CHIHARU interview #1:元タカラジェンヌのヘアー&メイクアップアーティストに迫る!
今回は、元タカラジェンヌで男役スター『矢吹翔』として活躍した経歴を持つヘアー&メイクアップアーティストのCHIHARUさんにインタビュー。宝塚歌劇団には専門のヘアメイクがおらず、1人ひとりが自分の顔と向き合い、メイクもヘアも自らセットし、演じる役ごとにセルフプロデュースを行います。生まれ持った顔、客席から見たときの自分と真っ正面に向き合い、どうしたら美しく見えるかを日々研究しています。
今回は、そうして培われた美の哲学についてCHIHARUさんに伺いました。前編では、美容業界に興味を持ったきっかけや、宝塚歌劇団時代のエピソードを語っていただきます。
宝塚歌劇団の華やかさに魅了された子ども時代
――そもそも、美容業界に興味を持ったのはいつ頃でしょうか?
「幼少の頃から、母の口紅やハイヒールを履いて遊んでいるような子どもだったので、潜在的に美しいものが好きでしたね。今の道に進む大きなきっかけになったのは、小学校2年生の時に初めて宝塚の『ベルサイユの薔薇』を観たことです。そのあまりの華やかさに魅了され、『私は宝塚に入る!』と決心しました。その後、バレエや書道、英会話など8つほど習い事をしながら宝塚に入学するために勉強を始めたんです。試験の半年前には、始発の新幹線に乗り宝塚まで足を運んで勉強していましたね」
人として大切なことを教わった宝塚での日々
――宝塚歌劇団に入団した当時のエピソードを教えてください。
「寝る時間がないほど忙しい毎日でした。たとえば、朝は7時から9時まで生徒が自主的に掃除をする時間があるんです。私は1階のトイレの責任者をしており、しきたりで毎朝始発の電車に乗り、お手洗いに飾るお花を買いに出かけていました。また、その日の掃除内容を上級生に報告することが義務づけられいたんです。『本日の朝、昨日までピンクの薔薇だったお花を、ブバリアに変えさせていただきました』といったような内容を伝えなければなりませんでした。授業中も眠たくて仕方がなく、とくに体操の授業で床に横たわると気づいたらみんな寝ていて、先生が号令をかける時に『1、2、3、寝ないでー、5、6、7、ハイ起きて―』と生徒を起こす言葉が入っていましたね(笑)」
――とくに、辛かったできごとはありますか?
「少しでも失礼なふるまいをすると厳しく指導されたので、上級生が本当に怖かったです。しかし、そのおかげで同級生同士がかばいあい、絆が生まれます。それがラインダンスなどの団体芸術に生きてくるんです。みんなの気持ちをひとつにして完成させる芸術の素には、上級生に立ち向かおうという団結力が働いていました。その経験があるので、ひとに何かを指摘する時は言われる側の気持ちを理解したうえで叱ることができます。振り返ってみると、宝塚では人として大切なことを教わりました」
憧れの先輩からメイクを学び挑んだ初舞台
――初舞台ではどのようにメイクをしましたか?
「初舞台の時はみんな憧れの方のプロマイド写真を買い、参考にしながらメイクをするんです。私はプロマイドに定規で線を引き、方眼紙状態にして比率を分析し、自分の顔に当てはめてメイクをしました。また、その方にメイクを教えてもらうために手紙を出したところ、実際に寮に足を運んでくれて、初舞台の前に3回ほどメイクの指導をしてもらいました」
子どもの頃から、気になったものやすすめられたものは、すぐに試していたと言うCHIHARUさん。「考えすぎてもうまくいかない」と、自分の直感を信じて行動を続けてきたそうです。その姿勢が、雑誌、CM、宝塚歌劇団の公演ポスターなど幅広く活躍する現在の姿に繋がっているのではないでしょうか。中編では、ヘアメイクを志したきっかけや、実際に働くなかで気を付けていることについて伺いました。
Profile
CHIHARUさん
ヘアメイクアップアーティスト。Love me 塾主宰
1986年に宝塚歌劇団第72期として入団。雪組と花組に在籍し、男役スター、矢吹翔として活躍。在団中からメイクの勉強を始め、国際ライセンスを習得。2004年に退団したあとは、プロのヘア&メイクアップアーティストとして独立。現在は、雑誌の表紙や女性誌のビューティーページ、CM撮影のヘアメイクのほか、宝塚歌劇団の公演ポスター、など幅広く活躍している。
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