美容師は私の夢そのもの。憧れの世界で紡ぐ、オリジナルの物語【ヘアサロンbroocH・スタイリスト/杉山由夏さん】#1
最先端のトレンド発信地・表参道。このヘアサロン激戦区で、たった4人の小さなサロン「broocH」は始まりました。オープンから16年経った今、都内に4店舗を数えるまでに成長し、幅広い世代から多くの支持を集めています。
今回のゲストはbroocH立ち上げメンバーのひとり、スタイリストの杉山由夏さんです。当時20代半ばだった彼女が、有名店でのキャリアを捨てて新しい世界に踏み出すことを決めたのはなぜでしょうか?前編では、杉山さんが美容の道を目指したきっかけや、お店が軌道に乗るまでのストーリーをお聞きします。
Sugiyama’S PROFILE
- お名前
- 杉山由夏
- 出身地
- 埼玉県
- 年齢
- 40歳
- 出身学校
- 東京美容専門学校
- 経歴
- 都内1店舗を経て、2006年broocH立ち上げに参画。自身の出産・育児経験を活かし、年齢を重ねた女性へ寄り添う接客スタイルが支持を集めている。一般誌、業界誌への作品掲載も多数。
- プライベートの過ごし方
- この状況でなかなか出来ませんが、友達に会ってお酒を飲んだりおしゃべりをしたりするのが好きです。子供ができてからは公園に遊びに行く事が多いです。
- 憧れの人
- alexachungは昔からずっと好きです!
- 趣味・ハマっていること
- 料理が趣味で何でもチャレンジして作ります。パン作りにもハマっています。
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- ハサミは月に1度はメンテナンスに出します。最近はブラシも、頭皮に優しかったりいろいろな形状の物を集めています。
美容師になる!幼い頃から決めていた将来の道
――美容師を志したきっかけを教えてください。
小学生の頃、それまで自宅で母親に髪を切ってもらっていた私がはじめて美容院に行ったことが、大きな転機となりました。なんてことのない、まちの普通の美容院でしたが、「プロが切るとこんなに素敵にしてもらえるんだ!」と強い衝撃を受けました。
その日以来「自分は美容師さんになる」と、それが当然であるかのように考えるようになっちゃって(笑)。ファッションやものづくりも好きだったはずなのに、将来の夢はずっと美容師一択でした。高校卒業後は当たり前のように美容学校へ行き、卒業後は都内の有名店へ就職が決まりました。
――長年の夢を叶えたわけですね。
ようやくこの世界でスタートを切れる!というワクワクとともに入社しました。そこで、私の美容師人生に大きな影響を与えた先輩と出会うことになります。
前のお店は数名のチーム制で動くような体制でした。そして私が所属するチームのリーダーが、その後「broocH」を立ち上げることになる人だったんです。その先輩はサロンワーク以外に、当時から雑誌や広告のヘアメイクとしても多忙を極めていました。私は華々しく活躍する人のもとで働けることに誇りを感じながら、充実したアシスタント生活を送っていました。
先輩の突然の独立宣言で予定外の移籍
――broocHの立ち上げはいつでしょうか?
2006年です。私はキャリア4年目くらいで、ちょうどスタイリストデビューをしてすぐの頃でした。「さぁ、これからお客さんをたくさん取って頑張るぞ!」と意気揚々としていたある日、突然先輩から「俺、独立するから。杉山も付いてくるでしょ?」と言われたんです。
――まさかの急展開ですね!
昔のサロンはバリバリの体育会系でしたからね。先輩に向かって「イヤです」と言える雰囲気でもなく、本当に困っちゃいました(笑)。
――実際移籍するにあたっては、葛藤や戸惑いがあったかと思います。
やっぱり、大型有名店からスタートアップの個人店へ移ることには正直不安がありました。お店のネームバリューという点も心配だし、待遇面や労働環境は本当に大丈夫かなと(苦笑)。また、デビューしたばかりで自分自身のお客様はまだひとりもいない状態ですから、新しいお店に対して私自身は一体どんな貢献ができるのかと悩みました。
――それでも移籍を決断した理由とは?
先輩への信頼感です。この人と一緒なら、もっと魅力的な世界が見られる・新しい何かを創造できるという確信がありました。それに、憧れの人に必要とされた嬉しさがすごく大きかったですね。大切なオープニングメンバーに誘ってもらえたという事実は、私にかけがえのない自信とプライドをもたらしてくれました。
――尊敬できる先輩と出会えたことは人生の宝ですね。
そうですね。今はサロンを離れて別の業種で活躍されていますが、その圧倒的なセンスや先見性はとても素晴らしいと思います。また、これまで私が壁にぶち当たる度に相談に乗ってくれたのが、立ち上げメンバーのひとり・柳さんです。苦しい時はいつも、彼女のポジティブな精神や優しさに救われました。2人は私の美容師人生において、大きな指針となっています。
新規客ゼロからのスタート。タフな精神と仲間との絆でピンチを乗り切る
――オープン当初の様子はいかがでしたか?
それまでは有名店に在籍していただけに、認知度がないという現実はサロン運営においてこんなに不利なことなのかと愕然としました。もちろん、オーナーである先輩のお客様は継続していらっしゃいましたが、他の新規客はまるでゼロの状態が続いたんです。
――新規集客に向けてどういったアプローチをしたのでしょうか?
とにかくサロンの名前を知ってもらうことを目標に駆けずり回りましたね。HPでの発信はもちろんですが、何度も作品撮りをしてファッション誌の編集部へ売り込みをかけたり。サロンの立地柄、オシャレに敏感な若い世代をターゲットに据え、当時人気だった「SEDA」「PS」「nadesico」といった雑誌を中心に営業したことを思い出します。
結果、徐々にヘア特集などで撮影の声が掛かるようになり、「表参道のbroocH」と認知されるようになりました。たった4人ではじまったbroocHでしたが、気が付けば連日予約で埋まり、スタッフも増え、現在では都内に4店舗展開するまでになっています。
――スタート時の状況と比較すると感慨深いですね。
オープン当時は私も駆け出しで、どうやったら人を集められるのかという経験値がない中での試行錯誤でした。でも、結果が出なくてしんどい時があっても頑張れたのは、お店のメンバーの温かさとお互いへの信頼感があったから。ピンチの時こそ、一緒に働く人との絆って何より大切だなと思います。
………………………………………………………………………………………………
10年以上のお付き合いがあるお客様も多いという杉山さん。
「聞き上手であることが一番大切かな。あとは、ちょっとした会話の内容も忘れないこと。次のご来店が何ヶ月後であったとしても、自然と前回の会話の続きができることに、お客様が居心地の良さを感じてくれているのかもしれません。」
杉山さんの情の深さや相手と真剣に向き合う姿勢が、長年のファンを生み出しているのだと感じられるお話でした。
後編では、仕事と育児との両立に悩んだというご経験談や、年齢を重ねたからこそたどり着いた接客の新境地についてお聞きします。
取材・文:黒木絵美
撮影:喜多二三雄
…………………………………………………………………………………………………