自分を導いてくれる人や、信じてくれるお客様のおかげで美容の道を邁進【Nuage’ 津野美奈子さん】#1
おしゃれなメンズヘアから大人可愛いレディースヘアまで、徹底的な似合わせテクニックで作るスタイルに定評がある津野美奈子さん。南青山のサロン「Nuage’(ニュアージュ)」のオーナースタイリストであり、雑誌やWEBでトレンドヘアを発信する実力派美容師です。
前編では、津野さんが自分のお店を持つ以前の美容師人生を中心にインタビュー。美容師になったきっかけや、練習に明け暮れた修行時代のこと、接客が苦手ゆえに技術に全振りしたお話などをご紹介します。
お話を伺ったのは…
Nuage’
代表・美容師 津野美奈子さん
1993年東京総合美容専門学校を卒業、1994年スタイリストデビュー。都内2店舗を経て1995年株式会社スタジオビューティ(StudioV)にアシスタントとして入社し、1998年にスタイリストデビュー。2001年、pamsメイクスクールクリエイティブ科卒業、2002年第1回社内コンテスト1位。2003年に原宿の某有名サロンに入社し、10年勤務。一般誌や業界誌の撮影、カット&パーマセミナー講師、商品開発、ヘアショーコンテンスト審査員など幅広く活動。2012年に独立し、原宿にnuageをオープン。2023年、表参道で「Nuage’」として再スタート。
TSUNO’S PROFILE
お名前 |
津野美奈子 |
|---|---|
出身地 |
埼玉県 |
出身学校 |
東京総合美容専門学校 |
憧れの人 |
加茂克也さん。ロケ撮影風景をたまたま拝見し、その神がかったメイクに感動しました。 |
プライベートの過ごし方 |
パワー系ヨガ、登山、旅行、音楽・映画・絵画鑑賞 |
仕事道具へのこだわり |
刈り上げ面を出す片刃と厚切りができパワー系かつ繊細なチョップカットが得意なベースカット用シザーと、1束1束繊細かつ大胆に毛量調節できるアールシザーの共同開発販売を専門店と行いました。この優れものがないと仕事ができません。 |
「ダメ人間だった」と振り返る、美容師の卵時代

――美容師になりたいと思ったきっかけは何ですか。
中学生の頃に学校で進路説明会があり、美容専門学生を知ったのが最初のきっかけです。その当時は「美容師は、女性でも学歴がなくても稼げる」というアピールをされていて、素直にすごい仕事だなと思ったんですね。
中学卒業後は高校に進学し、バンド活動に夢中になりました。ライブがあるたびに、市販の薬剤を使って友達の髪を染めたり、パーマをかけたりしていたんです。そんな中、当時通っていた美容室で「将来は美容師でもやってみようかな」と答えたら、他のお客様もたくさんいる中で怒鳴られたんですよ。「美容師を舐めるんじゃない!」って。そしてなぜかその店でバイトをすることになりました。
――津野さんのことを思ってのお叱りという感じがします。
きっとそうですね。バイトと言っても大したことはできないし、雇ってくれた店長に「一番楽な美容学校はどこですか?」なんて聞いたりして、本当に失礼な子供でした。それでもすごく親身になって、私に合いそうな専門学校や必要な道具を教えてくださったんです。
その方がいなかったら、美容師のスタートラインに立つことさえできなかったかもしれません。スタイリストになった時、一言ご挨拶をしようと電話をしたのですが、すでに退職されていました。会うこともお話することもできないままなのが心残りです。
――専門学校の時の就職活動は大変でしたか。
やる気のある子達は早い段階から就活を頑張っていたようですが、私は学校の先生に「給料が一番いいところで働きたい」と言って、勧められたところを受けて合格しました。ところが、入社に必要な手続きをしておらず、卒業間際で就職が白紙に。先生に泣きついて別のサロンを紹介してもらい、その日のうちに面接に行き、受かりました。
――先生のおかげで就職できたんですね。そのサロンではどんな経験をされましたか。
新人は私一人だったのですが、今考えると「ありえない新人」でした。営業前の掃除や準備には遅刻していましたし、雑用ばかりになるのが嫌で、店長とオーナーのヘルプしかしませんと言っていました。アシスタント期間が長くなるのも嫌だったので、次の人を入れてくれなかったら辞めますという宣言まで!よくもそんなに強気でいられたものです(苦笑)。それなのに先輩方にはすごく可愛がっていただきました。
とにかく早くスタイリストになりたかったので、練習はたくさんしました。営業中でも少し時間が空けばキッズルームで練習。営業後も一人で夜中まで残って練習。寝不足と疲れで、家の玄関で倒れるように寝ていたこともあります。
――そこでは何年くらい勤めたのですか。
1年ほどです。早々に辞める宣言をしながらも1年続けられたのは、ある先輩に出会ったからだと思います。突然「津野さん、交換日記やるよ」と言われて、私は適当に「友達と遊んだ」みたいなことを書いたんですけど、「そうじゃなくて、1日の営業を振り返って書いて。それに対して私が返事を書くから」と。仕事とはこういうものだとか、こうすると一味違うとか、たくさん書いてくださったんです。どうしようもない新人にそこまでしてくれる人は、なかなかいないですよね。
厳しい環境に身を置き、自他ともに認める“練習の鬼”に

――最初のサロンを辞めてから、どうされたのでしょうか。
先輩のツテで、ニューオープンのサロンに入りました。前サロンでカリキュラムはすべて受かっていたので、移籍と同時にスタイリストデビューしたのですが、途中で実力不足を感じたんですね。もっと自分を鍛えたいと思い、雑誌に載っているサロンに電話をかけて、面接をしてもらいました。それで受かったのがStudioVという、当時の有名店です。
――StudioVでは、アシスタントから?
本当はスタイリストとして入りたかったのですが却下され、入社初日にシャンプーやブローのテストをして、2年目のカリキュラムからのスタートになりました。当時は中途で入った人が他にいなくて、年上の後輩がいっぱいいて、ちょっと辛くあたられた覚えがあります。
――それでも頑張れた理由は何でしょう。
前に勤めた2店でものすごく練習したという自負があり、有名店の人にも負けていないという意地があったと思います。StudioVに入ってからもずっと練習の鬼でした。そんな私を「生意気だけど、なんかおもしろいじゃん」って引き上げてくれた先輩が少なからずいたのも、ありがたかったですね。
――アシスタント期間中に一番大変だったことは?
毎日のようにモデルさんを呼んで練習して、チェックをしてもらって、テストを受けての繰り返しなので、とにかくモデル探しが大変でした。休憩時間も営業後も休日も街で声をかけて、夢でまでモデルハントしていましたね。体に変調をきたすほど、本当にキツかったです。
――スタイリストになってから力を入れたことや、苦労したことは何ですか。
先輩美容師を売り上げで追い抜いてやるという気持ちでとにかく突っ走っていました。でも、歴の差はそう簡単に埋まらず、絶望して辞めたくなったことがあります。スタイリストになってまだ半年くらいの頃だったので、相談した先輩には呆れられましたけど(笑)。
技術には自信があったものの、スタイリストとしてなかなか売れませんでした。ヘアメイクスクールで学んだり、こっそりヘアメイクのアルバイトをして鍛えてもらったりしていたので、美容師ではなくヘアメイクの道へ行こうと考えたこともあります。
――美容師として売れる転機はいつだったのでしょうか。
社内コンテストで1位を獲り、そのご褒美が雑誌の仕事でした。そこで作ったメンズスタイルが表紙にも掲載されたのを皮切りに、その後入社した原宿の有名サロンでも撮影を担当させていただき、読者ランキングで1位を獲得しました。その頃から、お客様がドッと来てくださるようになったんです。
サロン内外の仕事で活躍し、30代最後の年に独立

――原宿の有名店に移ったことで、何か気づきや変化はありましたか。
StudioVの時は、「1年先くらいの流行を捉えて、日本で一番のスタイルを作らないとダメ」という感じだったんですよ。でもそのサロンに入ったら、「流行を先取りしすぎたらお客様に伝わらない。最先端の半歩手前のスタイルを提案する」ことが大事で。尖ってナンボという世界で育ってきた私には衝撃でした。
また、作品撮りで起用するモデルにも違いがありました。StudioVでは広告やファッション誌に売り込むことを想定し、7.5〜8頭身のモデルさんに撮影をお願いしていましたが、原宿のサロンではバストアップにフォーカスし、魅力的なメンズモデルさんや可愛いレディースモデルさんで集客することを経験しました。そのようなことを学べた環境と、その時のオーナーが私を売ってくださったことに今でもとても感謝しています。
――両方の考え方を経験することで、美容師としての引き出しは増えそうです。在籍中に、悩んだことや苦手だったことはありますか。
StudioV時代も移籍後もずっと、お客様と話すことが苦手でした。若い頃に「接客7割、技術3割」と教わったことがあります。「技術だけでついてくれたお客様はちょっとしたことで離れていくけれど、人と人としてつながっているお客様は離れにくい」とも言われました。でも私は全然話せなかったので、技術にかけるしかないと思ったんですね。苦手なことを克服するより、もともと少しは自信のあった技術に全振りしたわけです。
話せるようになりたいとは思っていたんですよ。キャバ嬢の接客術の本とか、ナンバーワンセールスマンの話術の本とか、たくさん読みました。今考えると、アプローチ方法がちょっと違ったなぁ(笑)。
――独立したいという思いはいつ頃からあったのでしょうか。
移籍して7年くらい経った頃ですね。ところが、仕事の切れ目がなくどんどん年月が経ってしまいました。取材やセミナー、商品開発などサロンワーク以外の仕事を次々にいただいて、休みが全然ない状態で。
独立するからには、所属関係なく私自身に仕事が来るようにしなければならないという思いもありました。だから、雑誌の編集者さんやライターさんとのパイプを作る必要があったし、期が熟したと感じるタイミングも重要だったと思います。
――なるほど。それで時間がかかってしまったんですね。
周りからは「何をグズグズしているの」と言われていました(笑)。あとは、当時おつきあいしていた方との間に子供がほしかったのですが、お相手は子供を望んでいなかったんですね。彼を説得して子供を作るのか、先にお店を出すのか、年齢的にギリギリのライン。自分の中で決断を迫られたのも、独立のきっかけになりました。
技術をとことん磨き上げ、雑誌の撮影など外部の仕事でも休む間なく活躍を続けた津野さん。一方で、お客様と話すのが苦手というコンプレックスは、なかなか克服できずにいました。後編では、独立後のマインドの変化や、いったんお店を閉めることになったお話、そこから現在に至るまでの紆余曲折をお聞きしています。
撮影/高嶋佳代
取材・文/井上菜々子
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Nuage’
住所:東京都港区南青山5-12-6 英ビル3F
TEL:03-6427-5881
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