原動力は「劣等感」。美容師としてのあり方を一通り経験し、僕たちだけの“アトリエ”を持つまで 私の履歴書 【サロンオーナー 五十嵐将寿さん・かやこさん夫妻】#1

東京の代官山と恵比寿のちょうど中間くらい、閑静な住宅街の中に佇む隠れ家のようなアトリエ「HAKUJITSU -晴空日-」。今回お話をお伺いするのはヘアスタイリスト兼ヘアメイクアップアーティストとして活躍中のオーナー・五十嵐将寿さんとネイリスト・かやこさんの夫妻です。

2024年3月9日にオープンした、ヘアサロンとネイルサロンが併設されたこの場所を“アトリエ”と呼び、愛おしそうな表情を向ける将寿さんとかやこさん。お二人がこの場所にたどり着くまでには、紆余曲折の物語がありました。

前編では、美容師として多くのことを経験しながら、ヘアメイクの世界にも挑戦してきた将寿さんの軌跡をお聞きします。

SHOJU’’S PROFILE

お名前
五十嵐将寿
出身地
長野県松本市
年齢
38歳(2024年8月時点)
出身学校
松本理容美容専門学校
憧れの人
「シンガーソングライター・俳優の松下洸平くんです。公私共に付き合いがあり、同年代なこともありますが、会うたびに刺激を受ける存在です。向上心が高くポジティブで、自身の弱い部分ともきちんと向き合っていて、かっこいいなとリスペクトしています」
プライベートの過ごし方
「家族と過ごす時間を大切にしています。息子がまだ小さいこともあり、車で出かけることが多いのですが、湘南の海の方までドライブしたり。僕の地元の長野県松本市は車でも行きやすいので、時々実家に帰省することも」
趣味・ハマっていること
家族とドライブしながらいろいろなところへ行くこと、ファッション
仕事道具へのこだわりがあれば
「サロンワークの道具をまとめているワゴンです。収納力抜群で使い勝手が良く、金属製の素材に職人気質を感じられて、気に入っています」

東京行きに出遅れた、その「劣等感」を胸に邁進。ヘアメイクにもトライ!

将寿さんが美容師になるきっかけとなったのは、「21歳の若さで自身のヘアサロンを開いたという、とてもチャレンジャーな美容師」だった

――早速ですが、美容師の仕事を志したきっかけを教えてください。

僕が美容師を志したのは、中学2年生の時です。当時は野球をやっていたのでずっと坊主でしたが、一時、髪を伸ばしていい時期がありました。その時、地元にできたおしゃれなヘアサロンへ行ったんですが、そこで出会った美容師さんとの会話がきっかけですね

――その美容師さんとは、どのようなお話を?

ちょうど中学校に進路希望先を提出するタイミングだったので、その美容師さんと進路の話になったんです。その時に「将来、何になりたいの?」って問いかけられて

中学の進路希望先といえば、基本的に進学先の高校の話になるじゃないですか。そのもっと先の、将来のことなんて考えたこともなかった。だから僕は、その方に「なぜ美容師になろうと思ったんですか?」と逆に質問したんです

――その答え、気になりますね。

理由は、大きく分けて2つありました。まず、自分の周りの身近な人たちの髪を切ることができる。すなわち、人生の中でどんどん増えていく大切な人たちに、自分の技術で関わり続けることができること

そしてもう1つが、美容師というのは一生満足しない、むしろ満足してはいけない仕事であること。これは時代と共に技術が進歩したり、流行が存在したりする美容業界ならではのことでもあると思います。

「だから、僕はこの仕事がおもしろいと思っているんだよね」と言ったその方の笑顔を見た時、直感的に「僕も美容師になろう」って思ったんです。こんな素敵な仕事はないな、と。

そこから美容師を将来の夢に据えて、高校は商業高校を選びました。その美容師さんとは、今でも繋がりがあります。

――その後は、美容の専門学校へ?

地元にある「松本理容美容専門学校」に進学しました。本当は都会の専門学校がよかったけれど、訳あって地元の学校を選びました。

しかし、僕の双子の弟が服飾の勉強をする為、東京に進学したんです。当時は地元にはしっかりとファッションを学べる場がなかったからなのですが、僕にはとてつもなく悔しかった。専門学校時代は、とにかくその劣等感でいっぱいで。この気持ちを糧に負けず嫌いな性格も手伝って、カリキュラムには真面目すぎるほどに取り組みました。反骨精神で尖りながらも、成績としてはいわゆる優等生だったかと思います。

それでもなかなか満たされずにいた当時の僕を救ったのは、「自分が一番いいと思っている道が、必ずしも近道だとは限らない」という父の言葉でした。この言葉があったからそのまま頑張れたし、今でも母校で講師として招いてもらうといったご縁もできました。

仕事道具一式を収納する、愛用のワゴン。この金属の素材感が、電設工業を営む職人の父を思い起こさせるという

――卒業後は、東京のヘアサロンへ?

はい。東京にある大手のヘアサロンへ新卒で入社しました。専門学校時代に、講師としていらしたそのサロンの美容師さんのカットが、抜群に上手だと思ったことが決め手でした。

けれど、特に1年目はほとんど先輩方から指示される雑用にかかりきりで、なかなかアシスタントとしてサロンワークに参加させてもらえなかったんです。ここでもまた、劣等感を味わうことになります。

――試練は続きますね…。

「やっと東京に出てきたのに!」と、とにかく悔しくて、営業時間を挟んで早朝と深夜に練習と勉強を重ねて実力をつけていきました

その頃、東京でスタイリストとして駆け出し始めた弟とも一緒に仕事をしたいという思いから、ヘアメイクにも興味を持ち始めていたんです。しかし当時は、男性がヘアメイクするということ自体がまだまだ珍しく、ヘアメイクの勉強が思うようにできずにいました。

3年くらい経った後、ヘアメイクアップアーティストの方がオーナーをしているヘアサロンに転職した僕の師匠だった先輩から、転職しないかと声をかけてもらいました。僕がヘアメイクの勉強をしたがっているのを覚えていてくれていたんですよね。これは渡りに船だと思い転職。サロンワークの傍ら、ヘアメイクアップアーティストとして活躍していたオーナーの下でヘアメイクの勉強をさせてもらうことになりました

共同経営によるヘアサロンの立ち上げで、人の上に立つ立場に

持ち前のカリスマ性と誰よりも努力を重ねる姿でスタッフを引っ張ってきたが、その心中では多くの葛藤を抱えていたという

――2店舗目から、本格的にヘアメイクの道にも参入されたのですね。

とはいえ、修行の日々でしたよ。「休みも、ヘアメイクに関しては報酬もいらないので、勉強のためにヘアメイクの現場に付き添わせてください!」とオーナーに直談判して、ヘアメイクの現場があればサロンの定休日関係なく帯同させてもらっていました。

休みなんてほとんどありませんでしたが、サロンワークとヘアメイクという、やりたいことを思いっきりできる環境は楽しくて充実していました

――その後のキャリアは?

2店舗目に移ってからも交流があった大手サロン時代の先輩と、共同経営でヘアサロンをオープンする話が持ち上がりまして。7年間ほどお世話になったそのサロンを退職して、新店舗のオーナー兼店長になったんです。1つの組織の中で、純粋に自分が一番上に立つという経験は、この時が初めてでした。その気負いもあったのかな、当時は、雑誌やヘアカタログなどといったメディアへの露出を通じたプロモーション活動も積極的に行いましたね。

しかし、僕自身もサロンワークとヘアメイクを両立したかったし、他のスタッフにもこの両立を求めてしまっている自分がいたんだと思います。技術の下積みのためには、以前自分がしてきたようにサロンワーク以外の時間を削る必要があるけれど、そういう積極性をスタッフたちに持ってもらうのは簡単ではなくて、周りとの温度差を感じてしまうことが増えていきました。

そんなことを積み重ねていった結果、共同経営者の先輩とも相談の上で、ここのサロンを去ることにしました。2019年のことです。

コロナ禍にフリーランスを経験したことが、今のアトリエを持つきっかけの1つでした

「美容師としてのあり方を一通り経験してきたからこそ、独立に踏み切ることができました」(将寿さん)

――共同経営のサロンを退職されてからは?

シェアサロンを借りて、フリーランスとして美容師の仕事を続けていました。2020年から2023年まで、3年間くらいですね。

――その時期はコロナ禍の真っ最中でしたね。

まさしく。多くのヘアサロンが一時的に店を閉める中、幸いにしてそのシェアサロンは店を開けてくれたんです。サロンワークとヘアメイクとの両立もできて、時代に沿った、柔軟な働き方ができていました。1人のお客様に対して、最初から最後までマンツーマンでする施術が自分に合っていると気づけたことも大きかったな。

――コロナ禍だったからこその発見があったんですね。

サロンに所属してのサロンワークから始まり、サロンの共同経営者として組織のトップに立ち、その後のフリーランスまでと、美容師としての働き方を一通り経験しました

それまでの軌跡を振り返ってみた時に「じゃあ、次は僕自身で独立しよう」と思ったんです。小さくてもいいから、自分のアトリエを構えたい。実は、そんな構想は前々から持っていましたが、コロナ禍でのサロンワークを通じた気づきが、実現に向けた一歩を踏み出すきっかけになりました

シャンプー・トリートメントやヘッドスパなどを行う、こだわりのシャンプー台。穏やかに差し込む日差しやモスグリーンの壁がナチュラルな雰囲気で、自然とリラックスできる


美容師としてのあらゆる経験を凝縮した、色濃いキャリアを歩まれてきた将寿さん。次なるステージは、自身のアトリエを持ち独立することでした。後編では独立後のキャリアに加え、共にアトリエを運営することとなるネイリストの妻・かやこさんとの出会い、息子さんも含めた家族との時間との両立についてお話を伺います。

撮影/野口岳彦
取材・文/勝島春奈

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Salon Data

HAKUJITSU -晴空日-
住所:東京都渋谷区恵比寿西1-27-10 三友第二マンション103
・HAKUJITSU:@_hakujitsu_
・五十嵐将寿さんのInstagram:@masakazu_igarashi_
・五十嵐かやこさんのInstagram:@kayako_okuda
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