朝井麗華 interview #1:『美』へのあこがれ、最愛の人との別れが今の自分を作った
メディアで見ない日はないほど、引っ張りだこの朝井麗華さん。「おっぱい番長」「くびれポリス」といった愛称で美容面での印象が強いが、実は、中国整体「推拿(スイナ)」の高い手技を有する、日本で数少ない整体師のひとりです。施術以外にもスクール、セミナー、講演会と、精力的に活動の場を広げる朝井さんに、今の地位を築くまでの経緯と、これからの目標を伺いました。
『好きなこと』=『仕事』ではなかった最初の就職
「小さいころから『美』には関心がありました。自分が可愛らしくなることはもちろんですが、母の眉毛を整えてあげたりマッサージをしてあげたりと、人の体に触れることにも興味を持っていましたね。でも、短大を卒業後、就職したのは臨床検査業界。当時は超氷河期で、厳しい現実を前に、こうなりたい、ああなりたいという願望はありませんでした。『美』を仕事にすることも考えませんでしたね。結局、偶然目に留まった臨床検査会社に入社しました。
結果的には、その選択でよかったと思います。会社では、血液検査や病理検査などのサポート業務を行っていたのですが、自然と医療知識が身につきました。今の仕事に生きていることも多いんです」
パートナーの病気がすべてのきっかけに
「最初の選択が間違っていなかったと思うのには、もう一つ理由があります。主人と出会ったことです。社内恋愛を経て結婚しましたが、半年後、主人のがんが発覚。余命3ヶ月の末期がんでした。手術はできませんし、抗がん剤も効かない。そんな中でも何かできることはないかと、がん患者向けの健康療法やアロマセラピー、ツボ押しなどの本をとにかく読みました。最終的にはホスピスへ入院したのですが、半身不随や腹水でむくんでパンパンになった足をオイルマッサージすることで、主人も救われた部分があったようです。
主人だけではなく、ホスピスに勤めているスタッフのみなさんにもハンドマッサージをしていました。特に、看護師さんたちは精神的に辛いことも多く、喜んでいただいたのが印象に残っています。そうしてマッサージを続けていたら、ある日気づいたんです。人の迷惑にはならないし、この手さえあれば時間も場所も選ばない。人の役に立てる最適なツールだ、と。
主人の入院中は、いろいろな方がお見舞いに来てくださいました。『できることがあれば言ってね』と、みなさん口々に言ってくださるんですが…。余命幾ばくもない人を前に、何をしていいのかわからなかったのだと思います。その気持ちが具体的な形になることは、ほとんどありませんでした。残念ではありましたが、そのことを通じて、口にするからには実行すると強く決意。私にとって、それは、少しでも人の役に立てる人間になることであり、その手段がマッサージだったんです」
セラピストのはずが、バーテンダーに
「主人が亡くなってアロマセラピストに…と思いきや、まずはバーテンダーに(笑)。ハーブティーもコーヒーも大好きで、それぞれオタク級に詳しかったのに、ハーブから成り立っているお酒については知らなかった。アロマセラピーはスクールに通うと決めていたので、お酒のことを学ぶためにバーテンダーとして働くことにしたんです。
職場は、完全なる体育会系。ホスピタリティをモットーにしていたので、少しでもサービスの気持ちが欠けていたら、アルバイト同士で胸ぐらつかんで『やる気がないなら帰れ!』と怒鳴りあうほどのスパルタさ(笑)。でも、ここでホスピタリティとは何かを学びましたし、できないことはノーとは言わず、代替案を提案してご納得いただくというような、サービスのスキルが磨かれました。
もちろん、並行してアロマセラピーも学び、アロマセラピストとしてもデビュー。繁忙期などに泊まり込みで入るような派遣業を通じて、リゾート地のホテルスパで働き始めました」
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