自分ができることを可視化して伝え、名院の信頼をつかんだ「身体のホンネカイロプラクティック」馬場圭之介さん
一流になるための近道は、一流の先生に弟子入りすること。しかしそこから自分も一流となるのは、並大抵のことではありません。カイロプラクターとして活躍する馬場圭之介さんは、日本のカイロプラクティックのパイオニアである名院「塩川カイロプラクティック」の塩川雅士先生の元に弟子入り。約5年半所属するなかで、臨床や、塩川カイロプラクティックが運営するスクールで講師を任されるまでになったそうです。
その裏には、自分ができている部分を共有したり、師匠の近くに引っ越しコミュニケーションを密に取るなど、さまざまな工夫があったといいます。馬場さんに詳しく伺いました。
今回、お話を伺ったのは…
馬場圭之介さん
「身体のホンネカイロプラクティック」院長/カイロプラクター
高校時代、スポーツに打ち込んでいたことから体について興味を持つようになり、高校卒業後、塩川カイロプラクティックのスクールに入学。スクール卒業後は塩川カイロプラクティックに入り、約5年半、臨床やスクール講師としての経験を積む。その後独立し、2021年4月に表参道で「身体のホンネカイロプラクティック」を開業。「本物のカイロプラクティックを広める」をキャッチコピーに、不調の原因を見つけ、神経と背骨を整えることで体の不調を改善するカイロプラクターとして、一般の患者はもとより、著名人などからも信頼を集める。企業契約も多数。
西洋医学でも東洋医学でもない新たな視点。カイロプラクターの道
――カイロプラクターになろうと思った理由は?
高校のときに野球をやっていたのですが、肩や肘などを壊すことが多々ありました。そこで教育の段階で体の使い方を教えられる人間になりたいなと思って、教師の道に進もうと大学進学を決めていたんです。
ただそのときにふと、一流のプロスポーツ選手が海外で有名な先生に手術してもらっても、治療がうまくいかなかったり、再発していると気付いて。そういう高いレベルでやっている人たちでも治せないということは、これまでの西洋医学、東洋医学とは違った視点を持たないと根本的な解決はないのではないかと思ったんです。そこで色々調べているうちに行き着いたのが、ガンステッド・システムという理論と技術を取り入れたカイロプラクティックでした。
――ガンステッド・システムとは、どんなものなのですか?
元々カイロプラクティックとは、骨格と神経機能を整えることによって、自然治癒力を引き出し、身体機能を正常に戻していく手技です。ガンステッド・システムではレントゲン、ナーボスコープという専用器具を使った温度評価、視診、動的触診、静的触診の5つの検査によって、神経の流れの滞りを科学的根拠を伴いがなら確認します。そうすることで不調の原因を特定することができるのです。
人間は本来、神経を通して体のなかのあらゆる調整を行っています。そのためさまざまな原因によって背骨が傾き、神経が圧迫されると、周りの環境に対して正常な反応ができなくなり、症状が発生します。つまり神経を整えることで、症状を改善することができるのです。
――なるほど。カイロプラクティックがそういうものだとは知りませんでした。
アメリカで開発されたカイロの本流なのですが、日本ではあまり広がっていない現状があります。また日本では、塩川カイロプラクティックの経営するスクールでしか本場のカイロプラクティックについて学ぶことができません。僕は高校3年生の1月にカイロプラクティックについて知り、大学進学という進路を急遽変更しました。卒業後は塩川のスクールに入学し、2年間、週4日、カイロについて学びました。
ハイブランドより魅力的だった、カイロプラクティックの哲学
――スクール卒業後は、塩川カイロプラクティックに入られたのですね。
卒業のタイミングでは、塩川カイロプラクティックはスタッフの募集を行っていなかったため入社はできませんでした。でも普通のマッサージ屋に就職するのは僕のなかで違うと思ったので、在学中にアルバイトとして働いていた世界的に有名なハイブランドで働くことにしました。まったく畑は違いますが、学ぶことも多かったので。3ヶ月くらい勤めたあとに、塩川カイロプラクティックの院長を務めている塩川雅士先生からスタッフにたまたま空きが出たことを聞いて、入らせてもらうことになったんです。
――世界的なハイブランドで働くというのも魅力的ですが、やはりカイロの道に進みたいという思いが強かったのですか?
塩川で学んだ「カイロプラクティックの哲学」というのがとても自分にとっては魅力的だったので、塩川でカイロについてさらに学んでいきたいという思いが強くなっていきました。人生が70年、80年と続いていくなかで、長い時間をかけて探求していくならカイロだな、と。
――カイロプラクティックの哲学とは、どんなものなのでしょうか?
簡単に説明すると、まずカイロプラクティックというのは、先ほども説明した通り神経の流れをよくするために行うものです。ではなぜ神経の流れが大事なのか。それを地球の成り立ち、自然の真理などを通して解説するのが、カイロプラクティックの哲学です。自然はなぜ大事なのか、それがなぜ体につながっていくか。病気はただただ悪いものではなくて、症状によって体を休ませてくれたり、自分の生活に無理が出ているところに気付かせてくれるもので、あくまで調和をしてくれるものだと説いたり。その壮大な世界に魅了されましたし、身体の真理がここにあるという気がしたんです。
先生の自宅近くに引っ越し。密なコミュニケーションで信頼を得る
――入社してみて、苦労したことなどはありますか?
苦労というほどのことではありませんが、最初の2年ほどは臨床には入れず、先生の検査やアジャスト(神経の調整)を近くで見させてもらう形でした。臨床に入れないのは当然で、先生は僕がどこまでできるか分からないわけですから、まずは自分がカイロプラクティックや検査についてどこまで理解しているかを先生に伝え、信頼をつかむことを優先しました。
――具体的にはどのように、理解している部分を伝えたのですか?
先ほどもお話したとおり、ガンステッドというカイロには温度検査、触診、レントゲンなど検査が複数あるので、それぞれの検査を分けて自分の検査精度に点数をつけました。そして先生に点数を直接伝えたわけではありませんが、「今どこの段階までできている」と報告するようにしたんです。あとは先生の体を触らせてもらったり、自分が練習のために呼んだ友人を施術し、そのあとを先生に見てもらうこともありました。
――それで、段々信頼を得ることができたと。
あとは大きかったのがスクール講師を任されることになり、セミナーの資料作りなどを通してどこまで理解できているかを示したことだったと思います。あるとき、塩川とは別のカイロプラクティックのスクールが突然閉じてしまったことがあって、多くのスクール生が編入してきました。その方たちの授業を僕が受け持つことになったんです。
ベースの資料はもちろん先生が作ったものがあったのですが、教えるにあたって自分なりの言い回しも必要だと思ったので、先生の資料を元に作成し直すことにしました。でもカイロプラクティックの哲学などを教えるのは難しいので、当時は本当に不安で。少しでも不安要素を取り除きたかったし、先生にも教えてもらいたいと思ったので、先生の家の近くに引っ越しました。行き帰りが一緒になれば、お忙しい先生に教えてもらう時間ができると思ったんです。
――そうなんですか!?すごい熱意ですね。
家の更新のタイミングが迫っていたり、いろいろな要素もあったのですが、結果として思っていた以上に先生との時間を取ることができて、密にコミュニケーションが取れるようになり、臨床を任されるきっかけにもなったと思います。帰り道のだけでなく、その流れで一緒にサウナに行ったり、食事をしたりする機会もありがたいことにとても増え、たくさんのことを教えていただきました。
後編では独立した馬場さんが開いた「身体のホンネカイロプラクティック」について伺います。名院で培われた確かな技術と、大型モニターやMacなどテクノロジーを導入することで、患者さんが納得しながらライフスタイルを変える提案もするという馬場さん。「そうでなければ根本的な改善には至らないし、ただただ依存を増やしてしまう」と馬場さんは言います。後編もお楽しみに!