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ヘルスケア 2023-01-28

一流の技術がSNS代わり。リピートと紹介のみで17年目に カイロプラクター・本間友子さん

20歳という若さで独立して17年、麻布十番を拠点に活動するようになってから14年というカイロプラクターの本間友子さん。前編では、集客をしたことはほとんどなく、紹介とリピーターのみでカイロプラクターの仕事を続けてきたという本間さんに、なぜそのようなことが可能になったのかを伺います。

女子柔道のオリンピック金メダリストの専属トレーナーだったカイロプラクターの元に、19歳で弟子入りしたという本間さん。その師匠から教わった高い技術の数々が、本間さんの今を支えているそうです。

今回、お話を伺ったのは…

本間友子さん

カイロプラクター/カイロプラクティックサロン「warp」オーナー
女子柔道金メダリストの専属トレーナーだったカイロプラクターに、大学在学中の19歳で弟子入り。20歳で独立し、出張施術、自宅サロンを経て麻布十番にサロンを構える。その高い技術は評判を呼び、スポーツ選手や著名人の顧客も多数訪れる、人気サロンに成長。その一方で21歳からベストセラー作家・山﨑拓巳氏のスタッフとしても働き始めており、山﨑氏からセブンポケッツ(7つの収入源)を持つことをアドバイスされた経験から、ライターやアートディレクターなどさまざまな顔も持つ。

19歳で一念発起。福岡のカイロプラクティックに弟子入り

カイロプラクターとして17年目になるという本間さん

――本間さんがカイロプラクターを目指したきっかけは?

中学生の頃、後にオリンピックの金メダリストを出した卓球の強豪チームに入っていたこともあり、オリンピック選手の専属トレーナーになりたいという思いがありました

そこで知り合いから紹介してもらったのが、女子柔道オリンピック金メダリストの専属トレーナーを務めていた先生でした。治療院には有名スポーツ選手も数多く通われていて。大学生だった19歳のときに先生に会いに行きました。

ただ最初は先生のところに弟子入りするつもりはなくて、東京でおすすめの専門学校を教えてもらいたいという気持ちだったんです。通うには福岡は遠いと思っていて(笑)。でも先生から「学校は一番を作る教育をしない」と言われたことがすごく心に響いて、弟子入りすることに決めました。結果的にオリンピック選手の専属トレーナーにはなりませんでしたが、ここで学んだことがカイロプラクターとしてのすべてのベースになっています。

――「学校は一番を作る教育はしない」…。これはどういう意味ですか?

どういう意味なのか先生は詳しく説明しませんでしたが、私は「学校はみんなを平均的な施術ができるようにする場所だ」ということなんだと解釈しました。ただでさえ、カイロプラクターがメダリストのトレーナーになるのは異例中の異例のことで。超一流の技術がなければ道は開けないと思い、弟子入りさせてもらうことにしたんです。

――なるほど。そこから福岡に通われたのですか?

短期集中で大学の夏休み1ヶ月半を丸々使って、治療院の床で寝泊まりしながら修業をさせてもらいました。朝10時から遅いときは夜11時くらいまで、毎日患者さんが入っているような治療院だったので、その時間ずっと先生の治療を間近で見たり、座学を学んだり。途中からは先生のお許しが出て、治療の前のほぐしを担当させていただくようになりました。夏休みが終わって一度は東京に帰りましたが、その後1、2年くらいは、定期的に福岡にも通いながら先生に教えてもらっていましたね。

患者さんとの間に依存を生まないために。治し方を教える本質的な治療

先生から教わったことを、日夜実践しているという本間さん

――先生から学んだことは多々あると思いますが、とくに印象的なことはどんなことでしょうか?

痛みの取り方を患者さんに教えていたことです。先生に「その方法を教えてしまったら、その人も通わなくなってしまうし、ほかの人に教えてしまったら大損害ですよね。なんでそんなことをするんですか?」と聞いたら、「通わないと良くならないというのは、俺がいないとだめという状況を作ってしまうから、本当の意味でその人のためにならない。そもそも人は治る力を持っているから、どうして痛みが出るかということと、自分で治す方法を教えてあげることがその人のためになる」というようなことを教えてくれました。

もちろん体の状況がひどい場合には何度か通わないといけないということもあるのですが。この考え方は今でも私のベースになっていて、できるだけ、普段の生活のなかで自分でできる痛みの取り方をお伝えするようにしています

あるとき先生の元に腰痛がひどくて歩けなくなってしまい四つん這いで来院された方がいて、帰りにはスタスタと歩いていったことも強く記憶に残っていますね。1回の施術で結果を出すのが先生のすごいところだと思っていますし、その技術を間近で吸収できたことは自分の大きな糧になりました

出張、自宅サロンを経て、お気に入りを詰め込んだサロンを構える

本間さんが今年、新たに構えたサロン「warp」。本間さんのお気に入りを詰め込んだ空間となっている

――福岡で修業をしたあとに、東京で開業されたとのことですが、ゼロからのスタートですよね。そこからどのようにして軌道にのせたのでしょうか?

先生から「最初は、どれくらい施術をできるかが技術の差になる」と量を重視するように言われたので、最初の1年間は場所を構えず、呼んでもらえれば全国どこでも行くという出張スタイルでスタートしました。基本的には都内で施術をし、長期休みや、連休の時に地方に行っていました。当時は1人2000円で施術させてもらっていたこともあり、1泊2日で20人くらい施術をしたこともありました。

2006年から10年ほどは地元にも近い浜松に部屋を借りていて、そこでも施術をしていましたし、小田原にも定期的に施術させていただく方もいました。大学を辞めてからは、自宅サロン、マンションの一室をサロンにするという形を経て、今年ここにサロンを構えました。

――そこからの経営は順調だったのでしょうか?

そうですね、いろんな方に紹介をしていただいたり、定期的に通ってくださる方もいて、集客のために何かをしなくても、患者さんが来てくださるようになっていました。料金も段階的にあげていきました。

本当に自分の満足のいくサロンを構えることができたので、もっと患者さんを増やしていこうと思っていた時期もあったのですが、今年の8月くらいから自分の考え方に変化が生じて。患者さんを増やすのではなく、今いる患者さんにファンになってもらい定期的に通ってもらう形、つまりファンベースを目指していきたいと考えるようになりました


後編では、現在の本間さんが行き着いたというファンベースのサロン作りについて伺います。それまでは1人でも多くの患者さんに施術することを考え、定休日を作らずに予約を取っていたという本間さん。2年前にお子さんが生まれたこともあり、この働き方でいいのか悩んでいたそうです。そんなときに一冊の本に出会い、考え方が変わっていったといいます。後編もお楽しみに!

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