ヘルスケア&介護・看護・リハビリ業界の応援メディア
ヘルスケア 2024-06-30

自分の求める施術スタイルを確立するため、さまざまな資格を取得【もっと知りたいヘルスケアのお仕事 Vol.146/鍼灸師 関口満さん 】#1

ヘルスケア業界のさまざまな職業にフォーカスして、その道で働くプロにお仕事の魅力や経験談を語っていただく連載『もっと知りたい「ヘルスケア」のお仕事』。

神奈川県で「アスケア治療院」を経営する、治療家の関口満さんは、鍼灸師、柔道整復師、あん摩マッサージ指圧師とさまざまな資格を保有。どんな患者さんの訴えにも幅広く対応する姿勢と、確かな技術で人気を集め、施術歴は24年にもなるといいます。

前編では、関口さんがなぜ治療家の道に進んだのか、そして鍼灸師、柔道整復師、あん摩マッサージ指圧師と複数の資格をとった理由について詳しく伺います。

お話を伺ったのは…

関口満さん

「アスケア治療院」院長/鍼灸師、柔道整復師、あん摩マッサージ指圧師。日本体育大学卒業後、スポーツクラブでインストラクターとして勤めていたが、スポーツクラブに通う人の多くが体の痛みを訴えることを目にして、治療家を志す。整骨院で働きながら、夜間の専門学校で柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師の資格を取得。

その後、グループ展開している鍼灸整骨院で分院長、エリアマネージャーを経験し、2015年に「アスケア治療院」を開院。トレーナー活動、治療院向け講師、企業向け福利厚生マッサージ、発達障害の啓蒙活動など多岐にわたり事業を展開中。

公式Twitter

体の痛みを治せる人になりたいという思いから、治療家の道へ

鍼灸師をはじめとするさまざまな資格を保有する関口さん。スポーツクラブのインストラクターとして働いていたときに、治療家になることを決めたそう

――今のお仕事内容について教えてください。

メインは、横浜で「アスケア治療院」を経営し院長を務めています。柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師などの国家資格を保有しているため、幅広い施術が可能です。またスポーツトレーナーとしてアスリートのサポートを行ったり、映像作品の撮影に同行し、出演者に対するケアを行ったりするなど、院外での施術にも力を入れています。

もう1つの活動の柱が、鍼灸師の知り合いと一緒に経営している合同会社です。この会社では整形外科のドクターがオーナーを務めている鍼灸接骨院のサポートや、週に1度、臨床も担当しています。それ以外に発達障害の啓蒙活動も行っています。

――幅広い活動をされているのですね。まずは治療家になろうと思ったきっかけから教えていただけますか。

大学時代にアルバイトしていたスポーツクラブのインストラクターで、体の痛みを訴える人を多く目にしたからです。そういった方たちに楽しく運動してもらうためには、体の動かし方を伝えるのではなくて、痛みをなくすことがまず必要だと考えました。そんな方たちを治してあげられる人間になりたいという思いが強くなり、周囲に相談したところ、すすめられたのが柔道整復師だったんです。大学卒業後も1年間、インストラクターとして働いていましたが、スポーツ系の接骨院に転職し、柔道整復師の資格が取れる夜間の専門学校に3年通って資格を取得しました。

しかし、柔道整復師が対応できる範囲というのが、自分の関わりたい形とは少し違うことに気付いてしまって、卒業後すぐに鍼灸師とあん摩マッサージ指圧師の専門学校に入ることにしたんです。

――どういった点から、違うと考えたのですか?

一番大きな理由としては当時、接骨院で働く柔道整復師は健康保険の範囲内で外傷や急性症状を対応するのが一般的で、対応できる範囲が限られるケースが多かったということです。もちろん当時から自由診療を行う人もいましたし、今は全体的に幅が広くなりましたが、健康保険の範囲内ですと交通事故にあったとか、転んだなどの要因によって生まれた痛みが中心で、肩こりや腰痛、体の冷えなどの慢性的な体の悩みには対応する機会が少なくなってしまう傾向にありました。インストラクター時代に考えていた自分のありたい姿というのは、後者に対応することだったので、そういったことにも幅広く対応できるようにと次に目指したのが鍼灸師でした。

また接骨院で働いていたときも、スポーツをしている人から「鍼灸師の人に担当してほしい」というオーダーが入るのをよく見ていました。私自身が高校まではバレーボール部、大学は日体大でカヌー部に所属するなど、スポーツに親しんできた人生で、アスリートのサポートに力を入れたい思いがあったんです。そういった点からも鍼灸師の資格はあったほうがいいと思い、資格取得に踏み切りました。

震災を機に見直した働き方。施術に向き合うと決め、独立を決意

「アスケア治療院」のホームページ。関口さんは東日本大震災のボランティア経験を通して、独立への思いを強めたという

――卒業後はどのようにキャリアをスタートさせたのですか?

鍼灸師の専門学校に通っていたときに、4店舗を展開するグループ経営の鍼灸整骨院に転職したので、卒業後もそこで働き続けました。そこには5年間勤めて、その後独立し、アスケア治療院を立ち上げました。

――独立には何かきっかけがあったのでしょうか。

2011年に起きた東日本大震災が大きなきっかけになりました。当時働いていた鍼灸院では、分院展開する際の院長を任せてもらったり、人事やマネジメント的な立ち位置で関わらせてもらったりと、充実した日々を過ごしていたのですが、そんなときに地震が起きて。

被災地でボランティアとして施術を行うなかで、自分の仕事について改めて考え直したんです。元々、痛みを治せる人間になりたいと思ってこの世界に入ったのに、人事やマネジメントに携わっているだけでいいのかな、と。もちろんやりがいはとても感じていたのですが、やはり自分はしっかりと施術に向き合おうと考え、独立することにしました。

ちょうどそのころ、年間を通して日体大のウェイトリフティング部のトレーナーに任命してもらえたことも、独立のきっかけのひとつになりましたね。自分で治療院を立ち上げたほうが、時間の融通が利くと思ったんです。

スポーツトレーナーとしても活躍。大事なのは予算感の見極めとプレゼン

――トレーナーとしてアスリートのサポートに携わりはじめたのは、いつ頃からなのでしょうか?

鍼灸院で働き始めたころからです。休みの日の2日に1日は、日体大のスポーツトレーナーを担当するという生活が続いていました。

――どのようなきっかけでトレーナーをすることになったのですか?

最初は僕が日体大の卒業生だというところから、つながりがあって担当させていただくことになりました。それこそ最初はあまり報酬としては高くはありませんでしたが、経験を積んで、段々と予算をつけていただけるようになりました。

――トレーナーとして関わっていても、なかなか報酬が上がらないという悩みをよく耳にするのですが、関口さんはどのようにして乗り越えたのでしょうか?

携わっているのが予算がつくスポーツなのか、そうではないのかというのがとても大きいと思っています。そもそもスポーツというのはプロの世界でも、トレーナーに対する優先順位が低いものです。僕もさまざまな勉強をしてきたのに、これくらいの報酬しかもらえないのかと驚いたこともあります。だから大切なのは、予算のつくスポーツを見極めること、そして自分ができることやそのチームに必要なことをプレゼンすることだと思っています。予算のあるスポーツで、必要性さえ感じてもらえれば、いつかチャンスもめぐってくると思うんです。


後編では、関口さんが治療家として心がけてきたことを伺います。関口さんがもっとも大切にしてきたのは患者さんとの対話だそうです。

Information

アスケア治療院
住所:神奈川県横浜市青葉区つつじが丘23-11ヒカリメゾン青葉台303
TEL:070-6434-0169

この記事をシェアする

編集部のおすすめ

関連記事