樋口 敦 interview #2:熱狂の日々。Jリーグの現場で働いて感じたこと
解剖学や運動学の知識を基に、スポーツ選手の体をケアし最高のパフォーマンスを引き出すトレーナー。トレーニング指導により筋力を向上させるだけでなく、ケガをした時は痛みの原因を突き止めて治療を施し、体を元の状態に導くことも仕事のひとつです。まさに体作りのプロフェッショナルと言えます。
今回は、Jリーグの専属トレーナーとして働いた経験を持つ、トレーナーの樋口敦さんにインタビュー。現在はフリーのトレーナーとして、スポーツ業界を飛びだし会社員や学生など、一般の方にも健康な体作りの指導をしています。そんな樋口さんは、いったいどのようにして現在のスタイルにたどりついたのでしょうか。中編では、プロサッカーチームの専属トレーナー時代に味わった、感動と苦悩について伺いました。
トレーニングメニュー作りを通して感じたリハビリとの違い
――千葉県の病院で勤務した後の活動を教えてください。
「神奈川県にある病院で9ヵ月間勤務をしました。その病院は、ジムが隣りに併設されており、スポーツ選手に特化したトレーニングメニューの作り方を学ぶことができたんです。千葉県の病院では、ケガをした患者さまへのリハビリがメインで、トレーニングにはあまり関わってきませんでした。日常生活ができない状態の方を元のコンディションに戻すリハビリと、問題なく生活ができる人をさらに高いパフォーマンスが発揮できるように導くトレーニングは、まったく別の知識が必要になります」
子供の頃からの夢が現実に
――神奈川の病院で働いた後は、どのような活動をしたのでしょう?
「2011年から2年間、プロサッカーチーム『ファジアーノ岡山FC』の専属理学療法士として活動しました。オファーの連絡がきた日のことは、今でも鮮明に覚えています。ジムでトレーニングをした後ロッカールームに戻り、スマホを見ると知らない番号の着信が残っていたんです。かけ直してみると、岡山を本拠地として活動するプロサッカーチームの方が出て『私たちのチームで専属のトレーナーとして働きませんか』と。まさか、社会人4年目で子供の頃からの夢が叶うとは思っていなかったので、本当に嬉しかったですね」
――プロサッカーチームのトレーナーになった初日について教えてください。
「初日は、スタッフの打ち合わせでした。まわりを見渡すと、僕が小学生の頃にJリーグでプレーしていた選手が監督やコーチに就任していて、『こんなすごい方たちと、同じフィールドで働くことができるのか』とすごく感動したことを覚えています」
選手とともに笑い、選手とともに泣く
――サッカーチームでトレーナーとして働いたなかで一番嬉しかった瞬間を教えてください。
「ケガにより長期離脱をしていた選手がゴールを決めた時です。ゴールを決めた後に真っ先に僕たちの元に駆け寄ってきてくれて、その笑顔を見た瞬間『本当にサッカーチームのトレーナーをやっていてよかった』と感じましたね」
――逆に、悔しかったできごとはありますか?
「担当していた選手をケガから復帰させることができなかったことですね。その選手は、鼠径部症候群という股関節に痛みがでる病気でした。必死に勉強して治療を施しましたが痛みがとれず、結果その選手が解雇されてしまったんです。その時は、本当に自分の力不足を感じました」
――Jリーグの現場で働く魅力を教えてください。
「熱狂できるところですかね。あれほど感情が揺れ動く仕事はないと思います。試合に勝った時は選手とともに歓声を浴び、負けたら選手と一緒に泣く。本当に、刺激的な毎日でした」
プロサッカー選手と一緒に仕事をするなかで、「ベテランの選手ほど自己管理がきちんとできていた」と語る樋口さん。選手から教えられることも多くあったそうです。後編では、現在フリーのトレーナーとして働くなかで感じていることや、今後の目標を伺いました。
Profile
樋口 敦さん
理学療法士、日本体育協会公認アスレティックトレーナー。
大学卒業後、千葉県、神奈川県のスポーツ整形外科に勤務。医学知識を生かし、スポーツ選手を中心に20,000人以上のリハビリを行う。2011年、Jリーグファジアーノ岡山FC専属理学療法士に就任。プロサッカー選手のリハビリ、コンディショニング、トレーニングを担当。現在は東京、岡山、広島を中心にアスリートに関わった経験を生かし、美しく健康に生きるための手段を広めている。
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