アシスタント時代から週一で撮影、コンテストにも挑戦。とことん打ち込んだからこそ早くに結果が出せた【yiye代表/小俣恭平さん】#1 

都内有名店での経験を経て、2022年に美容師仲間との共同代表で「yiye」をオープンさせた小俣恭平さん。

時代とともに美容室のあり方も変わっていく中で、新しいことやおもしろいことを自分たちらしく形にしている注目のサロンです。

<前編>では、そんな小俣さんが美容師を目指したきっかけから学生時代、アシスタント時代のチャレンジングなストーリーをお届けします。

お話を伺ったのは…

小俣恭平さん

栃木県出身。日本美容専門学校卒業後、都内有名サロンを経てFILMSオープニングメンバーに参加。アシスタントの時から週一で撮影し、ヘアコンテストにも出場して結果を残すなど、休む間も惜しんで修行時代を突き進んだ。2022年、学生の頃からの同志である藤原トモヤ氏と共に「yiye(ヤイエ)」をオープン。現在は、神宮前と青山の2店舗を経営。良い意味で、美容室らしくない新しさやおもしろさを追求しながらyiyeブランドを拡大中。

OMATA’S PROFILE

お名前

小俣恭平

出身地

栃木県

出身学校

日本美容専門学校

憧れの人

株式会社BMSG代表取締役 日高光啓さん

休日やプライベートの過ごし方

体を動かすこと。

仕事道具へのこだわり

良いものを長く使うようにしています。色味は揃えたい派。揃っている方が気持ちも整う感覚です。

若い頃はお洒落してストリートスナップに載ることがステイタスだった

――まずは美容師を目指したきっかけは?

中学生の頃から将来は美容師になりたいと思い描いてましたね。

当時、野球を本気でやっていて。その反動もあってか、中二病って感じで急に洒落っ気づいてファッションに目覚めるみたいな(笑)

お洒落でかっこいい職業だなと、美容師に憧れたのが最初です。

――そこから夢は変わることなく?

ですね。地元が栃木県で、専門学校への進学で上京したのですが、高校生の頃から東京にはよく遊びに行ってました。

バイトしてお金を貯めて、原宿行って、髪切って、街歩いて、古着屋さんで洋服買って帰ってくる。

次はあのサロンに行ってみようと、東京のいろんな美容室に足を運んでいました。

――かなりお洒落感度の高い学生さんでしたね。

当時は「チョキチョキ」という雑誌が流行っていて、東京の美容学生や美容師さんがいっぱい載っていたんです。

あれに載ったら有名になって売れるぞ!という(笑)。今でいうSNSでちょっとバズるみたいな感覚ですよね。

僕も東京で美容師を目指していたので、ストリートスナップに撮られるべく、何度も街に通っていました。

――いざ上京して、専門学校時代の思い出は何かありますか?

美容室のレセプションでバイトしていました。有名店だったので、美容業界のいろんな一面が見れたり、学ぶことも多かったです。

あとは、海外に行ってボランティアでカットするという経験も。とある美容師さんがそういった活動をしている団体をやっていて、友人と一緒に参加しました。カンボジアで子供たちの髪を切って、一緒に遊んだりもして、貴重な体験になりました。

若い頃にいろいろ挑戦したことが、のちの活動や考え方のヒントになったり縁としてつながったりするんだなと、今改めてそんな風に思います。

アシスタント時代から週一で撮影に挑戦したことが結果につながった

――美容室に就職してからのお話を聞かせてください。

レセプションのバイトをしていたサロンに、改めて就職することが決まり、そこからが美容師としてのスタートになりました。

最初は本当に大変で、毎日叱られる日々。人生で一番怒られたんじゃないかってくらい(笑)、いろいろ揉まれて、やっぱり厳しい世界なんだと痛感しました。

――有名店だったなら、なおさら厳しい指導だったと思います。そこからFILMSの立ち上げに参加することになったきっかけは何だったのでしょう?

学生時代の友人からいろんな縁がつながって、声をかけてもらったのがきっかけです。

自分はまだ若かったけれど、美容師として頑張ってやって行きたい熱量が分かってもらえてすごくうれしかったし、新しいことにチャレンジするのが楽しみでした。

――新しい環境になって、また一からのスタートに?

そうですね。2年目でFILMSに行ったのですが、最初からまたやり直しました。

前のサロンでは学ぶことは多かったけど、悔しい思いもたくさんして、新しい環境になったからにはまた頑張って一旗上げてやろう!と、そんな気持ちが強かったです。

――気合い充分! その頃に力を入れていたことは?

デビューした瞬間から売れたい!というのを目標に、いろいろ準備していった中で、毎週スタイル撮影を続けていました。

モデルさんとコンタクトをとって、ヘアとメイク、衣装も用意し、自分で撮ってました。チームではなく、完全に一人プレイです。

――毎週!? それも一人ですべて準備するとは相当大変……!

頑張りたかったのと、あとは好きだったから続けられたのかもしれません。

当時はまだSNSで集客する感じではなかったけど、将来的に集客ツールになるだろうなと予想して、撮影した写真はずっとインスタにアップしていました。

――アシスタント時代から続けていたというのもすごいですね。

撮影もそうですが、アシスタントの頃からコンテストにも出て決勝まで行けたりとか、とにかくチャレンジしてました。

アシスタントは、スタイリストの撮影準備を手伝うというのが普通だった時代です。もちろん先輩に付いてアシスタントもやりながら、自分でも挑戦していました。

それをOKとしてくれたのも、FILMS代表の若林さん、設楽さんの方針。「自分が本気でやりたいことなら、自由にやってみたらいいよ」というスタンスで、その環境は本当にありがたかったし、FILMSにいなかったら今の自分はないと思います。

――アシスタントからデビューしてスタイリストへ。当時悩んでいたことや、ぶち当たった壁は?

正直、独立するまでに悩んだことはなかったかもしれません。もう悩む暇があったら進め!というマインドで、デビューしてからも毎日全力でした。

常にやることが目の前にあって、この先はこういうことをやってみたい、こういう自分になりたいというのに向かって突き進む。

ほとんど遊びにも行かず、めっちゃ働いてめっちゃ撮影して、すべての時間を仕事につぎ込んだおかげで早く結果が出せたと思っています。

独立しようと思った理由はシンプルにチャレンジ精神

――そんな中で、独立しようと思ったのは?

シンプルに、チャレンジ精神です。

若い頃は、予約がたくさん入る美容師を目指して、それを達成した時に、じゃあ次は何だろう?となったんですね。次の目標はどうしよう、と。

さらに売り上げを伸ばしたいという考えにはなりませんでした。毎日を充実させることが好きで、イコール毎日お客様がいる、それが幸せだった。そこへ最後にお金がついてくるという感覚。

なので、売り上げを更新するよりかは、もっとおもしろい何かにチャレンジしたり新しい世界に飛び込みたい、そんな気持ちが大きかったです。

――独立して立ち上げた「yiye」は、共同経営とのことですが。

学生時代にカンボジアに一緒に行った友人です。彼はフリーランス美容師として働いていて、すでに会社も経営していました。

さらに、YouTubeをやったり飲食など他の事業もしているちょっと異色の人物で。

日頃から会ったりはしていましたが、一緒に新しい事業を始めないかと声をかけてくれて、それもタイミングがばっちり。そこから新サロンを立ち上げることになりました。

――他店へ行くでもなく、フリーランスでもなく、サロンを一から作ろうと思ったのは?

フリーでやるイメージはなかったですね。みんなで何かを作り上げたい、おもしろいことを形にしたい、そんなワクワクするようなことをやってみたかった、それがyiyeのスタートです。

取材・文:青木麻理(tokiwa)
撮影:生駒由美


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yiye(ヤイエ)
Instagram@yiye.hair

神宮前
住所:東京都渋谷区神宮前3-16-17 m-flame 1f B
電話:03-5843-0467
青山
住所:東京都港区南青山5-16-2 ティスモタイキ南青山3F
電話:03-6712-5088
小俣さんのInstagram@yiye_omata

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