↑銀木犀 西新井大師の駄菓子屋の様子
以前伺ったときは、丁度お買い得な時期だったので溢れんばかりの子供たちと、外にはその様子を見守るお母さんたちが立ち話をしていました。
おそらく今まで縁遠いものであったはずの介護施設に、「介護施設に行く」や、「高齢者に会う」などの本来の目的ではなく、子供たちは「駄菓子を買う」という目的、お母さんたちは「子供の見守る」という目的を持って、自然に人が集まる場所になっているのです。
高齢者もお世話になる対象ではなく、駄菓子屋を切り盛りすることや子供達を見守る存在となっているのです。そのことが入居者を元気で居続けさせているようにも感じます。
他にも保育園、カフェや野菜の直売所などが併設されるなど、既存にあるものの組み合わせで新たな人と人との交わりを生んでいる施設があります。今地域のコミュニティの再構築の重要性が至るところで言われていますが、その一翼を担うのは介護施設なのかもしれません。
地域の子供やお母さんが集まる、賑やかなハブステーションとしての介護施設。
利用者に会いに来た家族が、家とまではいかなくても、心地よく漫然と時間を過ごすことのできる介護施設。
それは施設+駄菓子屋かも知れないし、施設+カフェかも知れないし、利用者が家族と一緒に入れるこたつをひとつ置いてみることかも知れません。
「家族に会いに介護施設に行っても、1時間もいられずに帰ってしまうこと」、それは自然なことかもしれません。
ただ、介護施設がもし家のように入居者と訪問者にとって時間を気にせずくつろいで過ごせる場所であれば、とても素敵なことだと感じます。
介護施設がより多くの人で賑わうためには、そして私のようなひ孫 が、施設に行ってもひいばあちゃんと心地よく漫然と過ごすためには、 全く新しい「発明」というものは実はそれほど必要なく、今あるものと今あるものの「組み合わせ」で十分なのかも知れません。