映画「猿の惑星」がヘアメイクアーティストへと導いてくれました。
この世に手業を生業にしているサービス業はどれぐらいあるのでしょうか?手一つで人を喜ばせたり、疲れを取ったり、美しくしたり、癒やしたり・・・。これってすごいことですよね。
このコラムは、手業を生業にしている美容からヘルスケアの業界の方々にフォーカスをしたプロフェッショナルインタビューです。その人の手が語る物語をお楽しみいただければ幸いです。
モアリジョブ編集部
私の手にしか、できないシゴト。 柳延人さん
――美容師になったきっかけは?
柳 元々、映画の特殊メイクの仕事をしたくて、美容師になりました。特殊メイクの仕事をするために、まずは学校に行こうと特殊メイクを教えてくれる学校を探しました。当時日本では、特殊メイクを教えてくれる専門学校がなく、他に方法はないかと調べてみたら、美容専門学校に入って美容師になり、下積みを積むのが一番の近道だと分かりました。高校卒業後に美容専門学校に行き、卒業後は3年間同じ美容室で働きました。
――当時珍しかった特殊メイクの仕事をどうやって知ったんですか?
柳 中学生の時に私の姉が「猿の惑星」と言う映画に連れて行ってくれました。その当時はCGなんてありませんから、猿の顔を作っているのが全てメイクで、それが特殊メイクという技術だと知りました。
――美容室に3年間お勤めされた後はどうされましたか?
柳 独立を考えていたので、独立をするのに必要な管理美容師の免許取得のために、3年間は勤めようと思ってサロンに入社しました。免許取得後、アメリカのロサンゼルスに留学し、当時の最新技術を勉強しました。1年間の留学後、アメリカで特殊メイクの仕事をと考えていたのですが、ビザや家族の問題などがあり、一度日本に帰ってきました。日本に帰国する際、自分の活動の場を作ってからまたアメリカに戻ろうと思っていました。
――アメリカから帰ってきてからは何をされていたんですか?
柳 帰ってきてからは、フリーのヘアメイクとしてやっていました。ブックを持って自分で営業をして仕事を獲得していました。帰国してから1年後に会社を立ち上げて、メイクアップやビューティクリエイティブの仕事をやるためのプラットフォームの場を作りました。
――特殊メイクを目指して入った美容師の世界はどうでしたか?
柳 私は本当に不器用で・・・。学生のころはラグビーをやっていたので、繊細とは真逆のタイプで、ホスピタリティがダメ、話し方もダメで、女性の扱いが下手でしたね。私が就職したサロンのオーナーが、美容室の他に銀座のクラブも経営していて、銀座のホステスの方も髪をセットしにご来店いただきました。銀座のホステスの方々は、ホスピタリティに厳しく、その時に鍛えてもらいましたね。技術は練習しなければ付いてきませんが、接客接遇に関しては、一流の女性達から一流の接し方を教えて頂いたお陰で、なんとか下積みの時に恥じをかきながらも著名なセレブの方とお話が出来るまでになりました。その時に、美容師をスタートして良かったなと思いました。
――美容師になってからの失敗談を教えてください。
柳 沢山ありすぎて、そうですね・・・。技術が出来るようになると自分の技術に自信が出てきて、クリエーターとしてお客様のご要望に対して、自分の感覚を押しつけるというか、お客様が「こうしたい。」とおっしゃっても「この方が良いですよ。」と・・・。私も自信があったのでご要望を聞かず、自分のスタイルを押しつけていました。その当時担当させて頂いていた、大女優の方にも同じような対応をしてしまい、非常に怒らせてしまったんですね。新人の頃は、自分の自我が強くて、お客様を怒らせてばかりいました。怒らせてしまう度に、自分の教養のなさや無知に落ち込みましたね。その時に先輩方には、自分の非を認めることが成長だということを教えてもらいました。その当時は、怒られる美学がありましたね・・・。
――その大女優の方はどうなりましたか?
柳 先輩方のフォローのお陰で、有り難いことにまた通って頂けることになりました。その繋がりから未だにお付き合いをさせて頂いている女優さんも沢山います。
――美容師になってからの成功談は?
柳 アシスタント時代に、サロンの先輩について色々な舞台メイクをやらさせていただきました。少年隊(ジャニーズ事務所)の錦織一清さん主演の舞台「GOLDEN BOY」で大抜擢され、錦織さんのヘアメイクを担当させて頂きました。そこからジャニーズの方々のヘアメイクを頼まれることに繋がったことですね。
――今まで辞めたいと思った事は?
柳 すごい好きですし、楽しい仕事なので、辞めたいと思った事はないですね。ただ、美容の仕事にずっと携わってきて、他もやってみたいなって欲が出てきまして・・・。私、カメラをやるんですね。パソコンオタクでもあって、撮影した物をフォトショップを使ってレタッチするとか、イラストレーターを使ってデザインするとか、プロではないですけど、見よう見まねで経験したいと思ったら、他の事にもチャレンジする感じですね。
――日々のモチベーションの持ち方は?
柳 人を美しくしたり、キレイにしたりする仕事なので、他の仕事に就いている人に比べると、圧倒的に感謝されることが多いと思うんですね。人に有難うや感謝されると気持ちが良いじゃないですか。だからか、単純な話ですけど、メンタリティがお客様に「ありがとう」と言ってもらうことで勝手にテンションが上がって、それがモチベーションに繋がっていますね。また、家族が大切なので、家族と一緒に過ごしたり、食事やお酒も好きなので、楽しんで食することもモチベーションアップに繋がっています(笑)。
――思い出のお客様はいらっしゃいますか?
柳 お客様というか、自分を成長させてくれた和田アキ子さんですね。和田さんのテレビ番組がこの業界のデビューだったのですが、若造の私が、和田さんに付かせて頂いて、自分の中では他ならぬステータスというか、喜びでした。当時から今に至るまで、和田さんの専属ではなかったんですけど、芸能界の大物『和田アキ子』の側付きになれたという事が、自分の中で忘れられない思い出です。
――講師になったきっかけは?
柳 12年前に、一緒に仕事をしていたスタイリストの方に、BLEAの講師をやらないかと声をかけられ、講師になりました。今は、BLEAの学院長をやりながら、生徒にヘアメイクの技術も教えています。
――今もお客様をカットしたりしていますか?
柳 講師の他にも、クリエイティブメイクでスタートしたので、ヴィジュアル系バンドのメイクをしたり、舞台やミュージカルなどのステージメイクも長くやっています。自分で経営しているサロンもあるので、週に何回かは美容師としてサロンに立っています。どんな仕事でも、ご依頼頂いたら受ける姿勢でいたので、いつの間にかマルチプレイヤーになっていました(笑)。
――マルチにご活躍されていますがお疲れになりませんか?
柳 疲れないんですよね(笑)。ある時、健康に関する考え方を根本から研究しました。今では、体や頭の休め方が分かっているので、疲れませんね。
――柳さんにとっての恩師は?
柳 もう引退されている、美容専門学校で担任だった濱田えりこ先生です。美容の基本について、口うるさく教育してくれました。当たり前の道徳的なことも教えてくれました。規律を正す大切さも教えてくれました。私が通っていた美容専門学校は5分前行動のルールがあり、そのお陰で電車遅延などで遅れることなく、余裕を持って行動出来るようになりました。濱田先生が、学校や人生の規律をたたき込んでくれなかったら、今の自分はいなかったと思います。先生は、私の人生を変えてくれた恩師です。
――将来の自分はどうなっていると思いますか?
柳 私がこの業界に入って34年です。自分が納得する美容家になるには、これだけの年月がかかるし、それでもまだ自分は未熟者だと思っているんですね。今講師をしていて感じるのが、自分の才能が分からず、将来を不安に感じている学生がとても多いことですね。だからこそ将来は、プロデューサーになって彼らの才能を見抜き、世に通用するような多様力を教え、社会に出てきちんと生活できるだけのスキルを身につけさせるプロデュースをしたいと思っています。今はマルチに色々やっていますが、納得できたら現役は引退しようかなと・・・。東京オリンピックが一つの区切りだと思っているので、その時にある程度地盤が出来ていれば、後者へのバトンタッチ宣言をしようかなと考えています。
――最後に、業界や美容師を目指している方に一言。
柳 美容業界のベテランは早く引退しないといけない業界だと思っています。50歳引退説を作っても良いぐらいだと思っています(笑)。スポーツの世界は、ある程度までいったら惜しまれつつ引退して名監督やコーチになる人もいらっしゃいます。美容業界は「自分で引退します。」って言わない限り、健康だったら80、90歳まで現役で頑張っている方もいらっしゃるんですね。それはとても素晴らしい話なんですが、レジェンドが凄すぎて、若手が育ってないなと・・・。私が言うのもおこがましいのですが、ベテランの皆さまには、少し教育に目を向けていただいて、若手の育成に力を貸して頂ければと思います。ベテランが教育にシフトしていくことで、若手がチャンスを掴める世界になる事を願っています。