地方の美容師でも、都会のようなクオリティを叶えられる【美容師・凛太郎さん】#1
静岡県三島市にあるサロン「WAVY’S(ウェイビーズ)」で活躍する凛太郎さんは、県内で多くの方から支持を集めるスタイリストのひとり。地元の美容専門学校を卒業したあと、地方でも都会のサロンのようなスタイルが叶えられるようにと努力を重ね、技術をアップデートし続けている凛太郎さんですが、そこに辿り着くまでには地方ならではの葛藤もあったよう。
前編では、美容師になったきっかけ、地元のサロンで働くことを選んだ理由やそこでの葛藤について伺いました。
教えてくれたのは…
美容師・凛太郎さん
静岡県出身。静岡県東部の美容専門学校を卒業後、地元の美容室でアシスタント期間も含め約4年勤務。現在は静岡県三島市にある「WAVY’S(ウェイビーズ)」で、スタイリストとして活躍中。
RINTARO’S PROFILE
- お名前
- 凛太郎
- 出身地
- 静岡県
- 年齢
- 28歳
- 出身学校
- 静岡県東部美容専門学校
- プライベートの過ごし方
- 日光浴、古着屋、美味しいごはん
- 仕事道具へのこだわり
- 見た目がかっこよくてコンパクトなもの
「美容師はどこでもできる」地元・静岡県の美容室に就職
――まずはじめに、美容師を目指し始めたきっかけを教えてください。
高校3年生になって将来のことを考えていくなかで、学校に届いている求人票に目を通したら、自分の納得のいく未来が想像できなくて。冷静になって親にも相談しつつ、一方で日々の生活を振り返って「何をしているときが一番楽しいか」と考えたら、ちょうどその時期に髪のセットにハマってたんです。友達と髪のセットをしあったり、授業中にトイレに行ってセットの練習をするくらい没頭してました(笑)。
幼い頃から美容師を目指していたというより、そのとき自分にとって熱量を注げるものだったから、「一旦やりたいことをやってみよう」という思いで美容学校に進学しました。美容学校に行けば、自分のこれからのことがある程度見えてくるかなと。
――静岡県東部の美容専門学校を卒業したあと、そのまま地元のサロンに就職した理由は?
専門学校に入ってからバイトをすることを考えたときに、「美容師になるなら美容院でバイトしておいた方がいいな」って思っていて。地元の専門学校だったので、高校を卒業してすぐ髪型を変えていただいた美容院でその話をしたら、担当してくれた人が「バイトしてみる?」って誘ってくれたんです。ちょうど自分も考えていたことだったから、そのままバイトをさせてもらうことにしました。
その後もバイトを続けながら学生生活を送るなかで、東京へ行きたいのか、それとも地元に残るのかみたいな考えはずっとあって。結局のところ美容師という仕事に対して熱量が宿ったのが、スタイリストになって美容師としての自分個人の世界が見えてからだったので、そのときは身を置く場所に対して、そこまで強い意志では考えていませんでした。
自分のやりたいことができる場所を求めて転職
――現在は静岡県三島市にある「WAVY’S(ウェイビーズ)」に勤めている凛太郎さんですが、転職を考えたタイミング・その理由についても教えてください。
前職はアシスタントの期間も含めて、約4年ほどで退職しました。もっと自分のやりたいと思っていることを実現したいと思って、即行動に移しました。振り返ってみると、勢いな部分がかなり強かったと思います。
当時は自己集客っていう概念があんまりなかったので、予約してくれたお客様をサロンのなかにいる何人かのスタイリストで振り分けるみたいな形で。もっと数多くのお客様の髪を担当したいと思ったし、その気持ちが結構強く出ちゃっていたんだなと。振り返ってみると「自分だったらかわいくできる」「自分がこの地域のお客様をもっと担当したい」みたいな感じで、根拠のない謎の自信で動いてしまっていた部分があります。
今思うと環境のせいにしていたなと感じるけど、自分がやりたいことができる場所を求めて次のサロンを探すことにしました。このとき、東京に行きたい気持ちとも闘っていましたね。
――今は、凛太郎さんが求めていたスタイルができているんだなと感じられます。
自分でもそう感じます。一度転職して、今働いているサロンの代表は前職での先輩でもあって、バイト時代から可愛がってもらっていました。当時バイトの学生だった僕には、地元にこんなお洒落な人がいるのかと衝撃で、そんな方と一緒に働けるということも前職のサロンに入社することを決めた理由のひとつでもあって。それで今の代表が退職したことは自分のなかで大きな出来事でした。
今はまた直属の上司という関係になっていて、こうしろというよりはやりたいことをやって結果を出すことを尊重してくれるスタンスなので、今の僕がある理由の一端を担っていただいています。
都内に引けを取らない技術で、地方の人に新たな選択を
――地方で美容師をするということに対して、ご自身の中で葛藤はありましたか?
自分がやりたいことって、都内に需要が集まっていることなんですよね。だけどその場合は、競合が多い。飽和状態の場所で戦うことが東京の厳しさだとしたら、地方でやりたいことを実現したい自分に立ちはだかっているのって「地方の需要」なんです。自分がやりたいのは、地方の需要に合わせていくことなのか。それとも地方で困っている人たちの需要になるような仕事がしたいのかと考えたときに、自分は後者の方をやりたいと思って。
でもそれを実現するのには、やっぱり日々のサロンワークだったり、カリキュラムで学んでいく仕事だと、どちらかといえば「地方のお客様のなかでもより多い層に受けるスタイル」の技術が磨かれていくんですよね。そこで、自分がやりたいことをもっと磨きたいなとなっていって。
じゃあいざそれを形にしたいってなったときに、自分がInstagramで見るような都内のスタイリストさんがつくるスタイルとか、トレンドの最先端を行くようなスタイルって、今の自分の技術じゃ未知の領域だなってなったんです。どこがどうなっているかも分からなくて、それから自分のなかでスイッチが入り、ウィッグをたくさん切ったりして、今まで割と感覚や流れでやってきた部分を見つめ直して、できていないところを埋めてきました。
自分の実現していきたい方に向かって努力していくことを心がけていたから、やり方が地方の美容師のなかでは特殊かもしれないです。苦手を埋めるのとは違って、自分が強みだと思うことを伸ばすためみたいな。
――具体的にどのようなことをしたんですか?
頭にイメージしたものをより精度高く形にできるようにするために、実際に都内のサロンに行ってカットしてもらったりもしました。あと今はオンラインサロンもあるので、動画もたくさん買ってましたね。多いときは多分5〜6つくらいのカラー、カット、パーマに特化したオンラインサロンに入っていたと思います。それも今のサロンの代表が、同じように上手にネットを使って勉強をして、地方で今まで誰もやっていなかったことを形にしたことで、お客様がたくさん来るようになってたからなのもあります。完全に地方に新しい波ができていましたね。
地方に行けば行くほど、目立つのはダメなこと、足並みを揃える文化が強くなるので、守りに入るスタイルの方が需要があるとは思っています。ただより感度の高いほうのスタイルをやっていきたいってなったときに、やっぱそれって「地方だとそんなに需要ないよ」と言われることもあって。それが大多数の声のなかで、逆にその状況を覆したいっていう気持ちもありました。
まだその需要がつくりきれたとは言い切れないレベルだけど、徐々にできてきたと思います。もちろん地方のマニュアルが駄目なわけじゃないけれど、自分が磨きたいことと一緒なのかって言われたらそうじゃない。だから都内の人の技術を実際に足を運んでみたり、動画などを通して取り入れて、ウィッグで練習して、提供できるレベルに達したらお客様に提案してみる、というような感じでやってきました。
――今は、実際にこれまでやってきたことがいい結果として出ていると思いますか?
一生満足することはないけれど、1〜2年前と比べるとそう感じますね。やることを変えていっているなかで、今でも以前打ち出していたようなスタイルを求めて来てくれる方もいますし、自分を支持して足を運んでくださる方々の期待には必ず応えたいです。
あとは、打ち出しを明確にして解像度を上げていけばいくほど、自分の感覚を信じてくれるお客様がどんどん来てくれるようになりました。自分が合わせにいって違うなって思うくらいなら、自分が間違いないと思ってることをやって、それを支持して来てくれるお客様を最大限幸せにできる方が自分も幸せだなって。やっぱりやりたいことをできている方が自分も幸せだし、お客様もより幸せにできるかなと思っています。
自分のやりたいことを明確にし、実現するために努力を積んできた凛太郎さん。後編では、効果的なSNSの活用方法やアシスタント時代に学んだこと、今後のビジョンについてを伺っていきます。
取材・文/菊地菜々