学生時代の部活動の経験をきっかけに、サラリーマンからパーソナルトレーナーに転身!【もっと知りたい「ヘルスケア」のお仕事Vol.118 パーソナルトレーナー 倉田勇樹さん】#1
ヘルスケア業界のさまざまな職業にフォーカスして、その道で働くプロにお仕事の魅力や経験談を語っていただく連載『もっと知りたい「ヘルスケア」のお仕事』。
今回は、東京恵比寿駅にあるボディメイクジム「KEYFIT恵比寿」にて、パーソナルトレーナーをしている倉田勇樹さんにインタビュー。前職はサラリーマンだった倉田さんが、会社を辞めてパーソナルトレーナーを志した経緯とは? その背景を伺うと、学生時代の部活動が影響していたようです。
前編では、パーソナルトレーナーを目指すきっかけになった理由、サラリーマンから転身するために準備したことなどを詳しくお聞きします。
お話を伺ったのは…
パーソナルトレーナー 倉田勇樹さん
大学卒業後、金属加工会社の営業職を7年勤務。退職後はパーソナルトレーナーを目指し、「KEYFIT恵比寿」で4ヶ月研修をしたのちにパーソナルトレーナーとしてデビュー。現在は、デビューして5年目。ボディビルやダイエットなどの筋力トレーニング以外にも、体の不調に対するアドバイスなど、幅広い客層に支持されている。
30代を目前に、サラリーマンからパーソナルトレーナーに転身
――パーソナルトレーナーへの転身は、学生の頃の部活動が関係していると伺いました。転身するまでの経緯をお聞かせください。
僕が学生時代に所属していた柔道部には、当時オリンピック選手に選ばれていた石井先輩が在籍していました。その付き人に、なんと数いる部員の中から僕が選ばれたのです。指名されてから半年間は石井選手のそばで寝泊まりをしながらサポートをしていて、体育会系ならではの上下関係もあったので逆らえません。指示されたことを何でもこなす毎日は確かに大変でしたが、石井先輩ご自身が努力を重ねて北京オリンピックで金メダルを獲得し、サポート役だった僕もこの経験は成功体験として心に残っています。のちにパーソナルトレーナーに転身する理由の一つになりましたね。
パーソナルトレーナーに興味を持ったのはサラリーマンになり、社内に柔道部がつくられたとき。会社の部活動にもかかわらず、トレーナーを呼んで本格的に練習をしていました。ちょうどそのときの僕は30代に突入するタイミングで、仕事を続けるのか考えていたことや学生時代に人をサポートしていた経験が頭をよぎり、間近にいたパーソナルトレーナーを見て、興味を持つようになったんです。
さらに、周りの人たちの仕事への姿勢を見て影響を受けて決心がつきました。例えば、サポートしていた石井先輩は柔道で金メダルを獲ったあと、すっぱり引退して格闘技に転身しています。僕が通っていた公立高校で部活動の顧問をしていた先生も、仕事を辞めて整骨院を開院し、オリンピック選手を育てるための柔道場を立ち上げたんです。そういった新しい分野に挑戦する人の姿を見たり聞いたりするうちに、僕も挑戦したい気持ちが既に構築されていたのだと思いますね。
――自身の経験と周りの環境の変化により、決断したのですね。どんな準備をしたのですか?
まずは、妻から理解を得ること。このとき僕は既に結婚をしていたので、妻に相談する必要がありました。話してみたところ妻は収入面を懸念し、反対されてしまって。辞めてからも生活はできると退職後を想定した家計簿を作成し、本気度合いが伝わるように毎日熱心にトレーナーの中でも有名な資格の勉強に励む姿勢をアピール。本気度合いが伝わったのか、妻は応援してくれるようになりました。
また会社からも引き継ぎを1年以内に終わらせる約束で、退職の意向を承諾していただいて。退職に向けた準備をしながら約1年間勉強を続け、その2ヶ月前には「KEYFIT恵比寿」代表の久野に弟子入りの連絡を入れました。
新しいことに挑戦するために必要なことは「すぐに結果を求めないこと」「自己分析を怠らないこと」
――久野さんを選ばれた理由は?
将来を考えたとき、久野の働き方が理想だと思ったからです。
パーソナルトレーナーの仕事は時間を拘束されるイメージがあって。仕事はもちろん大切ですが、僕は一緒に暮らしている妻や愛犬との時間も大事にしたい気持ちが強かったんですね。そんなとき、奥さんとお子様がいながらトレーナー職をしている久野のことを知りました。僕が久野に共感したのは家族との時間を大事にするために、トレーナーの職業を確立させたいと語っていたところ。僕も同じ考え方だったので、久野のもとで学ぶことを決意したんです。
――ご自身の理想や環境に近い方を目標にすることが大事なのですね。
そう思います。会社員で言うと、会社にいる先輩を見ながら何年後にはあんな風になりたいと思うのと一緒で、自分の目標や将来像を固めておくことは大事だと思います。
――理想とする方のジムでトレーナーデビューを目指したのですね。
会社を辞める1ヶ月前の有給期間は、徹底的に勉強に励みました。ほかにも、久野とトレーニングをしたり、研修会に出席して意見交換をしたり…ビジネスセミナーや大学教授のゼミを受講するなど学びの多い期間でした。
退職するタイミングで収入が途切れること、接客や集客のノウハウなども学びたいことが重なって、久野の紹介を受けてフィットネスクラブでアルバイトをスタート。「KEYFIT恵比寿」で学びながら、フィットネスクラブのアルバイトで収入を得ていました。
――どんなフィットネスクラブだったのですか?
そこは大手フィットネスクラブの中でも最上ランクで入会金が1人300万円ほどかかる高級クラブジムでした。想像はしていましたが、高級な分ホスピタリティもとても高く、接客を学びたかった僕としてはとても良い経験になったと感じています。
――どのような経緯でデビューを?
久野からトレーナー試験を提案されて合格できたことで、脱・サラリーマンをしてからようやくパーソナルトレーナーとしてデビューしました。
――改めて、新しいことに挑戦するために必要なことは?
すぐに結果を求めないこと、自己分析を怠らないことだと思います。
人によってペースは様々です。新しいことに挑戦したらすぐに結果が出るイメージをしてしまうと、最初の段階で挫折しかねません。僕は高校生の頃、入部した直後は後ろから数えたほうが早いくらいでしたが、3年になるとキャプテンになり、サラリーマン時代も3年目には仕事にも慣れて自分のペースで仕事が回せるようになっていました。その経験から、僕はすぐに結果は出せないけどコツコツ続ければ上手くいくタイプだと自分を知ることができました。
自分を知ることは、自分に合ったペースで確実に目標を達成するためには必要なことだと思いますね。
取材・文/東 菜々(レ・キャトル)
撮影/SHOHEI