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ヘルスケア 2024-12-26

知識と体力がマッチするところでアクセルを踏みたい【介護・看護・リハビリ業界のお仕事企画 国境なき医師団 看護師 佐藤太一郎さん】#2

業界のさまざまな職業にフォーカスして、その道で働くプロにお仕事の魅力や経験談を語っていただく連載「介護・看護・リハビリ業界のお仕事企画」。今回は、国境なき医師団 看護師の佐藤太一郎さんにお話を伺います。

佐藤さんは、大学病院の高度救命救急センターに5年勤務した後、アメリカの船会社でのシップナースやダイヤモンドプリンセス号でコロナ集中治療を経験し、国境なき医師団へ参加します。

最初のイラク派遣で感じたのは、それまでの仕事にはなかった意思決定が必要だということ。現地にはたくさんの課題がある。それを解決するためにどうやって現場を動かしていくか。ひたすら紐解く作業だったそう。

お話を伺ったのは
国境なき医師団
看護師 佐藤太一郎さん


東海大学医学部看護学科卒業後、同病院の高度救命救急センター入職。5年勤務した後、海外留学や途上国での医療ボランティアを経験。2019年アメリカの船会社で国際船看護師として活動。その後、国境なき医師団として緊急医療支援・コロナの集中治療プロジェクトに携わり、イラク、パレスチナ、イエメンの活動に従事。現在は国境なき医師団のイベントや講演にも数多く登壇。

フィードバックを受けながら何回でも応募できる

「この団体の一員だからといって、常に明るく穏やかにじゃなくていいと思う」(佐藤さん)

――国境なき医師団への志望理由を教えてください。

救命救急にいたときから国際的な活動をしたい、人道危機に対して何かできるようになりたいと思っていました。いろいろある国際団体の中でも、国境なき医師団がいちばん人災にフォーカスしていたことが志望理由です。

――看護師が派遣スタッフとして登録するための採用基準は?

5年以上の臨床経験、英語orフランス語で業務に対応できること(両言語可能な人を優先採用)、熱帯医学の学位or臨床経験、1年以上の感染管理の経験が必須です。

――佐藤さんはフランス語も?

今後の必要性を感じて、シップナース時代からフランス語の勉強を始めていました。子どもが生まれたときから徐々に日本語がしゃべれるまでをなぞるように、最初は訳わからんけどyoutubeを見続けて、なんとなくリアクションが分かるようになったらちょっと真似してみて。少し喋れるようになってきたらオンラインの先生をつけてとステップアップしていきました。

――まさに勉強はどこにいてもできるということですね。採用基準の他に、求める人物像もあるのですね。

求める人物像には、多国籍チームの一員として活動するコミュニケーション能力、現地採用スタッフの指導・監督業務に伴うマネジメント能力、ストレスに対応する能力、急な変化に対応できる柔軟性や適応力、緊急下最小限の指示のもと自ら考えて動くリーダーシップなどがあります。最初にこれを見たときは、こんな人いるのかと思いましたけどね(笑)

――自信があった項目は?

コミュニケーション能力とストレスに対応する能力、適応力あたりですかね。

――本登録まではどんなふうに進むのですか。

最初に履歴書を提出して、ある程度適応していれば足りないところがあっても、採用担当者から「ここをもう少しがんばって」というフィードバックがあります。基本的に語学の試験で、自分の場合ひたすらフランス語が足りないと言われていたので基準のスコアを目指して上げていきました。これを繰り返しながら何回でも応募できるのは、この団体のすごくいいところだなと思います

――何回目のチャレンジで採用が決まったのですか。

4回目です。次にどうしたらいいかが段々分かってきて、シップナースやコロナの集中治療などを経験しながら自分がどんどんそこに適応していったんだと思います。看護師の募集がなかった時期にロジスティシャンという物流や施設管理などのプロフェッショナルの募集があったのでそれにも応募してみたんですが、見事に跳ね返されました(笑)。 履歴書には救命救急のことばかり書いてあって、ロジスティシャンとしてのキャリアはまったくなかったから当然ですよね。

課題解決するためにどうやって現場を動かすか

ハイチで共に活動したスタッフたちと(2022年 ⒸMSF)

――最初の派遣活動について教えてください。

2020年7月からイラクのバクダッドに4ヶ月間行きました。情勢不安な状況でコロナが起こり、当時まだ武漢ウイルスと呼ばれていて、イラク政府もコロナが何かよく分かっていなかった時期ですよね。でもバタバタと人が運ばれてくる。そこへコロナのプロフェッショナルの看護師という立ち位置で派遣されました。イラクでは感染への恐怖から、医療者でさえ病院に来ないというケースもみられ、まったく病院が機能していない状況だったんです。

――そんな状況下でどんな活動をされたのですか。

病院の機能を取り戻すために、コロナの集中治療プロジェクトの立ち上げに関わりました。当時医者が2人、看護師6人しかいなかったのでリクルートをしてチームを大きくしながら、同時に現地の病院で働いている人たちも巻き込み、病院全体でコロナを看れるような体制を作っていきました。

――想像をはるかに超える壮大なプロジェクトなのですね。それまでの海外での経験と違ったところは?

決定的に違うなと思ったのは、意思決定ですね。日本でもアメリカの船会社でも、看護師の仕事内容は明確に決まっていました。例えば、朝出勤したら申し送りを受けて、患者さんの血圧を測り記録し、薬剤を準備したり投与したりします。午後になったら、また血圧を測って記録し、患者さんの生活の手伝いをして夕方に次の看護師へ申し送りをして勤務が終わります。一方、派遣されたイラクでは「コロナで集中治療が必要な患者が30人います。看護師は6人。さて、どうするか」みたいな。課題だけがあって、そこからチームでという状況がいちばんの違いだったと思います

――いま聞いただけでも茫然としてしまいます。

最初は、えっ?てなりましたよ。決められた仕事なんてない。でも自分で仕事を作りデザインできる。だから一人で看れないのならチームを作ればいい。チームがうまく機能しないならやり方を伝えればいい。課題解決するためにどうやって現場を動かしていくか、ひたすら紐解く作業でした。もちろん一人じゃないので、もっとこんな建物があったらいい、着替える場所がほしい、電気を引いてほしいとその分野のプロフェッショナルのスタッフに相談しながらそこに必要なものを作っていくんです。

チャドに設営したテント病院で、スーダンから逃れた紛争被害者のケアにあたる佐藤さん(2023年 ⒸMSF))

――現地ではシフトみたいなものがあるのでしょうか。

最初はないですけど、自分でシフトを作るんです。スタッフたちができるだけ疲弊しないようにシフトを組むのも一つの大事なマネジメントなので。

――寝泊まりはどんなところで?

病院から車で30分くらいのところにある建物を借りて、そこにいろんな国から来た医療のプロやロジスティシャンたちと一緒に生活をしながら仕事をしてまたそこに帰ってきます。

――派遣期間や場所はどうやって決まるのですか。

例えば世界のどこかで大きな戦争が起きたらケガ人がたくさん出ますよね。そこで手術ができるドクターと手術ができる看護師と手術室が作れるメンバーが集められます。自分の履歴書の内容と派遣可能期間がマッチしたときに初めて声がかかります。

そして派遣先から日本に帰ってきたら、僕はこの国でこんなことをやりましたと必ず履歴書を更新します。その後、改めて派遣可能期間を提出すると、人事の調整が入ります。

――オファーがきたときに、今回はちょっと…というパターンもあるのでしょうか。

もちろんあります。例えば情勢不安で危ないことがあるかもしれないけどどう?というオファーに、まだ小さい子どもがいるから不安なところには行きたくないとNOを出すこともOK。本人の意向に反して送られるわけではないし、かといって自分が行きたいから行けるわけでもない。どちらにしても返事はわりとすぐに求められますけどね。

――待遇について教えてください。

派遣されるポジションや過去の経験によって算定され、職種に関係なく給与として月額約23万~57万円の給与が支給されます。

仕事を淡々と継続していくことが結果的に大きなインパクトを作る

「国境なき医師団には心理の専門家がいるので行く前と行った後、派遣中でも面談してもらいます。自分の心の状態を一緒に覗いてくれて、どういう風にしていこうかと相談できる相手がいるのはすごくいいなと思います」(佐藤さん)

――国際看護師に必要なものは何でしょうか。

自分のベストパフォーマンスがどこで出せるかを知っていることは大事。海外では自分がマイノリティなので、自分のバックグラウンドがどこにあるかがすごく問われるんです。例えば、イラクでは現地の人に囲まれ、一緒に働くのもフランス人やイギリス人。チームディスカッションではそれぞれが自分の意見をどんどんと伝えていきます。ときどき意見がぶつかることも。そこに合わせようと背伸びしてキャラを演じてみたこともありましたが、全然自分にフィットしませんでした。でも最終的なゴールは、チームとしてそこに医療を提供すること。ゴールに向かうために自分をどう持っていくか、その方法を自分で知っておくことは必要だと思います

――過酷な環境で自分をコントロールするために心がけていることはありますか。

日頃のルーティンを持ちこむといいと聞いたので、コーヒー豆とコーヒーミル一式を持っていきます。宗教もお金も政治も働くメンバーも言語も全て変わった環境で、朝のコーヒーの時間だけは一緒っていう時間を作ると、ちょっとだけストレスコントロールできるんです。

自分が体調を崩して派遣期間終了前に帰国することになれば、新たな人員の補充が必要になるなど、現地に影響を与えます。だから細く長く、がんばらずにこんなもんかなって思いながら仕事を淡々と継続していくことが結果的に大きなインパクトを作るんです。自分のキャラクターだと最初からアクセルを踏んでしまうので、知識と体力がいちばんマッチするところでちゃんとアクセルが踏めるように、現地に入ったらとくに最初の2週間は、ブレーキブレーキって思いながら仕事しています

「自分が立ち上げたプロジェクトから数年が経ち、現在では発展したプロジェクトの報告を受けると、あー繋がってるなと思えてうれしい瞬間ですよね」(佐藤さん)

――愚問ですが、常にハードな環境に身を置くのはなぜですか。

そこに医療が必要な人がいて、自分は医療ができるから。世界中のメンバーたちと一緒に仕事をするのは楽しいですし、それが自分のやりたいことだからです

先日「医療できるんだから、日本人をもっと助けたらいいじゃない?」と言われたんですけど、自分にはその枠組みがないんですよね。地球規模で考えるともっと困っている人が結構いるけどな。そう思うと、自分はそっちに行きたくなるんです

――では最後に国境なき医師団を目指す方にアドバイスをお願いします。

いろんな国の人と働けるし、命の危機に直面している人のところに行って自分の医療が提供できることはやっぱりすごく素敵なこと。やりがいもあります。国境なき医師団に入ることがゴールじゃなくて、国境なき医師団に入ってから医療者としてどういう活動をするかが大事。それには未来の自分をしっかりとイメージして、マイルストーン(中間目標)を立てること。時間はかかるかもしれないけど、ゴールは逃げないので越えてきてください

佐藤さんが考える国際看護師とは

1.医療が必要な人がいる場所に行ってチームで医療を提供する仕事

2.課題解決するためにどう現場を動かしていくか、ひたすら紐解く作業

3.世界中のメンバーたちと一緒に活動するやりがいのある仕事

高校の野球部時代からケガしている人を見ると手当をしたいという気持ちがあったという佐藤さん。その思いは日本という枠に止まらず、世界中に向けられています。必要としている人に適切な医療を届けるため医療知識、語学、人間性と常にスキルアップを図る姿がありました。

撮影/山田真由美
取材・文/永瀬紀子

 

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