介護の現場にスポットライトを!「福祉」こそ介護福祉士のアイデンティティ【もっと知りたい「ヘルスケア」のお仕事 Vol.113 /メディカル・ケア・サービス株式会社 杉本浩司さん】#1
ヘルスケア業界のさまざまな職業にフォーカスし、その道で働くプロにお仕事の魅力や経験談を語っていただく連載企画「もっと知りたい! ヘルスケアのお仕事」。
今回お話を伺ったのは、介護福祉士の上級資格である「認定介護福祉士」策定時の人物モデルに選ばれた「日本一かっこいい介護福祉士」杉本浩司さんです。
前編では、杉本さんが介護業界に入った経緯と、これまでのステップアップについて、そして、杉本さんが考える「介護福祉士」のお仕事についてお聞きします。
お話を伺ったのは…
メディカル・ケア・サービス株式会社 杉本浩司さん
コーポレートコミュニケーション室 室長/認知症戦略部 部長
介護福祉士として、介護の面白さを伝える講演や自立支援、人材育成、経営管理等、日本全国で延べ1,000回超の講演活動を行う。施設アドバイザーやコンサルタント、各団体幹事や顧問、理事としても活躍。テレビ・新聞・対談・インタビュー等、業界内外から注目されている。
モデルの仕事との兼業から介護の道1本に
――まずは介護業界に入った経緯から教えてください。
高校3年生のころは、考古学者になりたくて大学受験を目指していました。予備校に通わず独学で勉強していたので、学校の図書室で毎日勉強していたんです。夏休みのある日、図書室が閉まっていたので進路相談室で勉強することになりました。そこには赤本や専門学校のパンフレットが置いてあって、パラパラめくっていたんです。
そこで、ふと保育士の専門学校のパンフレットが目について。「昔、興味があったな」と思ったら、保育士になりたくなっちゃったんです。それで受験をやめて、保育の専門学校の入試を受けました。筆記試験も手応えがあり、「絶対受かる」と思っていたら、なぜか落ちてしまって。ピアノが弾けないとか、見た目がやんちゃな感じで良くないとか、あったのかもしれません。
その時点で秋でしたから大学受験も間に合わず、別の専門学校を探し始めました。そこで同じ専門学校のなかで取れる資格として、介護福祉士というものがあることを知ったんです。「相手をするのが子どもか高齢者かで、することは大して変わらないだろう」という勝手なイメージで、介護の専門学校に入学しました。
――介護への苦手意識みたいなものはありませんでしたか?
正直に言うと、当時はおじいちゃんおばあちゃんが苦手でした。でも僕は「生涯かっこつけ」をモットーにしているので、苦手なものがあるのってかっこ悪いなと思ったんです。苦手なものが克服できるなら、やってもいいか。そのくらいの軽い気持ちでしたね。
あと高校生のころからストリートスナップをよく撮られていたり、おしゃれが好きだったりして、卒業したらファッションモデルの活動もしたいと思っていたんです。介護の仕事なら、保育と違って土日関係なくシフト制なので、そういった活動もしやすいかなと思ったんですよね。
――当初はモデル業もされていたそうですが、介護職1本になった経緯は?
18歳からお世話になっていた美容師さんのレセプションパーティに行ったときの、ある女性との出会いが人生の転機になりました。その方に「あなたはモデルでは絶対大成しない」と言い切られたんです(笑)。
それと同時に、「施設にいるおじいちゃんおばあちゃんは、家族に投げ出されちゃったり、できていたことができなくなって自信喪失していたりする人が多いと思う。そこで、あなたの出番じゃない」とも言われました。モデルという仕事を通してスポットライトを浴びたことがある僕なら、傷ついている高齢者たちにスポットライトを当てることができるんじゃないか、と。
その言葉に衝撃を受け、「介護業界を変えよう」という決意をしたんです。25年くらい前ですが、介護業界はやはり過酷で日の当たらない職業でしたし、介護されている方たちもやっぱり日が当たらない。それなら、僕がこの業界を変えよう!と心に決めました。
介護はたくさんの人生史を聞ける仕事
高齢者と接する時間で介護へのマインドが変化
――高齢者への苦手意識があったとのことですが、変わったきっかけは?
きっかけは、専門学校に入ってすぐの介護施設での実習でした。苦手な存在が100人以上集まっている場所に行くわけなので、やっぱりすごくイヤだったんですよね。入学して3カ月くらいなので、もちろんやらせてもらえることなどなく、できるのは利用者さんとのコミュニケーションくらいでした。
でも実際行ってみると実習期間の2週間ほどで、いつの間にか好きになっていましたね。結局、介護の仕事への誤解があったんです。介護の仕事はできないことを介助するものだと思っていたけれど、実際はそれだけではなくて、10人いたら10通りの人生が聞ける仕事だったんです。
例えば、校長や国会議員、女優などの特殊な仕事をしていた方もいました。みなさん昔話をすごく楽しそうにしてくれるんです。そこで「この仕事って、すごくお得だな」と思ったんです。どんなことを大事にして生きてきたのかを聞けると、僕もそれを真似したら同じようにできるかもしれないと思えるじゃないですか。
あと、自分が一番輝いていたときの話をしていると、どんな方も目が輝くんです。その話が終わって、介護が必要な自分を思い出すと、急にどんよりした目になってしまうことに気づきました。そこで、「いつも輝いている目にできたら、すごく面白そうだな」と思ったんです。
そこから一気にマインドが変わって、苦手だと思っていた高齢者のいろいろな部分が、全然気にならなくなったんです。そういう意味では、おむつの介助がイヤとか、そんな風に思っている人たちは、あまり深刻に考えなくてもいいと思います。介護の仕事の第一優先は、そこにはありませんから。人と話をすることが好きな人には、向いている職業だと思います。
介護だけでなく経営まで学び、実績を評価され若くして施設長に
――改めて、これまでの経歴についてお聞きします。どんな風にステップアップしてきたのでしょうか。
以前は社会福祉法人に勤めていました。専門学校を卒業後、特別養護老人ホームで2年働き、訪問介護サービスの責任者として23歳で異動しました。ヘルパーさん30名ほどを管理しながら、自分も現場に出る…という働き方が8年ほど。次に30歳ぐらいで赤字のデイサービスの立て直しのために責任者になり、そこでの成果を評価してもらって、33歳で特別養護老人ホームの施設長になりました。
その後、法人の本部で役員になり、縁があって40歳で今の会社に入社しました。5年目となる現在は、本社2部署の部長として勤務しています。
――30代で特別養護老人ホームの施設長というのはめずらしいですよね。
当時はめずらしかったですね。僕は大学院で介護だけでなく経営などの勉強もしたので、それが活きた結果だと思います。担当した施設のある区内には25ホームほどあり、そのなかで僕以外の施設長は50~60代の人ばかりでした。やはり施設長となると給料もいいですから、長年居続ける人も多かったと思います。でも時代が変わり、入れ替わりがあって僕と同年代の人も増えました。そうして介護業界も、だんだん変わっていけたらいいですよね。
――最近はどんな働き方をされていますか?
週5日で現場に出ていたのは15年前ぐらいまでで、そこからはずっと基本的には管理業務です。月に1回ほど、当社の全国のグループホームに訪問して、現場が困っていることを聞いてアドバイスをすることはあります。
働き方としては、本社にいる日は勤務時間の8時間のうち、平均で7回ぐらい会議に参加しています。その間に、部下との面談をいくつか入れている感じです。講演などで外に出ている日は、講演の合間にオンラインで会議に出席したりしています。
介護福祉士のプライドは「福祉」を考えること
――介護福祉士とはどんなお仕事なのか、杉本さん目線で教えてください。
介護職を総じて「介護士」という方がすごく多いんですが、僕たち介護福祉士は「介護士」と言われるのがイヤなんです。介護福祉士は国家資格ですが、名称独占の資格なので、基本的には資格を持っていない人でもできる行為がある仕事でもあるんです。だからこそ介護保険サービスでは、訪問介護サービス以外は無資格でもできてしまうんですね。
大事なのは、介護と士の間に「福祉」が入っていること。そこが介護福祉士のアイデンティティであり、プライドだと僕は思っています。「福祉」が入っているということは、その人の幸福を考えることができたり、その人が望む生活を一緒に作っていくことができるということです。
日常生活でできないことを介助する「介護」だけでなく、プラスαで、その先の望む生活を実現するために伴走するパートナーが、介護福祉士だと考えています。
さまざまな転機から「介護業界を変える」と決意した杉本さんは、自立支援介護の重要性を広め、どの施設でも自立支援ができる仕組み作りに尽力してきました。そして現在は、介護の正しい理解を広めるための活動にも力を入れています。
次回後編では、杉本さんがお仕事のなかで大切にしていることや、これからヘルスケアのお仕事を目指す方へのアドバイスをお聞きします。
取材・文/山本二季