シップナースとコロナ看護の経験を活かし、国境なき医師団に【介護・看護・リハビリ業界のお仕事企画 国境なき医師団 看護師 佐藤太一郎さん】#1
業界のさまざまな職業にフォーカスして、その道で働くプロにお仕事の魅力や経験談を語っていただく連載「介護・看護・リハビリ業界のお仕事企画」。今回は、国境なき医師団 看護師の佐藤太一郎さんにお話を伺います。
大学病院の高度救命救急センターから看護師人生をスタートさせた佐藤さん。救命救急を一言でいうと、病気やけがで重症な人たちの命を救う現場だそう。佐藤さんは、そんなハードな仕事を5年間続けた後、アメリカの船会社でのシップナース、ダイヤモンドプリンセス号でのコロナ集中治療の経験を活かし、国境なき医師団への参加を果たします。
お話を伺ったのは
国境なき医師団
看護師 佐藤太一郎さん
東海大学医学部看護学科卒業後、同病院の高度救命救急センター入職。5年勤務した後、海外留学や途上国での医療ボランティアを経験。2019年アメリカの船会社で国際船看護師として活動。その後、国境なき医師団として緊急医療支援・コロナの集中治療プロジェクトに携わり、イラク、パレスチナ、イエメンの活動に従事。現在は国境なき医師団のイベントや講演にも数多く登壇。
自分が最初に手を差し伸べられる人になりたかった
「通っていた高校の付属大学にも看護学科はありましたが、女性のみの募集だったので他大受験。6ヶ月間猛勉強して第一志望の東海大学医学部看護学科へ入学しました」(佐藤さん)
――まずは佐藤さんが看護師を目指した理由を教えてください。
高校まで野球部だったので、ケガに立ち会う場面が多かったんです。そのときから出血していたら止血、骨が折れている可能性があるなら固定とか、ケガの処置には興味がありました。元々救命救急に憧れていたこともあり、自分が最初に手を差し伸べられる人になりたかったんです。
高校では、体育と音楽と生物の成績だけはよかったので医療系もありかなと。その選択肢としてあったのが、救命救急士・医師・看護師の3つ。当時、救命救急士を目指す大学はごく少数しかなく、倍率も高かったため断念。で、救命救急の看護師を目指すことにしました。
――はじめて勤務したのはどちらの病院だったのですか。
卒業した東海大学付属病院の高度救命救急センターに入職しました。一口に救命救急と言ってもヘリコプターがある病院かそうでないか、24時間常に緊急手術ができる救命センターなのか、それぞれ違います。その違いを自分の目で確かめたくて、関東はもちろん関西方面へも足を伸ばし、日本の救命救急センターと呼ばれるところをいくつも見ました。その結果、日本でも指折りの高度救命救急センターだといわれている東海大学付属病院が、自分が思い描いていた仕事のイメージにもいちばん近かったので入職を決めました。
――高度救命救急センターには優秀な人しか入れないのでは?
うんとは言えませんが、高度救命救急センターは日本にも少ないので、全国から人が集まってきます。多くの新入職看護師が高度救命救急センターを志望するような競争率が高いところではありますね。たまたま自分のときは通常より多い40人を採用した年だったんです。
――佐藤さんはご自分のどんなところが評価されたと思いますか。
人の命を預かる厳しい職場なので、その環境下でも大丈夫なキャラクターには見えたのかもしれません。学力はもちろん大事ですが、総合力というか。入職しても辞めてしまったら育てられないので、長くそこに居られるかどうか。その厳しい環境にフィットできるかどうかはかなり見られていたと思います。
――評価はどんな形で?
基本的には面接と論文です。言語化する能力は問われると思います。
看護師1年目なんて何も知らない。必死にやっていたら3年経ってた
――高度救命救急センターでの様子を聞かせてください。
高度救命救急センターは、一言で言うと最先端の医療で重症の患者を看るところ。集中治療室があって、重症の方たちが救急車で運ばれてきます。イメージとしては人工呼吸器を使ったり、たくさんの薬や点滴が投与されているようなところで24時間患者さんの体の状態を把握しながら看護します。
例えば病棟では10人ぐらいの患者さんを看護師1人が受け持つのですが、救命救急センターでは1人か2人の患者さんを付きっきりで看護します。どこの病棟も大変ではありますが、すごく重症な方が救急車でバンバン運ばれてきて、患者さんがブワーッと入れ替わるのでわりと目まぐるしい環境ではありますよね。
――そんな環境にはすぐ慣れましたか。
元々血を見るのも大丈夫なタイプだったので、大きなケガとか人の命に関わる現場にはたぶん耐性があったのかなと思います。
でも入職して3年ぐらいは本当に必死でした。例えば循環器内科は心臓の病気の方を看る病棟で、脳神経外科は頭の病気を看る病棟ですが、高度救命救急センターは複数の診療科であることが多いので、いろんなことを知っていないといけない。でも看護師の1年目なんて何も知らない。必死にやっていたら、あっという間に3年経っていたという感じでしたね。
――どんなシフトで働くのですか。
当時の勤務体制は日勤が8時~20時、夜勤が20時~8時までの12時間交替制です。当時は昼昼夜夜のサイクルだったので、例えば月・火曜が日勤、水・木曜が夜勤。金曜朝に仕事が終わり、土日休み。それが火曜から始まる人もいれば水曜から始まる人もいて、基本的には週のどこかで2日連休ですが、結構きつかったですよ。
――重症な方を12時間付きっきりで看護するんですもんね。きついですよね。プライベートな時間はあったのでしょうか。
当時20代前半でしたが、夜勤明けの日も日中は自由時間になるので眠いながらも遊び、その夜飲んで寝て。そうやってがんばれば3連休です(笑)。
――高度救命救急時代に印象に残っていることは?
それまでの人生で人がそんなにバタバタ亡くなるような場面に居合わせたことはなかったので、それはすごい場所だなと思いました。こんな簡単に人って死んじゃうんだなと。まあ死生観みたいなものはちょっと変わりましたね。
シップナースとコロナ看護の経験を活かし国境なき医師団に参加
――高度救命救急センターに5年勤務された後、留学されたそうですね。留学の目的は?
英語を勉強するためにオーストラリアに行きました。もちろん日本人もいる環境でしたが、英語習得のためにできるだけオーストラリア人と一緒に野球したり、同じ時間を過ごすようにしていたんですが、2年後思ったほど喋れない自分がいたんですよね。
――2年で英語ペラペラになるのかと…。
自分でもそう思いました。でもその帰り道、ネパールとタイで医療ボランティアに参加したときに気づいたんです。英語って適当でいいんだと。英語が母国語じゃないネパールやタイでは、みんな適当な英語をペラペラ喋るんです。それを見てこういうことなんだと。それから英語に対するハードルがぐっと下がって、英語を話すことに抵抗がなくなりましたね。
――医療ボランティアではどんな活動をされたのですか。
日本のボランティア団体に紹介してもらい、ネパールで3ヶ月、タイで3ヶ月活動しました。ネパールでは山の中腹にある無医村に常駐して、地域医療をするのが任務。タイでは3ヶ月間ずっと救急車に乗っていました。ヘルメットを被らずにバイクに5人乗りとかする国なので、とにかく交通事故が多いんです。うわっ、重傷だなと思う患者も多かったですね。
――初の海外での医療経験はいかがでしたか。
救命救急での経験がありましたし、やることは一緒なので医療に対するハードルはまったくなかったです。でも相手が言っていることが分からない、自分が言いたいことが伝わらないことがすごくストレスでした。いまもそうなんですけど、それでモヤモヤすることはありますね。
――ボランティアが終わって一旦帰国されたのですよね。
はい。実は帰国したタイミングで国境なき医師団に採用がないか問い合わせたのですが、そのときは看護師の募集がなくて。採用されるにはフランス語も必要だと言われました。その間に何かできることはないかなと探して、募集もしていない海外の船会社に勝手にメールを送りつけたんです。
――すごい行動力ですね。
結構あるあるなんですよ。募集してないから人が足りているわけでもないことをオーストラリアで知り、そのときも40社くらいにメールしました。メールなんてクリックするだけじゃないですか。どうせ返ってこないし、100回送って1回当たるくらいにしか思ってないですよ。
――就活もそれくらいの気持ちで臨むといいのかもしれませんね。その1/100の確率で当たった会社ではどんなお仕事を?
アメリカの船会社だったんですが、お客様4000人、乗員1000人を乗せた国際船で医療を担当しました。飛行機と違って船にはびっくりするほど太っている人や車いすの人も。極端なことを言うと医療リスクがめちゃくちゃ高い人たちがたくさん乗っているんです。だから体の状態が一気に悪くなることも。でも船内は揺れるし、物もいっぱい積めるわけじゃない。そもそも病院じゃないので船が陸に着いて病院に搬送するまでの間をなんとか繋ぐというイメージですね。
――すごく限界がある中での医療活動ですよね。
めちゃめちゃ限界があります。でも実は船の仕事を選んだのもそこにあって、チームメンバーが少なくて医療資源も限られていて、できることも決まっている中で行う医療は、今後国境なき医師団に入ったときに絶対生きるなと思ったんです。
――結局船にはどれくらい乗ったのですか。
船に乗って7カ月目のときに、クルーズ船のダイヤモンドプリンセス号でコロナが広がり、看護師として緊急対応に参加することになりました。その前から、国境なき医師団の採用担当者に「その後英語の調子は? フランス語の勉強は進んでる?」とメールをもらっていたんです。
「船に乗ってがんばってます」と返信しつつ、結局ダイヤモンドプリンセス号に乗ることになり、船を降りてみたら世界中でコロナが蔓延。世界的にコロナの集中治療が必要な国がたくさん出たんですよね。そのときの自分は、シップナースとしての経験と、コロナの看護師として集中治療ができるという強みを持ち合わせていました。そんな看護師は世界を見渡してもなかなかいなかったので、それまでの経験と語学のスキルが認められて国境なき医師団に入ることができたんです。
後編では国境なき医師団にはどうやったら入れるのか、実際にどんな活動をしているのか詳しくお伺いします。
撮影/山田真由美
取材・文/永瀬紀子