大学受験の失敗を機に料理人の道へ!【介護リレーインタビューvol.62/介護事業部 料理長 加藤利亮さん】#1
介護に携わる皆さまのインタビューを通して、業界の魅力、多様な働き方をご紹介する本連載。
お話を伺ったのは…
(株)ソーシエ
介護事業部 料理長 加藤利亮さん
調理師免許を取得後、(株)三笠会館に就職。その後、中国料理の名店『揚子名菜泰淮春』に名を改めた店舗に勤める。10年後に独立を果たすが、3年後『楼蘭』、『BAR IMPRESSIVE』に勤務する。2014年より(株)ソーシエの介護事業部の料理長に就任する。料理の腕を振るいながら、漢方養生指導士、野菜ソムリエ、ハーブコーディネーターの資格を取得する。
(株)ソーシエの介護事業部では、「おいしいと笑顔が溢れる場所」をコンセプトに、高齢者介護の「シェフズデイサービス」を展開しています。その要となるのが、美味しい食事。料理長としてメニューを考案しながら、神奈川県内の5つの施設で腕を振るっている加藤利亮さん
前編では。加藤さんが調理師免許を取得したきっかけ、和・洋・中から中国料理を専門に選んだいきさつ、介護施設事業部に転職を決めるまでのお話を伺います。
大学受験に失敗。手に職をつけるべく調理師専門学校へ

加藤さんが調理したシェフズデイサービス青空でのランチ。味はもちろん、彩りの美しさも絶品!
――加藤さんが調理師を目指したのはどんなきっかけですか?
簡単に言ってしまえば、大学受験に失敗したからです。この先どうするかを考えたとき、「料理に興味がある」、「手に職をつけたい」という気持ちから調理師専門学校に進もうと決めました。ただ、専門学校もすでに応募を締め切っていて、進学できるのは翌年になっちゃったんですね。
――10代は多感ですよね。周りが年下ばかりで辞めたいとか思いませんでしたか?
専門学校の授業料は結構高くて、親に迷惑をかけてしまったので、「辞めたい」とは思わなかったですね。もう背水の陣を敷いていました。
――調理師専門学校では、和洋中の全般を習うんですか?
2年間の学生生活のうち、実習研修が3回ありました。ひと月ほどレストランへ泊まり込みで入って、和洋中のいずれか希望する料理を習うんです。当初、自分は和食を希望していたので軽井沢のホテルにある和食レストランで修業しました。
――いかがでしたか?
研修期間中、一度も包丁を使わせてもらえなかったですよ(笑)。朝早くから野菜を洗ったり、大根や山芋をおろしたり、洗いものをしたり。朝から晩まで下働き。中国料理を習いに行っている同期たちは包丁を持たせてもらっているし、簡単な調理を任せられてるのに。
――和食は厳しいんですね。
1年目が終わって、「2年目の研修先をどうしよう」考えたとき、思い切って中華に変更しました。親に相談したとき「中国料理なら、本格的な料理店でなくても町中華もあるしラーメン屋もある。食いっぱぐれはないかも」と言われました。自分が挫折したときに、何通りかの道が選択できる方がいいんじゃないかと。
――確かに、中国料理の幅は広いですね。進路を変更していかがでしたか?
研修先で、いろいろなことを体験させてもらいました。中国料理に変更して本当に良かったです。
有名店を渡り歩き、料理長も経験。それなのに介護事業部へ転職

もともと食べることが好きだった加藤さん。食に対する興味から調理師の道へ。
――専門学校を卒業してからは?
銀座にある三笠会館に就職して中国料理を担当しました。同じ三笠会館ですが、中国から揚州料理特一級の調理師を招いて『揚州名菜泰淮春』に名前を改めたんです。そこで、本場の調理師からいろいろなことを学びました。
――本場の味を学べたんですね。
自分の中では、中国料理をやるなら中国へ行って本場の味を習うべきだと思っていたんですよね。日本人の作る中国料理は見栄えはすごくキレイだけど、「本場ではどうなんだ?」という疑問が常にあったので、すごくいい機会でした。
――奥が深そうですね。
中国から招聘された調理師から直接学ぶことができました。研修で中国にも行かせてもらって本場の味や雰囲気を学べたこともいい経験です。
――お店からも期待されていらっしゃったんですね。何年くらいお勤めだったんですか?
10年です。期待されているのは何となく感じていましたが、有名店で大きな店であるほど、新しいメニューを考えるにも現場の意見だけでは決められないことが分かってしまったんです。料理長になっても、現場を知らない人たちの意見に従わなければなりません。それなら独立して自分のやりたいようにやろうと考えました。
――お一人で始めたんですか?
友人と二人で始めました。運悪くリーマンショックと重なって、軌道に乗せられませんでした。
――たいへんな時期と重なっちゃいましたね。
店を閉じたとき、中国料理から離れようかとも思ったんです。店をやっているときに「この野菜はこんな体調の時にいい」とか、「この野菜に含まれる栄養にはこんな働きがある」とか、そんな提案をしながら料理ができたら面白いだろうなと思ったんですけど、料理人が言ってもあまり説得力がなかったようで(笑)。栄養については野菜ソムリエとか管理栄養士が語る方がいいんですね。それで店を閉じてから、野菜ソムリエの資格を取りました。
――その後は?
中国料理店の楼蘭から「オープン予定の2店目を任せたい」と声がかかりました。そこで料理長として2年働いて、お酒と中国料理をコラボしたバーで1年ほど働きました。
――その後に(株)ソーシエの介護事業部ですか?
そうです。専門学校で同期だった友人の弟が(株)ソーシエの社長で、友人が自分を推薦してくれたようです。
――今までのキャリアを伺うと、介護施設への転職はギャップを感じます。介護に関心があったんですか?
正直に言えば、まったくありませんでした(笑)。
社長から「従来の介護食ではなく、レストランのようにクオリティの高い食事を提供できるデイサービスを作りたい」という話をいただいて、転職することに決めました。
――一般の食事と介護食とでは違いはありますか?
自分は常に中国料理を礎にしたコックであり、介護食を作る調理師とは思っていません。その上で要望があればペーストや刻み食を作ります。でも、ミキサーで細かくするだけだと、どうしても見た目が汚いんですよね。だから湯がいたニンジンを加えたり、ピーマンの青みを加えたり、見た目も楽しめるように工夫しています。今まで培ってきた技術を応用して、五感で美味しさを感じられる食事を提供したいと思っています。
名だたる中国料理店で技術を学び、腕を振ってきた加藤さん。(株)ソーシエの介護事業部に転職し、料理長となって今年で11年目を迎えます。後編では、デイサービス施設で感じた嬉しかったこと、予期せぬピンチをいかに乗り越えたか、料理の勉強のために海外で食べ歩きをしていることなどをご紹介します。
撮影/森 浩司












