シングルマザーになって始まった介護への道【介護リレーインタビューvol.60/生活指導員 石山麻衣さん】#1
介護業界に携わる皆様のインタビューを通して、業界の魅力、多様な働き方をご紹介する本連載。
お話を伺ったのは…
シェフズデイサービス茅ヶ崎
生活指導員 介護福祉士の石山麻衣さん
離婚を機に茅ヶ崎市内の養護老人ホームに就職。14年の勤務の間に介護福祉士などの資格を取得し、支援員、サービス提供責任者、生活相談員を経験する。2025年にシェフズデイサービス茅ヶ崎に転職し、現在に至る。
前編では、石山さんが介護業界に足を踏み入れたいきさつや、最初に勤めた養護老人で感じたこと、転職をするきっかけになってことなどをお話いただきます。
子育てしながら働ける仕事を探して、辿り着いたのが介護職

一男一女の母。離婚時は長女が幼稚園、長男は1歳だったとか。
――石山さんが介護職に就いたのはどんなきっかけがあったんですか?
離婚をして子育てしながら働かなくてはならない、切羽詰まった事情がありました(笑)。
――お子さんはまだ小さかったんですか?
長女が幼稚園で長男が1歳です。フルタイムで働くには子ども2人を同じ保育園に預けたかったんですが、長女から「幼稚園を変わりたくない!」と言われたので、高齢者の病院で調理補助のパートタイマーをしていました。この仕事は朝9時から3時までだったのでで、幼稚園のお迎えにも間に合うので、ちょうど良かったんです。
――働く時間が少ないと、お給料も厳しいですよね?
調理場の上司から「あなたはまだ若いんだから、資格を取ってフルタイムで働けるようにしなさい。資格を取るための休暇は取っていいから」って言ってくれたんですよ。
――すごくいい上司ですね。
働きながらヘルパー2級を取って、養護老人ホームに介護ヘルパーとして入社しました。
――その間、お子さんたちは?
私の実家が近かったので助かりました。朝6時に長男を実家に預けて、そのあと家に戻って長女の支度をして幼稚園に届けたら私はそのまま仕事に行って、お迎えは両親にお願いしていました。仕事帰りに実家に寄って子どもたちをピックアップする、という毎日でしたね。
――仕事に慣れるまでは、大変だったでしょう? しかも家事と育児もあるし。
実は当時の記憶があまりないんです(笑)。あまりに忙しすぎたせいかもしれません。もう一度同じことをやれと言われたら、絶対に断ります(笑)。
――介護の仕事がどんなものなのか、ある程度は分かっていたんですか?
別れた夫の実家で祖父母の介護を手伝っていたこともあって、「介護ってこんなことなんだな」というのは分かっていました。なので、抵抗はなかったですね。
――ヘルパー2級のほかに、介護福祉士の資格もお持ちですね?
養護老人ホームに勤めて3年ほど経った頃、「資格を取るなら受験料を負担する」と言われたんです。国家資格を持てる機会はそうそうありませんし、資格を持っていれば役に立つだろうと思って受験しました。
生活相談員になって初めて感じた、底なしのストレス

介護ヘルパーから始まって、着実にキャリアアップした石山さん。最後の4年間は生活相談員をしていたとか。
――最初にお勤めした養護老人ホームはどんな施設だったんですか?
100人規模の施設でした。最初のうちは介護の現場だったので、みなさんと直接ふれあえてすごく楽しかったんですが、現場以外の仕事が増えてくると事務所で作業する時間が長くなってしまって。声をかけてくだされば、私も「なに?なに?」ってお話しできるんですけど、利用者さんから「忙しそうだったから、声をかけなかった」って言われると寂しかったですね。
――石山さんはすごく順調にキャリアアップしていますよね。
すごく恵まれていたと思います。研修の機会や社内試験を受けさせてもらったり、生活相談員も担当していた職員が辞めるタイミングで「やってみないか?」って声をかけてもらったり。自分から「これをやりたい!」って言っていないんですけれど。
――キャリアアップしていく中で、いちばん難しかったのは?
サービス提供責任者から生活相談員になったところですね。サービス提供責任者までは現場の仕事なんですが、生活相談員になると利用者と接することがほぼなくて、目に見えない仕事が9割。頭も使ったし心も使いました。ご家族やケースワーカー、市役所、弁護士とのやり取りが増えましたね。
――前の職場ではどんなことを?
行政からの委託でお金がない、親族がいない高齢者も受け入れる施設だったので、外部とのやり取りが多かったんです。なかには警察とやり取りしなければいけないケースもありました。
――仕事量がものすごそうですね!
分からないことばかりだったので、生活相談員になって1~2年目はお金のこと、法律のこと、保険のこと、相続のことなどいっぱい勉強しました。
――ストレスは溜まりませんでしたか?
しんどかったです。「受け入れてほしい」と依頼があって、私も「受け入れたい」と思っても、現場ではもう手一杯で受け入れられない場合もあります。適当な返事ができないのがもどかしかったですね。
――「しんどさ」をどう乗り越えていたんですか?
施設から一歩出たら仕事のことは考えないようにして、家に仕事を持ち込まないようにしていました。
それでも、息子からは「楽しくなさそうだね」って言われましたけど(笑)。
――それでも生活相談員を4年間も続けたのはすごいです。
この仕事ってゴールがあるわけではなく、達成感を感じられる機会はそうありません。感謝されることがモチベーションに繋がっていると思います。
――石山さんのモチベーションを上げたのはどんなこと?
利用者のお一人が亡くなって、親族に連絡を取りました。でも、亡くなった方に対して嫌な思い出しかなくて「いっさい関わりたくない」と。それでも今後の手続きがあるので、お目にかかるたびに親族のお話を聞いていました。別に相談に乗るとか説得するとかではなく、お話を聞くだけだったんですが、最後に「石山さんにお話を聞いてもらえて良かった。私もあなたみたいな人間になりたい」って、おっしゃってくださったんです。
――それは感動的なひと言ですね。
私よりずっと年上の方からそんな言葉をかけていただけて、今まで仕事をしてきて本当に良かったと思えました。
シングルマザーになって介護の世界に足を踏み入れた石山さん。順調にキャリアを重ねて生活相談員となったものの、業務の多さに身も心も疲れてしまいました。
後編では、転職を決意した家族のひと言、シェフズデイサービス茅ヶ崎に転職を決めた理由、介護職の魅力などをお話いただきます。
撮影/森 浩司