「あの先生のようにはなれない」。自分に合うベクトルで努力する生存戦略「お灸堂」鋤柄誉啓さん
著書は3冊、Twitterのフォロワーは4万人超え。京都でお灸と養生の治療院「お灸堂」を営み、県外からも多くの患者さんが訪れる。そんな活躍をされているのが、鍼灸師の鋤柄誉啓(すきからたかあき)さんです。
どのようにして今のポジションを築かれたのかを伺うと、意外にも「就職、修行、独立の初期段階のすべてを失敗している」という言葉が返ってきました。さらにお話を伺っていると出てきたのは「自分をうまいと思ったことはない」、「才能はないです」、「自信がない」などネガティブにも聞こえかねない言葉。しかしその言葉の裏には、自分の能力や興味関心のベクトルをきちんと見極め、自分にあった努力を重ねる生存戦略がありました。
今回、お話を伺ったのは…
鋤柄誉啓(すきからたかあき)さん
「お灸堂」院長/鍼灸師
大学受験を控えた高校生のころに、鍼灸を学べる大学があることを知り、興味をそそられるままに、明治鍼灸大学鍼灸学科に入学。卒業後は鍼灸師として鍼灸整骨院や鍼灸院で経験を積み、出張の形で独立するも、集客がうまくいかない日々を送る。マーケティングを学んで再出発し、お灸の専門院を立ち上げることを決意。2013年に京都で「新町お灸堂 開院」を開院する。2020年には「お灸堂」に改名し、お灸と養生の専門院を開院。日本全国から患者が訪れる治療院となる。
著書に「ゆるませ養生~“何だかしんどい”を楽にする『自分を大事にする作法』」、「絵でわかる 京都・お灸堂のほどよい養生 すぐできて、体が整う 手当てと習慣150」、「心と体をゆるめて、すっきり巡る まいにちのお灸と養生」があるほか、漫画「きょうの灸せんせい」の監修も担当している。
もっとうまくなるため、臨床能力の高い先生の元へ修業に
――今日は鋤柄さんがどのようにして今のポジションを築かれたのかを、ぜひお聞きしたいと思います。
おかげさまでここ3年ほどは経営が安定してきていますが、その前の段階ではすべて失敗しているといってもいいぐらいなので参考になるかどうか(笑)。僕は鍼灸整骨院に就職したあとに、ある先生の元で修業させてもらいましたが、手ごたえがないまま退職してしまいましたし、出張の形で独立したときは患者さんが1日に1人ということもざら。お金もほとんどない状態でした。
――それは意外です。まず修業時代からお話を伺っていいでしょうか。なぜその先生のところに修業に行こうと思ったのですか?
臨床能力の高い先生だと思っていたからです。修業に入る前に働いていた整骨院では、自分は患者さんを元気にしたり、治したりはできていないんじゃないかという思いが強くて。今でもそうですけど、自分がうまいと思ったことは一度もなくて、うまい先生を近くで見て学べるような機会があれば、勉強したいと思っていたんです。そのときの課題感として、臨床能力の打率をあげたいとずっと思っていました。臨床能力というのは要するに、患者さんがどういう状態で、それに対してどう打ち手があるかが分かり、治療の見通しを立てられる状態です。
「信号が変わったら教えて」。圧倒的な差を感じる日々
――先生からはどんなことを学びましたか?
もちろん学んだことはたくさんあるのですが、この修業で強烈に感じたことは「この人みたいにはなれない」ということでした。先生は治療が得意で、そして好きで、いくらでも治療を続けられる。さらに体や治療の知識を得ることにも貪欲で、暇さえあればそういう本をずっと読んでいるような人だったんです。今でもよく覚えているんですけど、先生の運転している車に2人で乗っているときに、赤信号で車が停まるじゃないですか。そうすると「信号が変わったら教えて」って言って本を読みだすんですよ。息を吸うように知識を吸収する姿を見て、自分には絶対に同じことはできないと思いました。
人の能力のなかでも興味関心の向きは、努力でどうにかできるものではないと思うんです。仮に僕がいろいろなことを我慢して、なんとか努力して、体や治療の知識を得たとしても、きっと追いつくことすらできないと思うのです。正直、落ち込みましたね(笑)。知識がある人や、結果を残している人というのは、元からすごいのではなくて、圧倒的な量をこなしているからその境地に達しているという、ある意味当たり前の事実に気付かされました。
――先生とのやりとりのなかで、印象的だったことはありますか?
度々問いかけられたのは、「治るっていうのはどういうことを言っているの?」ということです。「どういう鍼灸師になりたいの?」と聞かれたときに、僕は「ちゃんと患者さんを治せる鍼灸師になりたいです」と言ったのですが、「治るっていうのはどういうこと?」と質問を重ねられて。「痛みがなくなることですかね…」、「そっかあ。でも痛みってなくなるの?生きてたら当然また痛くなるよね」…。こういうやりとりが続くんです。これまで考えたこともなかったですし、禅問答のようでどうにも難しかった(笑)。
でも、何をもってその人が良くなるといえるのか、その人にとってのゴールをどう設定するのかという、治療に携わる人間であればだれもが考え続けなくてはいけない問いにきちんと向き合うきっかけになったと思います。その場で痛みがなくなったとしても、それが一生続くとも限らないわけだし、自宅に帰られたあとにどうなるのか、1年後は?5年後は?と、常に考えるようになりました。元々、俯瞰したポジションで患者さんを見ているところがあったのですが、それがより強化された気がします。そんな経験があるからか僕は今でも「治せる」とは言い切れないし、「治せます」と言い切れる人を見ると自信があっていいな、うらやましいなと思います。
大切なのは自分にあった努力だと気付いて
――自信はないとのことでしたが、今では経営を安定させられていますね。その理由は?
まだまだやることは山積みですが、ひとまず自分がすごいと思った人をなぞるように努力するのではなく、自分にあったベクトルで努力をすると決めたからだと思います。勤め先の先生以外にも、いろんな先生との出会いを通して考えたのですが、優秀であることとビジネスとしてうまくいくかは別の概念だし、優秀であることと人に喜んでもらえるかどうかも別なんだということを、実体験として理解できたんです。
だから自分が優秀でなかったとしても、自分にあった方向性であれば、生き残る道があるのではないかと。そのときはまだ方向性は定まっていませんでしたが、あとから振り返ってみると、僕には広報の能力と、おもてなしが好きだという強みがあったんだと思います。
広報の能力を使ってTwitterのフォロワーさんを増やし、集客にもつなげることができましたし、おもてなしが好きというところから、患者さんを嫌な気持ちにさせない接客や施術ができたのかなと思っています。
――嫌な気持ちにさせない接客や施術。
はい、これって結構大事なことだと思っていて。たとえば飲食店でも料理がおいしいのに、接客で嫌な気持ちになる店ってありますよね。料理というスキルと接客というサービスを天秤にかけると後者がおろそかになっていることって意外とあると思うんです。僕の場合も治療というスキルはそこまで高いわけではないけれど、嫌な気持ちにさせないこと、おもてなしをすることが好きなので、全体として質の良い体験をしていただけるように意識しています。このように自分の適性や興味関心にあった方向を磨いていくようにして、ここまでこれたのかなと思っています。
後編では「お灸堂」を立ち上げた経緯について伺います。出張という形で独立したあと、2年ほど集客ができなかったという鋤柄さん。生活が立ちいかなくなるなか、マーケティングについて学び、お灸専門の治療院で起死回生をはかったそうです。後編もお楽しみに!