指導者への教育からトレーナー業界を変えていく!【もっと知りたい「ヘルスケア」のお仕事 Vol.38 INSTRUCTIONS 清水 忍さん #1】
ヘルスケア業界のさまざまな職業にフォーカスして、その道で働くプロにお仕事の魅力や経験談を語っていただく連載『もっと知りたい「ヘルスケア」のお仕事』。
今回は、パーソナルトレーナーとして活動しながら、トレーナーの育成に尽力している「株式会社 INSTRUCTIONS」の清水 忍さんが登場。アスリートから一般の方まで幅広くトレーニング指導を行っている清水さん。一方で、長年トレーナー専門学校などで講師としても活動しています。
全3記事の前編となる本記事では、清水さんがトレーナーの仕事をスタートしたきっかけから、教育に力を入れ始めた経緯、現在のお仕事についてお聞きします。
お話を伺ったのは…
「株式会社 INSTRUCTIONS」
代表 清水 忍さん
トレーニングジム「IPF」ヘッドトレーナー。パーソナルトレーナーとしてプロアスリートから一般まで幅広いトレーニング指導を行う傍ら、トレーナー専門学校での講師、企業での健康プログラムの作成、ジムのアドバイザーなど教育を軸に活動。講師として輩出してきたトレーナーは2000人以上。メディアでの監修・出演なども多数。
ただ筋トレが好きだった若手時代。「トレーナーは出世できない」という現実
―まず清水さんがトレーナーになった経緯を教えてください。
トレーナーになったきっかけは、単に筋トレが好きだったからです。トレーナーとしてのスタートは、大学生時代のフィットネスクラブでのアルバイトでした。でもその頃は今と全然違って何の志もなく、ただ筋トレが好きなだけだったんです。
僕は小学生のころから柔道教室に通っていました。途中から友達も通い始めたけど、僕の方が先に始めているから敵がいなかった。それで暇を持て余して、教室に置いてあったバーベルやダンベルを触り始めたんです。
小・中学生のころは、ただ面白がってトレーニング器具を触っていただけでしたが、高校生くらいになるとどんどん筋肉が大きくなりました。それが面白くって。だから大学生で始めたアルバイトは、「筋トレでバイトができる」という軽い気持ちでしたね。
―アルバイトを始めて変化が?
いいえ。当時は正直なところ、自分の筋トレ時間が増えただけです。そして、そのままの気持ちでフィットネスクラブに就職したんです。
そこでは販売促進の部署に配属されました。でも僕はトレーナーの仕事がしたかった。それを会社に伝えると、「せっかく管理職へのラインにのっているのに、なんでトレーナーなんかやりたいんだ」という反応で…。
「トレーナーってそういう位置づけなのか」「だとしたら僕がやりたいことって何なんだ」と、自暴自棄になってしまって退職したんです。トレーナーという仕事に未来を感じられなくなってしまったんですよね。
その後は、別の仕事をしたり家業を継いだりしました。トレーニング業界に戻ったのは7年後。でもこの期間の経験が、僕のターニングポイントになったんです。
運動しない側の気持ちを知り、トレーナーとしての意識が変化
―トレーナーを辞めていた期間が、ターニングポイントに?
そのころの僕は全く運動をしていなかったんです。100m先のコンビニに行くのに、10m先の駐車場で車に乗ってから行く。ちょっとそこまで歩くのが嫌で仕方ない、階段なんてもってのほか…。そんな生活をしていたらウエストが100㎝になっていました。
友達と海で遊んでいる時、テトラポットに飛び移ろうとして落ちたことがあるんです。運動しているころは余裕で飛べたのに、半分しか飛べなかった。「こんなに人の能力は落ちるのか」と、すごくショックを受けました。
運動や筋トレを当たり前にしてきた世界から離れ、運動をしない、したくない側の世界を知った期間があったおかげで、世間一般の人たちがどういう心境なのかがわかるようになったんです。
―そこからトレーナーの道に戻った経緯は?
家業を畳むことになり、「この後どうしよう」と考えた時、やっぱりトレーニング業界が好きだと思ったんです。それで30代前半から、時給800円のアルバイトとしてフィットネスの現場に戻りました。
そこから仕事に取り組む姿勢がガラッと変わりました。やりたい仕事だし、楽しくて仕方なくて。大学生のころとは比べ物にならないくらい勉強もしました。
そこでトレーニングから離れていた期間の経験が活きたんです。それまでは筋トレ一本鎗だったのが、メタボや糖尿病といった生活習慣病にも関心も持つようになりました。勉強するほど、自分が全然見ていなかった世界がこんなにあるのかと、知識のなさと浅はかさにショックを受けました。その時の気持ちと知識が、今のベースになっています。
そこから事実上、トレーナーとしての第一章がスタートしたと思っています。
「指導者のスペシャリストになる」と決意し、育成にも力を入れ始める
―清水さんは「株式会社 INSTRUCTIONS」を始める前から講師の仕事に力を入れていたそうですが、そこに至った経緯は?
フィットネスクラブで改めて働き始めてから、「指導者ってちょっと残念な指導をしているな」と感じていました。運動をやらない側の人間からすると、「それは分かるけど、実際にはやらないよな…」と感じてしまう指導をしている指導者が少なくない気がしたんです。まずは「やったほうがいいのかな」と思わせなきゃいけないし、運動したいという願望を持たせなくちゃいけないのにな…と。そこで指導者の教え方を見直していかないと、お客様は変わっていかないと思うようになりました。
僕は当時アルバイトでしたが、新しいスタッフの研修を担当していました。そこで「指導者の教え方を見直す」というスタンスで研修していたら、新入社員の研修も任されるようになったんです。さらに、その活動を見ていた知り合いから、「教えるのが好きそうだし専門学校の先生をしてみないか」と声をかけていただきました。
そこから指導者を育てることの大切さを、より感じるようになりました。知識が豊富な指導者でも、実技能力が高い指導者でもなく、「あなたの話はわかりやすい」とか「もっと話を聞きたい」と思われる指導者を輩出したい。そのスペシャリストになりたいと思って、教育に力を入れ始めました。
―それで「株式会社 INSTRUCTIONS」を興されたんですか?
「INSTRUCTIONS」という造語は、「教える人のスペシャリストでありたい」という意味があります。それはトレーナーの教育だけでなく、指導して欲しいというアスリートや一般の方に現場で教えることも含まれています。
会社を設立する直前くらいは、講師として教壇に週7日くらい立っていたんです。そうなると現場でトレーニング指導をして欲しいという要望に応えられないことが増えました。
教育もやりながら、現場での指導もできる環境を作りたい。そう思って「INSTRUCTIONS」を立ち上げたんです。
―現在も多岐に渡ったお仕事をされていますね。
分量で言うと、パーソナルトレーニング、学校での教育や個人で開催しているアカデミー、その他が、それぞれ1/3ずつくらい。パーソナルトレーニングをもっと増やしたいなと思っているところです。
その他の内容としては、いろいろな企業のアドバイザーや理事、メディア関係の仕事など。案件はさまざまですが、平たく言うと監修やプロモーションです。
パーソナルトレーニングは基本1組1時間。前後15分ずつは他のお客さんが入らないようにしています。
日によって仕事内容はバラバラ。地方の企業にアドバイザーとして行くときは丸2日出張することもありますし、アスリートの海外合宿に2カ月間帯同することもあります。
仕事が多岐に渡る分、ここで休むと決めておかないと休日は取れません。実際のところ、丸1日休みというのは半年に1回くらい。こんなことを言うと、この世界に入るのが嫌になりますよね(笑)。僕は完全にワーカホリックなんですよ。
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運動しない側の思考と生活を経験したことで、トレーナーという仕事を別の視点から見られるようになった清水さん。その時の問題提起が、現在まで続いている「育成」という仕事の原点になっているんですね。次回は、清水さんが感じるトレーナーのお仕事の魅力と、トレーナーを続けていくための心得を教えていただきます。
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取材・文/山本二季
撮影/片岡 祥