私の履歴書 Vol.3【ヘア&メイクアップアーティスト・イガリシノブ】#1
美容業界で注目を集める方々の生い立ちを紹介する「私の履歴書」。今回は日本に留まらず海外でも人気を博すヘア&メイクアップアーティストのイガリシノブさん。ヘアメイクとしてトレンドを発信している彼女の生い立ちを伺いました。
イガリシノブ PROFILE
幼少期〜ロンドン留学時代
負けず嫌いだから早く結果が出る、その分ひとつのことを長く続けられなかった学生時代
–まず、イガリさんの幼少期から学生時代について教えてください。
女子がグループで固まるのが好きじゃないし苦手で、男子と仲良くしている子でしたね。学校の代表に選ばれることもあって、ちょっと目立つというか。それとスポーツに打ち込んでいました。水泳ではオリンピックコースにいて、剣道では関東で優勝したり。
–スポーツで上を目指そうとは思わなかったんですか?
なんか全部続かないんですよ。水泳も剣道も結局途中で辞めちゃったし。負けず嫌いだから早く結果を出したくて頑張るんです。だから優勝したりしてたんですけど、その分燃焼しやすくて、ここまできたからもういいかって気持ちになったり。結局他のことに目がいってそこで辞めちゃう、この繰り返しでしたね。だからひとつのことを極められなくて。
この当時、唯一ずっと好きだったのはファッション。ピアノの発表会にドレスじゃなくてベレー帽にジーパンのセットアップを着させてくれる親だったので、その影響からか洋服が好きでした。友達と地元の駅ビルに買い物に行くような、ファッションに敏感な子でした。でも高校のときに横浜から栃木に引っ越しをして。洋服が好きだったから買い物ができない栃木が退屈で退屈で(笑)。そこから原宿に通うようになりました。剣道の特待生で高校に入学したのに、結局ファッションが好きすぎて部活を辞めちゃうっていう(笑)。特待生で入って部活を辞めるなんて邪道でしたし、周りはみんな頭が良いから高校に居づらくなったのを覚えています。
その時代って原宿にはホコ天があって、みんなお洒落して通っていたんですよ。その時に雑誌の編集者に声をかけられるようになって読者モデルとして雑誌に出ていました。当時はとりあえず実家から早く出たい、東京に行きたいって気持ちが強かったですね。
基本的に恋愛してなきゃダメな恋愛体質。それがわたしのメイクのベースに
–そんな東京にはいつ出られたんですか?
高校3年の夏、バンタンデザイン研究所で夏休みに3日間寮に泊まって体験学習できるプログラムがあったんですよ。何度かプログラムを受ければ、夏休みはほとんど東京にいられたので、これはもう一番最初に家から出られるチャンスだと思って。その時にヘアメイク科にかっこいい先輩を見つけたんですよ。当時はヘアメイクって仕事もメジャーではなかったし、そもそも肌が弱い私はいつもほぼすっぴんでメイクも不得意。正直ヘアメイクにはあまり興味がなかったんですけどその先輩がいたからヘアメイク科に入りました。ただ負けず嫌いだし、親にお金も出してもらった以上、絶対に実家には帰らないって強い気持ちがあって。でも結局メイクだけが学びたくなってバンタンも途中で辞めちゃうんだけど。ブライダルのバイトをしながらSASHUのヘアメイクスクールに6ヶ月間通って、メイクだけを学び、19歳でロンドンに行くことにしました。
–ロンドン留学のきっかけはなんだったんですか?
そのときに付き合っていた彼氏から離れたくて。いつもきっかけは男の子(笑)。
–結構恋愛体質なんですね!
そうかもしれないです。専門学校もかっこいい先輩がいたから入ったし、ロンドンも彼氏と別れたくて行ったし。恋愛していないとダメなタイプで。でもそれが結構重要だと思うんですよね、私のメイクを語るには。色気のあるメイクが好きなのも、自分の恋愛体質な部分が出ているんじゃないかと思っています。ロンドンで恋人を作るぞ!って気持ちも大きかったし。
–そんなロンドンはどうでしたか?
もちろん恋もしたけど、友達と遊ぶのが楽しくて。3ヶ月間ヨーロッパをバックパックで旅しました。そこで受けた刺激は今の自分にとってすごく大きくて。性格はそんなに変わらないんですけど、親が厳しかったから言いたいことを言わずに我慢している子だったのが、ここまで喋るようになりました。それはロンドン時代からだし、女子がグループで固まることが苦手だけど、それでいいんだって気づいたのもこのとき。ロンドンでの1年半は濃かったですね。
アシスタント時代〜デビュー当時
仕事も遊びも全力投球だった20代
–そのあと帰国してからヘアメイクに?
ブライダルとか夜のヘアメイクのバイトをして、24歳でヘアメイクさんのアシスタントにつきました。師匠は海外アーティストも担当している人だったので、荷物をホテルに届けて終わりってことも多かったです。現場で仕事を見たいのにいさせてもらえないし、今のアシスタントみたいに毎日側につけなかったから、もっとやりたいなとずっと思ってましたね。10代から読モをしていたのもあって、その時にヘアメイクの真似事みたいなことをさせてもらう機会があったんですよ。なので、できないけどやる気はありましたね。とにかくこの時期は経験を積んで、早く独立したい気持ちが強かったです。師匠のもとで1年半アシスタントをした後独立し、師匠が紹介してくれたLAZY SUSAN WEDDINGに所属しました。
–最初はウェディングのヘアメイクを担当されていたんですね。
そうなんです。でも、入ってすぐに梨花さんのヘアメイクの人数が足りないってことでBEAUTRIUMに移籍しました。梨花さんだけじゃなくて加藤ミリヤさんも担当させてもらったり。当時はとにかく忙しかったです。ほとんど休みなく働いていました。
–独立してからはどうでしたか?
教科書通り、というような道は辿っていません。とにかく自分の負けず嫌いとやる気と今までの経験を糧に突き進んだ感じですね。でも、チャンスがきたときにそれを掴める準備はできていたのかなって。あととにかく遊んでいました。今の若い人達は全然遊ばないですよね。仕事に熱心ですごいけど、大変だなって感じます(笑)。もっと遊んだ方がいいのに!って思うし、今遊んでる仲間と10年後仕事を一緒にしているかもしれないわけだし。この職業って人と出会った数が多いほどいいと思うんですよ。だから遊んだ方がいい!
–そんな忙しい生活の中でどうやってその時間を捻出していたんですか?
寝ずに遊んでました(笑)。夜23時に集合する時は3時間仮眠をとって、それから遊びに行って、朝帰ってきてお風呂に入って仕事に行く。ビバリーヒルズみたいな生活でしたね。とにかく友達が大好きで。20代って寝なくても仕事したり遊んだりできて、質よりも量をこなせる年齢じゃないですか。その結果が今に繋がっていて、いろんなお仕事ができているからよかったって思います。30代後半になって、20代の時に遊んでいたメンバーに会うとすごく特別というか、30代で出会った人とはちょっと違うんですよね。その感覚ってすごく楽しいじゃないですか。だからとにかく若いうちにたくさんの人と出会っておくことが大事だと思います。
夢中になれるヘアメイクという仕事に出会ったイガリさん。次回は彼女の人生の転機や若い世代の方々へのメッセージをご紹介します。
取材・文/黒川香菜子(レ・キャトル)
撮影/石原麻里絵(スタジオバンバン)
協力/BRENTWOODTERRACE(03-6434-7686/http://brentwood-terrace.com/)
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