一生懸命な人を応援したい気持ちに、障がいの有無は関係ない【もっと知りたい「ヘルスケア」のお仕事 Vol.52 障がい者スポーツトレーナー 牛込公一さん #1】
ヘルスケア業界のさまざまな職業にフォーカスして、その道で働くプロにお仕事の魅力や経験談を語っていただく連載『もっと知りたい「ヘルスケア」のお仕事』。
今回は、障がい者スポーツトレーナーとして長年活動している牛込公一さんにフォーカス。車いすフェンシングのトレーナーとして2021年開催の東京パラリンピックにも関わり、現在、NPO法人 日本車いすフェンシング協会の理事を務めています。
前編では、牛込さんが障がい者スポーツトレーナーになった経緯と、現在の活動についてお聞きします。
お話を伺ったのは…
障がい者スポーツトレーナー 牛込公一さん
ポラリス接骨院 院長。2004年、障がい者スポーツトレーナーという名称がまだ一般的ではなかったころから、車いすバスケットボールチーム「千葉ホークス」のチームトレーナーとして活動を開始。障がいの有無に関わらずトレーナーとして活動したのち、2015年より日本車いすフェンシング協会のトレーナーへ。2018年、NPO法人日本車いすフェンシング協会の理事に就任。
障がいの知識ゼロから障がい者スポーツトレーナーへ
——障がい者スポーツトレーナーになった経緯を教えてください。
30代になり人生について考える中で柔道整復師の資格を取ることにしました。学校に通いながら、仲間と整骨院を開業したのですが、柔道整復師一本で大丈夫かなという不安や、メディカルトレーナーへの憧れがあり、トレーナーの勉強もすることにしたんです。
整骨院の仕事以外にも活動がしたいと思っていた時、知り合いから車いすバスケットの「千葉ホークス」がトレーナーを探していると紹介されました。それが障がい者スポーツトレーナーになったきっかけです。
——では、トレーナー活動のスタートが、障がい者スポーツだったんですね。
はい。もともと障がい者スポーツトレーナーを目指していた訳ではありませんし、そもそも「障がい者スポーツトレーナー」という言葉もない時代でした。誰も経験したことのない世界に、何となく入っちゃったんですよね(笑)。
私自身、障がい者スポーツ自体をあまり知らなかったのですが、初めて車いすバスケット選手のプレーを見てから虜になりました。一所懸命スポーツに取り組んでいる様子を見て、頑張っていることに障がいの有無は関係ないと気づかされました。そんな頑張っている人に、トレーナーとして私にも関われる部分があると感じたので、お手伝いさせてくださいという気持ちで参加しました。
1から障がい者トレーニングの知識を収集し、選手からの信頼を獲得
——実際に活動を始めて、いかがでしたか?
体のことは勉強してきましたが、その知識も障がい者のトレーニングとなると、ほとんど役立ちませんでした。健常者のトレーニングでは絶対にしてはいけないと言われている代償運動も、障がい者の場合は筋力の発達につながるので積極的に取り入れる…とか。試行錯誤の連続でしたね。
スポーツトレーナーをする場合、競技特性の勉強をすることがとても重要なんですが、車いすバスケットの場合はバスケットの競技特性ではなく、車いすの特性が大きくなります。でも当時は、その情報が全くありませんでした。ネット上にもないし、ドクターに聞いてもわからない。たまたま車いすをこぐ動作の勉強をしている大学教授に出会い、そこに学びに行ったりして、情報を探し出すところからのスタートでした。
予算の少ない世界ですからお給料も出ませんし、勉強もプライベートの時間を費やしていました。だから収入は整骨院の方で。
——続けられたモチベーションは、何だったんですか?
選手をサポートしたいという気持ちだけですね。若かったので(笑)。
でも接し続けるうちに、選手側から体を見て欲しいと言われたり、相談されたりするようになって、信頼が見えてくる喜びを感じたのも大きかったです。
整骨院の場合は最初から「先生」で、ある程度の信頼が最初からあります。でもトレーナーには、選手との信頼関係を築くのにも、結果を出すまでにも時間がかかります。その点はすごく勉強させられましたし、楽しいなと感じました。
車いすバスケットには、2011年まで携わりました。その後は、子どもが陸上をしていたこともあり、日本陸上連盟のトレーナーに所属して、健常者の陸上競技に携わりました。そのおかげで、障がい者の陸上を見させてもらったりして、障がいの有無に関わらずトレーナー活動の幅が広がりましたね。
障がい者スポーツに関わることを「ボランティア」と言われない環境へ
——2015年からは、日本車いすフェンシング協会のトレーナーとして活動をされ、現在は協会の理事としても活動されています。現在の働き方は?
今は日本車いすフェンシング協会の活動がメインです。2018年に理事になってから、日本代表のトレーナーや整骨院の仕事を併行してきましたが、新型コロナウイルスやパラリンピックもあり、いろいろな節目が重なったなと思います。
活動としては、理事という立場上、打ち合わせや会議が多いですね。整骨院も現場はスタッフに任せて、私は事務的な仕事をしています。
障がい者スポーツは本当に関わる人が少ないこともあり、資金も限られています。これまでの理事長は数百万円という身銭を切って団体を支えてきた献身的な方々なのですが、私は次の世代のためにも、それを断ち切りたいと思っています。だから今は、車いすフェンシングの活動に携わる人たちが、ボランティアと言われないような仕組みづくりをしているところです。
——トレーナーとしての活動は?
コロナ禍でのパラリンピックもあり、トレーナーが感染源になってはいけないということで、直接トレーニングを見る機会が減ってしまいました。選手とは電話やZOOMなどでコミュニケーションを取りながら、自宅でのトレーニングやケアをサポートしています。また大会が始まれば帯同する可能性もあります。障がい者の場合、自宅待機が長くなると以前のように動けなくなってしまうことがあるので、そうならないようにケアをしているところです。
障がい者スポーツの知識ゼロで、トレーナー活動をスタートした牛込さん。わからないことの連続のなかでも真摯に向き合うことで選手の信頼を得て、現在では日本フェンシング協会の理事としてパラスポーツを盛り上げる立場として尽力されています。次回中編では、そんな牛込さんが感じるトレーナーのお仕事の魅力と、障がい者スポーツトレーナーを目指す人へのアドバイスをお聞きします。
取材・文/山本二季
撮影/高嶋佳代