敬愛する師匠の死をきっかけに鍼灸の世界へ【もっと知りたい!「ヘルスケア」のお仕事vol.137/村上鍼灸院 院長 村上真人さん】#1
ヘルスケア業界のさまざまな職業にフォーカスし、その道で働くプロにお仕事の魅力や経験談を語っていただく連載企画「もっと知りたい!ヘルスケアのお仕事」。
今回は鍼灸師として、身体はもちろんメンタル面でもサポートしている村上真人さんにお話しを伺います。
前編ではロックバンド『ラウドネス』のドラマー、樋口宗孝氏の付き人からミュージシャンへ、さらにIT企業に勤務経験もある多彩な経歴と、村上さんの人生の師が亡くなり適応障害になってしまったこと。そして鍼灸の世界が気持ちを上向きにしたことなどを語っていただきました。
お話しを伺ったのは…
村上鍼灸院
院長 村上真人さん
日本を代表するロックバンド『ラウドネス』のドラマー、樋口宗孝氏の付き人を経てドラマーに。その後IT関連企業に勤務。適応障害の発症を機に鍼灸に興味を持ち、国際鍼灸専門学校へ進学。卒業後は「鍼灸の世界」の著者、呉澤森氏のもとで2年間修業する。自宅開業を経て、‘20年より神田須田町に鍼灸院を構える。
師匠の死をきっかけに適応障害を発症!
――村上さんが鍼灸師になる前はどんなことをなさっていたんですか?
僕はずっとドラマーを目指していて、19才の頃からラウドネスのドラマー、樋口宗孝さんの付き人をしていたんです。全国ツアーはもちろん海外でのレコーディングにも同行しました。とてもお世話になって、いわば師匠と弟子みたいな関係ですね。付き人を辞めてミュージシャンになった時もIT関連の会社に勤めていた時も、師匠に褒められたくて頑張ってきました。
――それがなぜ鍼灸の道に?
人生の目標だった樋口さんが亡くなったことがきっかけです。突然、目標が消えてしまった精神的な喪失があまりに大きくて、すべてが落ち込んでしまいました。それまでは完璧主義者で、すべてを把握してあらゆることを完璧にこなしたいタイプだったのに、思うようにできなくなってしまったんです。
例えば、それまではメールを一度に5行ぐらいさ~っと読めていたのに、1行やっと読み終わると同時に何が書かれていたのか忘れてしまう。病院で診察してもらったら、適応障害だと診断されました。
これを機に、会社で働くよりも自由度の高いマッサージ師か料理人になろうと決めました。
――マッサージ師に決めたのはなぜですか?
適応障害と診断され、3か月ほど会社を休職しました。その間に鍼灸師の呉澤森先生が書いた『鍼灸の世界』を読んだり、身体を鍛えるためにジムでトレーニングしたりしていました。「これだけ休めば大丈夫だろう」と思って出社したら、ひどい頭痛に襲われたんです。
何をやっても治まらなくて、それなら呉先生の治療を受けてみようと、先生の治療院へ行きました。1回の治療で頭の中の霧が晴れたんです。それまでは「鍼灸なんて効くわけがない」と思っていたのに(笑)。
資格を取るためには3年間学校へ通わなくてはなりませんが、人生の後半戦の長さを考えればたいしたことはないなと。鍼灸師なら80才になっても働けますから、思い切って国際鍼灸専門学校へ通うことに決めました。
40才で鍼灸師になることを決意。卒業後は呉先生のもとへ。
――専門学校での3年間はいかがでしたか?
ツボや筋肉の名前を覚えるのが大変でしたが、自分よりも20才も若い同級生たちと一緒に勉強するのは楽しかったですね。
――卒業後、すぐに開業なさったんですか?
学校を卒業しても技術的にはまだまだ。それに経営と治療は違います。どんなに腕が良くても経営力がなければ続きません。それで呉先生を訪ねました。
先生は僕のことを覚えていてくださっていて、「今、研修生を募集しているから来なさい」と。2年間、先生のもとで修業しました。
――修業生活はいかがでしたか?
呉先生は日本に帰化していらっしゃるんですが、中医学の造詣がとても深く、中国式と日本式の両方の鍼灸を学べました。「こんなところに鍼を打てるわけないっ!」と思っていた舌の裏側にあるツボ(金津・玉液)も、先生は「打てますよ」とおっしゃって実際に打ってもらいました。ここで学んだ知識は今も活かしています。
――鍼灸師として一人前になるために、どんなことをなさいましたか?
学校に通っている間も開業した今も、セミナーや勉強会に通っています。資格を取ったら終わり、ではありませんから。経営に関することから、呉先生が主催する勉強会や鍼灸学校の卒後研修などにも参加していました。
ただ、最初のうちは知識があふれ過ぎちゃったんですよね。「どれも正しい」と思い込むと、「では、どれを活かす?」となる。この技術はある患者さまには合っているかもしれないけれど、自分の治療法とは合わない…というのが分かるようになるまで、選別作業が大変でした。
迷いながらやっているうち、自分の考え方とマッチする技術を取捨選択できるようになりましたね。
――そのほかにはどんなことを?
鍼を中心にいろいろな治療院へ行って、施術をしてもらいました。実際に身体に触ってもらうと、ここに触れられるとイヤな感じなんだとか「気持ちいいでしょう?これが効くんですよ」って言われても、実際は痛いだけなんだ…というのがよく分かりました。自分が良かれと思っていても、相手には苦痛かもしれない。万人に効くわけではないことが実感できたんです。
あとは、マイナス思考だったのをポジティブに変えるために、ずっと毛嫌いしていた自己啓発に関する本を読みました。僕は自己肯定感が低いときと「俺がやる!」という強気の時期が交互に現れるやっかいな性格なんです。対人関係でも、「こんなことを言っちゃったけど、傷つけていないか」と不安になる。実際にはまったく傷つけていないのに、勝手に思い込んでしまうんです。これでは生産性がないなと気づいて、自己啓発本を読むようになりました。
以前は端から否定していましたが、自分が思ったことは実現する…って素直に信じるようになったら、良いことしか考えなくなりました。そして、すべて良い方に変わったように思います。
後編では、「脱力」の大切さを痛感した出来事、コロナ禍のまっただ中に開業したこと、治療院のコンセプトに「脱力」を取り入れたことなどをご紹介します。
撮影/森 浩司