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ヘルスケア 2023-08-18

芸人になる夢を諦めて地元へUターン…介護業界で芽吹いた「お笑い」のチカラ【介護福祉士/介護芸人 鹿見勇輔さん】#1

地方でヘルスケア事業に携わっている方に、経験談についてインタビューする本企画。今回は広島県で介護福祉士として勤務する傍ら、「介護芸人」としても活動している鹿見勇輔さんにお話をお聞きします。

前編では、鹿見さんが地元・広島で介護職について経緯、「介護芸人」としての活動のきっかけについてお聞きします。

お話を伺ったのは…
介護福祉士/介護芸人 鹿見勇輔さん

広島県の介護事業所「めぐみ」を運営する傍ら、介護芸人として活動。介護福祉士、社会福祉士、精神保健福祉士、主任介護支援専門員の資格を持つ。

Instagram:@ shikamiyusuke
YouTube:『広島お笑いライブ・ワンチャン』

芸人を挫折して戻った広島。母のすすめで苦手意識のあった介護の道へ

介護事業所の運営やケアマネージャーをしながら
「介護芸人」として活動している鹿見さん

――まずはこれまでの経歴とあわせて、介護のお仕事に就いた経緯を教えてください。

中学生のころからテレビ業界に憧れがあり、演者の中でも活躍の幅が広いお笑い芸人になりたいと思っていました。そのことは両親にも言わないまま、2004年に地元・広島の高校を卒業後、芸人を目指して大阪か東京へ出ることに決めたんです。そして吉本興業のNSC東京11期生になり、家族にも内緒で上京しました。

でも同期芸人の志の高さを痛感して挫折したんです。秘密でしたから親からの援助もなく、上京したてで友達もいなかったので、養成所の講師から「協力者がいないと続けるのは難しい」と言われました。そして母親からも「何もしていないなら地元で介護の仕事でもしなさい」と言われ、そこで悩んでしまったことが悔しくて、NSCを中途退所することを決めたんです。

――そこで広島に戻ったんですね。お母さまが介護職をすすめられたのは何故でしょう。

母はもともと薬剤師だったんですが、介護保険がスタートした2000年前後に介護支援専門員の資格を取り、介護の仕事をし始めたんです。それで「これからは介護の仕事が広まっていくから」と、僕にもすすめてきたんですよね。そのまま流されるように介護福祉士の専門学校に入学しました。実家に戻った身なので、親の言うことを聞いておかないと…という感じで。

――当初は介護のお仕事に対して苦手意識があった?

苦手というか、正直なところ、やりたくはなかったですね。かっこいいイメージもありませんでしたし、男が介護業界で何ができるんだろうという偏見もありました。

でも介護実習でデイサービスに行ったとき、意識が変わりました。お笑いに挫折して親の言うまま専門学校に入って…というなかで、自分が生きる存在価値が見出せていなかったんですが、高齢者の方たちが「いくつになっても健康に生きよう」としている姿を見て、感動したんです。

高齢者の方たちがこんなに一生懸命に生きようとしているのに、20歳そこらの自分が生きる喜びがないと思うのもおかしいな。まだまだできることがあるよな。そう意識が変わってから、一生懸命勉強しようと思ったり、目のまえにいるおじいちゃん・おばあちゃんたちのために自分ができることはないかと考えるようになりました。

専門学校に2年通い、社会福祉士の資格を取るため愛知県にある日本福祉大学に編入学して3・4年生の2年間を過ごしました。そしてゼミの先生との出会いがきっかけで、大学院にも入学して、介護予防に関する研究を2年。おおよそ6年ほど、介護の現場でアルバイトをしながら、介護について学びました。

利用者さんを喜ばせるために始めた落語をきっかけに
介護の現場にお笑いの要素を取り入れ始める

デイサービスでの落語会の様子

――現在は「介護芸人」としても活動されていますが、お笑いの要素を取り入れ始めた経緯は?

大学院を修了後の2011年からデイサービスで働き始め、2年後に同じ法人で新しいデイサービスを立ち上げることになって、運営責任者になりました。8月オープン、9月には敬老会をしようということになったんです。

スタッフで敬老会の催しを考えていると、思いのほかクオリティの高いものを提案されて(笑)。自分も「ありきたりな余興じゃダメだろうな」と思って、落語をすることにしたんです。

自分で一度諦めてしまったことなので、専門学校に入学した時点から「今後、お笑いは絶対にしない」と思っていました。でも「目の前の高齢者が喜ぶこと、自分にできることって何かな」と考えたときに、漫才ではなく落語ですけど、お笑いをやってみようと思えたんですよね。

敬老会で初めて落語を披露すると、みなさんにすごく褒めてもらって。おじいちゃん・おばあちゃんたちって、面白いかはわからないけど、よく褒めてくれるんですよね(笑)。そこから3カ月に1回のペースでネタを披露するようになりました。

――落語を披露するようになって変化はありましたか?

デイサービス利用者にくわえ、近隣住民も観に来てくれるようになり、だんだん出演希望の演者も増えていきました。徐々に規模が大きくなるなかで、地域の高齢者から「楽しいことや出かける場所がない」という声を聞いて。「デイサービスだけでするのはもったいない」と思い、地域の公民館を借りて落語会を主催するようになりました。すると、多いときには170人くらい集まってくれるような会になったんです。

定期的に落語会をしていると、地域で活動しているさまざまな人たちの話を聞く機会が増えました。そこで高齢者だけでなく地域の子どもたちも気軽に集まれる場所がなくなっていると知り、「子どもたちのために何かイベントができないかな」と思って、漫才やコントをするような会を新たに作ることにしたんです。

――現在も続いている、お笑いライブ・ワンチャンの原点ですね。

はい。子どもたちのためにとスタートしたものの、訳のわからないお笑いライブに子どもは来ないんですよね。だから親子で来ることができるライブにしようと考え、働く大人のストレスが発散できて、一緒に子どもたちも集まれるようなものにシフトしました。

コロナ禍の影響もあり、落語会はお休み中。お笑いライブはオンラインで開催していましたが、今年5月から再開しました。現在では東京の芸能事務所「タイタン」や「浅井企画」、浅草漫才協会に所属する芸人をゲストに招き、月1回開催しています。

「介護芸人」になったことで、介護もお笑いも一体に

「介護芸人」としてステージに立つ鹿見さん。
介護知識を広めるネタを披露している

――先ほど「お笑いはもうしないと思っていた」とのことでしたが、今こうして介護の仕事とお笑いの活動を両立している理由や想いとは?

たまたま介護の仕事と出会って、好きなお笑いをしているだけなんです。今は「介護芸人」として活動していますが、最初はお笑いと介護の仕事を分けて考えていました。そうすると体はひとつなのに2倍の労力がかかるわけで、無理をしながら活動している感じになっていたんですよね。

でも3年ほど前に広島のテレビ局が密着取材をしてくれたとき、初めて「介護芸人」というキーワードを出してくれたんです。そこで「世間は僕のことを介護芸人っていう風に見ていて、それを面白がってくれているんだ」と改めて感じました。

介護の仕事をしていることや、成功しているわけでもないお笑いの活動を「恥ずかしい」と思うこと、自分がやりたいこと、やりたくないこと。変にそういう考えを持ってしまうと、逆に認めてもらえなかったりするのかもしれないと思いました。だから、よくわからないけど、ここは便乗しよう!と思って(笑)、「介護芸人」として活動するようになったんです。

そこからの活動は両立というより、介護もお笑いも一体となっている感じがします。「介護の兄ちゃんにお願いします」と指名してもらったり、介護保険の講演の合間に眠気防止のためにネタをしたり。逆にお笑いのライブでは、介護のことを広く知ってもらえるようなネタをしたり。どちらかを選ぶのではなく欲張って両方を選んで、周囲の人たちの応援もあって続けられています


お笑い芸人になるという夢を諦め、介護業界に入った鹿見さん。その結果、介護という仕事を通して、大好きだったお笑いの仕事も実現し、地元・広島への地域活性にも尽力しています。次回後編では、介護芸人としての活動と施設運営のつながり、地方でヘルスケアに関わるうえで大切なことを教えていただきます。

取材・文/山本二季

Information

有限会社めぐみ
めぐみ指定居宅介護支援事業所/めぐみ指定訪問介護事業所

住所:広島県広島市中区西川口町4-31
TEL:082-532-6800

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