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ヘルスケア 2023-11-11

社会の認知を変えることで介護業界をよくしたい!【介護福祉士・モデル 上条百里奈さん】#1

介護業界に携わる皆様のインタビューを通して、業界の魅力、多様な働き方をご紹介。

今回お話を伺ったのは、

介護福祉士・モデルの上条百里奈さん。

介護職とモデル業を併行しながら、介護についてのイベントや講演を行っている上条さん。介護職と社会、双方向への発信で、業界のイメージを変える活動を続けています。

インタビュー前編では、上条さんが介護の仕事をスタートした経緯、モデル業と兼業をしている理由についてお聞きします。

高齢者への尊敬の念と
介護職の「福祉」を追求する姿が
将来の道を決めるきっかけに


――上条さんが介護のお仕事に興味を持ったきっかけを教えてください。

きっかけは、中学生のときに行った職業体験学習でした。老人保健施設で高齢者の見返りのない深い優しさに触れ、高齢者のことが大好きになったんです。

私はおばあちゃんの食事介助をしたんですが、刻んだ麺が上手くすくえなかったり、口に運ぶタイミングが合わなかったりして、食事の半分くらいをこぼしてしまいました。でもおばあちゃんは全く怒らずに、笑顔で「おいしかったよ、ありがとう」と言ってくれたんです。「こんな大人がいるんだ」とすごく衝撃を受けて、高齢者の方々が憧れの存在になりました。

また実際に働いている介護職の方の姿を見て、興味がわいたのも大きかったと思います。例えば、1人では歩けないおばあちゃんを、抱えながらトイレまで歩かせている介護職のお兄さんがいました。それを見た看護師さんは「歩かせないで!」と、すごい剣幕で怒ったんです。でもお兄さんは「歩かせないと寝たきりになる」「この人は僕に歩きたいと言ったんだ」と一向に譲りませんでした。

「このお兄さんは、なんでそんなにこだわっているんだろう。一体何を守りたいんだろう」。そう不思議に思い、介護の仕事って何なんだろうと興味を持ち始めたんです。

――「福祉」の面に目が向いたんですね。

2日間の職業体験を通して感じたのは、介護というのは医療のように直接的に治すことはできないかもしれないけれど、人生を豊かにするということは一番できる仕事なんじゃないか、ということでした。

私は幼少期から命を救う医療職に憧れていて、どこかで看護の下に介護があると思っていました。でも施設にいる高齢者の半分くらいは、生きたい明日を持っていなくて、「自分がしたかった命を救う仕事って何だろう」と考えたんです。

そこで「医療は命の半分しか救えないのかもしれない。もう半分は、もしかしたら介護でなら救えるのかもしれない」と思いました。私が考える「命を救う」というのは、どちらかというと介護の領域なんじゃないかって。

――そこから介護のお仕事を目指すように?

中学生時代は看護と介護、どちらの道も選べるように学びつつ、土日は老人保健施設にボランティアに行き始めました。高校は、現在の初任者研修(旧:ホームヘルパー2級)の資格が取れる学校に行き、大学受験のタイミングで介護の道一本に進むことを決めました。短大に進学後、介護福祉士の資格を取得し、介護の仕事がスタートしたんです。

介護現場での多くの問題を生み出す
介護へのネガティブなイメージを
変えるため「発信」ができるモデルへ

――介護のお仕事をスタートしてからは?

最初は地元・長野県にある老人保健施設に就職し、グループ内の急性期病棟に配属されました。四肢を拘束され「助けて」と言いながら亡くなっていく方、最先端の医療技術によって手術が成功したのに「死にたい」という方…。7割ぐらいが未来への希望を持たずにいる場所で、ただ懸命に介助をしたり、言葉をかけたり、優しく手を握るというケアしかできないことに、不甲斐なさを感じましたね。

でも3カ月ほど献身的なケアを続けると、「あなたに出会えて、また生きたいと思えた」と言われる経験が増えていきました。それがなぜなのか、自分でもわからないまま、ただ一生懸命に介護の仕事を続けていました。

――その後、上京されたきっかけは?

きっかけはたくさんあって話しきれないんですが、1つ大きなきっかけになったのが、働き出して1年後くらいに受けたモデルのスカウトでした。

介護の現場では、介護の専門性や医療の技術によって解決できる問題よりも、社会的な問題によって悩んだり苦しんだりすることの方が多くあります。モデルという仕事を通して、社会にいろいろな発信をしていけたら、少しでも介護の現場を変えていくきっかけになるんじゃないかと思ったんです。

――現場を変えたいという気持ちがあったんですね。

そうですね。そのころはとくに、メディアで発信している介護の扱われ方に不満を感じていました。例えば、超高齢化社会に向けてどうやって対策していくかというテレビ番組が放送された日の夜は、高齢者のみなさんが息を殺しながら泣いていました。「生きててごめんね」と。

メディアによって傷つけられた利用者のメンタルケアに、どれだけ現場が大変な想いで関わっているのか。ただオムツをかえて、ご飯を口に運ぶだけなら、介護はまったく大変じゃないんです。私たちが目指しているのは、尊厳を守り、人生のクライマックスを生きる人たちがどう生きているか、全ての人たちの未来は幸せなのかというところ。それをメディアが台無しにしてどうするんだ!と思いました。その発信を受けて、人々がどういう行動をするかまで考えて欲しい。高齢者を社会のお荷物として扱うメディアや社会を変えていきたいと思いました。

認知症や介護に対してのイメージそのものが悪いことによって、介護の現場が大変になっている。そこを変えたくて、モデルという立場を活用して社会にいろいろな発信をしていけたら…という気持ちから、上京してモデル業をすることを決めたんです。

営業活動やSNSでの発信から
活躍の場が広がる!


――上京後の活動について教えてください。

上京後は、発信者になりたいという想いがあったので、モデル業と併行しながら様々な介護の現場で経験値を積みました。特養老人ホームや訪問介護、有料老人ホーム、小規模多機能型居宅介護、知的障がいの方の同行介助も経験しました。モデル業をしている分、介護の仕事の経験値が同期よりも薄くなってしまうのがコンプレックスで、とにかく経験値を貯めたいと思っていました。

――目指していた介護業界の発信ができるようになれたきっかけは?

初めての発信の場は、静岡県での介護イベントでの講演でした。キャスティング会社や講演を仲介する会社に営業へ行き、自分のことをプレゼンしたところ、依頼していただけたんです。また同時期にドラマの介護シーンの監修をしたのも、活動の大きな転機になりましたね。

そんな風に目に留めてもらえるようになったのは、SNSの存在も大きかったと思います。Facebookやブログに自分の活動についての想いを綴っているのを見つけてもらい、そこからメディアでの仕事や講演などの依頼も増えていきました。

――モデルをしながら介護の発信を始めて12年。現在はどんな活動をしていますか?

今は大学院に行き、介護現場の労働負担感についてと、高齢者のADL向上についての研究をしています。なぜ研究という道に入ったかというと、介護の世界は国がどういう方針を出すか、制度や仕組みによる影響が大きいと思ったからです。

ちゃんと現場と社会と国が一緒になるような情報生産をしていきたい。そう思ったのがきっかけで、研究者になるために頑張っているところです。

週1回ですが、現在も現場に出ています。本当に中途半端で、できることは少ないんですが、それでもやっぱり細々とでも現場には出続けていたいんです。介護の現場に身を置くことが私の人生であるといいなと思っているので、プレイヤーとして役に立たなくとも関わり方を変えていきながら続けていけたらと思っています。


後編では、介護職とモデルを兼業するメリット・デメリット、お仕事をするうえで大切にしていることをお聞きします。

取材・文/山本二季

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