自分にとっての道しるべは自分が作る。私の履歴書 Vol.29【SUNVALLEY 朝日光輝さん】#1
ヘアサロン「SUNVALLEY」代表の朝日光輝さん。数多くの有名ファッション誌でヘアメイクとしても活躍するほか、ヘアショーの審査員を務めるなど活躍は多岐にわたります。新卒のときの入社面接では、ドレッドヘアかつ上下ジャージで面接に行ったとか!? そんな朝日さんの転機となったきっかけなどをお届けします。
ASAHI’S PROFILE
幼少期〜専門学校時代
最初は建築関係に進んだんです
――幼少期はどのように過ごされましたか。
僕は昔から絵を描くのが好きでした。実家は喫茶店だったのですが、喫茶店って漫画がいっぱい置いてあるじゃないですか。自分では漫画を買った記憶がほぼ無いのですが、喫茶店にあったのを読んで絵を描くということを繰り返していました。
小学校は、本当にクラスに20人いないかくらいの田舎の学校へ通っていました。逆に中学になるとマンモス校で、ひと学年に十何組もあるようなところへ。中学校の部活では、バスケットボール部に入りたかったのですが、定員オーバーと言われて泣く泣くバレーボール部に所属しました(笑)。
――美容の道へと進むきっかけは何かあったのでしょうか。
ずっと丸坊主だったのですが、色気づいて伸ばし始めたときに自分がクセ毛だということに気がついたんです。そのせいで先輩に呼び出されたり、先生にパーマをかけているんじゃないかと怒られたこともありました。中学2年生の頃に、ストレートパーマを初めてかけたんです。クセ毛を伸ばしてもらった喜びは忘れられないですね。その頃、美容家の山野愛子先生のお宅を訪問する番組で豪華な自宅を拝見して、美容の人ってこんなに豊かになれるんだと驚き、そこから美容師になりたいと思うようになりました。
――その後、専門学校に通われたのでしょうか。
高校に入るときに「美容師になりたい」と父親に進路相談をしたのですが、反対されました。結局、絵が好きだったので建築や空間デザインが近いのかなと思い、建築の専門課程を学びに行きました。ただ、通っているうちに自分が思っていたこととは違うなと感じて、最終的には美容の専門学校へ行かせてもらうことに。
1年制だったので、あっという間でしたね。たまに同級生と同窓会するのですが、ドレッドヘアだったこともあり、色んな意味で目立っていたとよくいじられます(笑)。
新卒時代
ヘアメイクをやるきっかけとなったサロンとの出会い
――建築関係とは驚きです! 美容の専門学校を卒業された後は、地元の美容室に就職されたのでしょうか。
専門学校の先生に推薦で紹介された東京の有名店でした。今思えばすごく舐めててましたね。わざと落ちようと履歴書に写真を貼らず、上下ジャージのセットアップで面接しに行ったんです(笑)。ですが、その場で合格をいただいて(笑)。結局、とても楽しく仕事をさせていただいて、7年ほど在籍しました。
――新卒で働いていたサロンの思い出はありますか?
当時はほとんど男の人しかいないお店だったので、先輩とも仲良く和気あいあいとしていたと思います。同期も仲が良くてライバル意識を燃やしながら、誰が早くスタイリストになれるかを競っていたような気がします。
誰よりも早くスタイリストになりたかったので、朝も早くから夜遅くまで残って練習し、休みも返上して練習をしていました。「学ぶ」って、とても楽しいじゃないですか。できなかったことができるようになると、それがシンプルに楽しかったです。
――メイクをやるきっかけは何かあったのでしょうか。
当時、ヘアメイクの現場を見させていただいたお店で、ヘアメイクの仕事というものを教えていただき、楽しさに気づきました。スタイリストデビューと同時に外のヘアメイクの仕事もやるようになったので、とても楽しかったです。
先輩の仕事について行き、モノクロのページのヘアメイクからスタートさせていただいて、23歳の頃には雑誌のカバーをやらせていただきました。本当に運が良くて、人に恵まれたと思います。作った作品が残ったり、名前も載るわけですし、田舎者としてみれば、とても嬉しかったです。
転機
疑問に思ったら、常に行動へと移す。これが転機に
――ヘアメイクを始めたことでお客様の数も増えましたか?
デビューしてすぐに当時流行っていたヘアカタログのヘアページをやらせていただいて、それを見たお客様がたくさん来てくださったんです。雑誌のヘアメイクもやらせていただいて、相乗効果で指名も売り上げも伸びました。当時は、お店の看板があることで自分に仕事が来ていると思うことも多かったので、一度その看板を取っ払って自分にどれくらいお客様がついていて、どれくらいの仕事ができるのか試したくなり、2店舗目と移りました。
移動後は、なかなか苦労することもありましたがヘアメイクの仕事も徐々に増え、2ヶ月後には忙しさが戻ってきました。ありがたいことにそこから20数年間、ずっとヘアメイクの仕事をやらせていただいています。
――転機となったきっかけは何かありましたか?
自分は、幸せすぎると不満を口に出してしまうんです(笑)。豊かじゃないときは豊かになろうと頑張るのですが、いつも「これでいいのかな?」と自分の中でのあまのじゃくが出てきてしまう。
先を見てこれ以上伸びるためにはどうしたらいいのか、これからの未来はどうなっていくのか。先を見据えたときの感覚が、自分にとっての転機にあたると思います。自分で考えて、常に行動に移す。これが人生の転機になっていますね。
自分の中の感覚や勘を大事に、行動へと移していくことで成功していった朝日光輝さん。後半では、「SUNVALLEY」ができたきっかけや作品のインスピレーションや今後の展望などを伺いました。
▽後編はこちら▽
魅力ある年齢の重ねかたが美容業界への恩返し。私の履歴書Vol.29【SUNVALLEY 朝日光輝さん】#2>>
撮影/石原麻里絵(fort studio)
取材・文/梅澤 暁