お客さまの実家を継ぐためにお茶の水から川崎へ!【介護リレーインタビューvol.66/ヘアサロン スイッチ オーナー 野村貴子さん】#1
介護業界に携わる皆さまのインタビューを通して業界の魅力、多様な働き方をご紹介する本連載。
お話を伺ったのは…
ヘアサロン スイッチ
オーナー 野村貴子さん
1997年に理容師免許を取得。三鷹の住宅街にある理容室でインターン時代を過ごし、その後、お茶の水にある老舗の理容室で腕を磨く。川崎で40年間サロンを営んできた前経営者から店舗を譲り受け、2002年に独立開業し、現在に至る。
野村さんにとって縁もゆかりも無い川崎の地で開業して20年あまり。前編では野村さんが理容師を目指した理由、三鷹の住宅地にある理容室からお茶の水の老舗店へ転職した想い、前経営者からお店を譲り受けたいきさつなどをお話いただきます。
美容師だった母の助言を受けて理容師の道へ

お茶の水にある老舗の理髪店で働いていた頃のスナップ。ここで接客や技術の腕をさらに磨いたそう。
――野村さんが理容師になったのはどんないきさつから?
高校生のとき「食いっぱぐれない仕事は何か」と考えたとき、思いついたのが美容師か看護師でした。看護師になるのはちょっと難しそうだし、研修や解剖で血を見るのは耐えられないだろうと(笑)。それで髪を切る道を選びました。
――美容師と理容師がありますが、理容師を選んだのはなぜですか?
実は私の母が美容師をしていて、「同じ道に進みたい」と相談しました。そうしたら「美容師は女性が多い。あなたの性格は床屋の方が合っている」ってアドバイスをしてくれたんです。先見の明がありますよね。それで理容師を選びました。
――お母さまは美容師だったんですね。「継いでほしい」とか言われなかったんですか?
言われませんでした。うちは代々美容室をやっている家庭ではなく、父は一般的なサラリーマンで、母はいきなり美容室を始めてしまったんです。母のサロンには母目当てのお客さましかいないので、私が美容師になってお店を継いだとしても、母のお客さまを受け継げないでしょう。
――なるほど。理容師の資格を取って、最初にお勤めしたのは?
三鷹の住宅街にある理容室です。ここでインターン時代を過ごしました。その後にお茶の水にある老舗の理容室に転職しました。
――転職したのはなぜですか?
住宅街にある理容室ならではというか、ひとりひとりのお客さまとの関係が深くなる感じがとても心地いい反面、そこから先に発展しないというか。まだ20歳そこそこだったので飽きてしまった部分もあって、「理容師以外の仕事に就きたい」と思った時期もありました。
――そうなんですか!?
実は海外で働きたいってずっと思って、ワーキングホリデーでカナダへ行くつもりでした。でも「なぜカナダへ行きたいのか」って聞かれたとき、自分にはハッキリした理由が思いつかなかったんです。それで、自分の個性をアピールできるものを手に入れようと考え直して理容師の道に戻りました。
――老舗の理容室へはどのような経緯で?
学校の先生に相談して、紹介してもらいました。
私より12歳も年上の先輩たちがたくさんいて、技術的なことをたくさん教えてくれたんですよ。それがすごく楽しくて、「この店に骨を埋めよう」と思っていました。
「戻って来てもいい」というひと言で川崎の理容室を継ぐことに

ご自身も肌が敏感でアレルギーをたくさん持っているため、サロンで使用するすべてのアイテムにこだわりを持って選んでいるそう。
――お茶の水のお店から、なぜこちらへ?
三鷹の理容室に勤めていたときのお客さまが、ここの前経営者の息子さんだったんです。「実家が理容室をやっていて、だれも継ぐ人がいない。やってもらえないか?」って、提案されました。
――そんなことってあるんですか?
息子さんは理容師ではなく、店の経営に興味も無い(笑)。でも、お父さまがやっていたお店が無くなると、ずっと通っていた方たちが困ってしまう。お父さまとタイプが似た人が店を続けてくれれば、お客さまも安心して通い続けてくれるだろう…と思ったようです。
――野村さんがお幾つのときですか?
25歳です。居抜きで調度品もすべてそのまま引き継げたので0円で済みましたが、マンションの保証金だけは必要で300万円かかりました。
――すごい幸運ですよね!
私は人を見る目に自信が持てない人間ですが、人のご縁には恵まれていると思います(笑)。
お茶の水のお店から「お店が上手くいかなかったら、こっちに帰ってきていいよ」と言ってもらえたのも、「やってみよう!」と踏み出す勇気になりました。
――野村さんは川崎が地元ではないですよね?
川崎には縁もゆかりもありません。ただ前経営者さんのお客さまがそのまま通ってくださったので、借金の返済や家賃の支払いに問題はありませんでした。プラス私のお客さまを増やしていった感じですね。
前経営者さんはこの店のすぐ裏にお住まいで、会えば挨拶もするけれどお店にはいっさいノータッチ。「このお客さんは、こういう接客を」とか、そんな引き継ぎもありませんでした。すべて私に任せてくださったんです。へんな固定概念というか先入観を与えられなかったのも、ありがたかったです。
お母さまのアドバイスで理容師になった野村さん。老舗の理容室にお勤めの時に前経営者のご子息からスカウトされ、店を引き継ぐことになりました。
後編では、発達障がいのお子さんを受け入れるようになったきっかけ、どのような心構えで接しているのか、この仕事に就こうと考えている方へのアドバイスをご紹介します。
撮影/森 浩司












