ。サボっていたら真剣に怒られ、言われたことをやっていなければ注意されました。先生からは仕事の責任を感じさせるために、あえてキツく叱られたこともあったようです。
――厳しいですね。
でも褒めるべきところはしっかり褒めてくれたので、娘も最後まで続けることができたのだと思います。
就職活動をするときには面接の練習もあって、地元の方たちがアドバイスしてくれました。周りの方たちに助けられたことに、本当に感謝しています。練習の甲斐あって、娘は無事に就職できて、今もずっとお勤めしています。
――お嬢さんにはどんなケアが必要だったんですか?
娘の場合は言葉が出にくいので、辛抱強く向き合うことでしょうか。自分の中にいろいろな想いや悩みを溜め込みやすいんですよね。1つ質問して、答えが出てくるまでに2~3時間かかることもあれば1週間後にポロッと話してくれることもあります。「あのときね、こう思っていたんだよ」って。
(あなたのことを)気にしているんだよ、心配しているんだよっていうオーラを出し続けることが大切ですね。
――答えが返ってこないとき、「答えたくないんだ」と判断してはいけないんですね。
あとは完璧を求めないことでしょうか。うちの娘はとても不器用で、できないことがいろいろあります。できなかったときは「次はこうしてみようか」ってアドバイスをして挑戦させます。できれば褒めますが、それでもできなかったら「今度はできるといいね」と言っています。できなかったことで落ち込ませたくないんです。完璧にできることが重要じゃないことを教えています。
――できない様子を見守る方も悲しいですよね。お嬢さんの様子を見ながら、冷静に対処できるのはなぜですか?
娘に言われたことがあるんです。「自分はなんでこんな風に生まれてしまったの?」って。その一言がすごくショックで、なんて答えていいのか分かりませんでした。娘には「ここに居てくれるだけでいい。生きていてくれるだけでいい」と伝えました。
時間はかかりましたけれど、娘のおかげで「この世に意味がないことはない」という想いはだんだん強くなっています。
障がいを持つ人をサポートするために社会福祉主事任用資格を取得!
――障がいを持つ方をサポートするにあたって、どんな資格を取りましたか?
47歳の時に介護職員初任者研修と実務者研修を受けました。介護職員初任者研修は介護職をする人が持っていなければならない資格で、例えばオムツを替えるときはどうするのかなど、介護する上で何に注意すればいいのかなどを学びました。
実務者研修では看護師と一緒に介助する方法などを勉強しました。そのあと、実際に施設で働きながら社会福祉主事任用資格を取りました。より実践的な技術を習得できましたし、障がいの度合いや個性について深く学べたので、今の仕事にもすごく生きています。
――「障がい者」というくくりではなく、一人一人の個性を見なければならないんですね。
「障がい」は私たちが判断することではありません。社会の中で生きづらさを感じている部分が障がいなんです。生きづらさを感じていなければ、それはもう障がいとはいえません。
例えば、自閉症といっても人によってさまざまな特性があります。「この人はここを工夫すればこんなこともできる!」など、一人一人、個性に合わせたオーダーメイドが必要なんです。生きづらさを感じている人には、少しでも困っている幅を狭くするようなサポートができればいいと思っています。
――最初に勤めたのはどんな施設ですか?
私が勤めていたのは就労継続支援B型事業所です。障がいを持っている方が一般の企業に就労するには不安がありますよね。訓練をして就職をサポートしたり、ここで工賃が受け取れるような作業のサポートをしたりしていました。
――作業所ではどんなことをしていたんですか?
段ボールや緩衝材に使われているものを組み立てたり、お菓子やタバコの箱を組み立てたり、お菓子を焼いて袋詰めにして販売したりしました。
――どんなサポートが必要になるんですか?
障がいによって難しい作業があります。それをどうにか工夫して、納期までに完成させなければなりません。
例えばシャーペンに決められた本数の芯を入れる作業の依頼があったときは、細かな作業が苦手な人には芯を通す長い筒のようなものを作ったことがあります。それぞれの障がいに合わせた工夫をして、作業をしてもらっていました。
――作業所の支援員から、子どものための指導員になったのはどうしてですか?
大人ばかりの作業所に勤務しているなかで、子どものうちからサポートしておけば「もっと多くの作業ができただろうな」、「もっと集中して取り組めただろうな」と思うことがあったんです。
大人になってから訓練するより、子どものうちから身につけた方が、本人もサポートする側も早く対応できると感じていました。そのために自分は何ができるのか…と考えたとき、児童指導員になることを思い立ったんです。
知的障がいのあるお嬢さんの成長を見守りながら、就労継続支援B型事業所で障がい者のサポートをしていた武藤さん。
後編では、児童指導員になって感じた葛藤や、子どもたちの可能性を信じるようになったこと、これから児童指導員を目指す人へのアドバイスをご紹介します。
撮影/森 浩司