看護師のキャリアを活かしつつ、もっと違う形で高齢者と関わりたい【介護・看護・リハビリ業界のお仕事企画 看護師×着付師×フォトグラファー 小杉昌美さん】#1
業界のさまざまな職業にフォーカスして、その道で働くプロにお仕事の魅力や経験談を語っていただく連載「介護・看護・リハビリ業界のお仕事企画」。今回は、看護師のキャリアを活かしながら、高齢者に着付けとメイクをして写真を撮る活動をする「輪繋」小杉昌美さんにお話を伺います。
コロナ初期、病棟のクラスターで自身もコロナ感染したことから、看護師としての働き方を見つめ直した小杉さん。小杉さんは、正職員から週3のパートにシフトチェンジし、介護美容やシニアフォト、爪ケア、車いす着付けなど次々と資格を取得。活動の方向性でモヤモヤした時期もありましたが、ついに自分にしかできない「写真と着物とフットケア」というテーマを見出します。
お話を伺ったのは
輪繋
小杉昌美さん
常勤の看護師から週3回のパートにシフトしてケアビューティスト、シニアフォト、爪ケア、着付け師などさまざまな技術を習得。ケアビューティストとしての活動を始めるも、高齢者とゆったりと関われないことにモヤモヤした気持ちを抱える。方向性を見つめ直し「100才まで着物を着て写真を撮ろう」という自分にしかできないテーマを確立。病院や出張先で高齢者にメイクと着付けをして写真を撮る「院内写真館」、「出張シニア写真撮影」など精力的に活動中。
コロナ感染で自分を見つめ直し、介護美容に出会う
――まず看護師を目指した理由を教えてください。
子どもの頃から看護師に漠然とした憧れがあり、母親にも手に職をつけなさいと言われていたので、高校卒業後はソーシャルワーカーになるための福祉の専門学校に行きました。当時はまだ社会福祉士の資格が確立していなくて、卒業後は医療事務の仕事に就く人が多かったんです。だったらわたしは看護師になろうと思い、看護助手として働きながら看護学校に通いました。
――看護師としてのキャリアを教えていただけますか。
看護学校を卒業してすぐに就職した病院で数年働き、出産育児で一旦退職しました。上の子が小5のときに復帰。そのときは10年以上のブランクがあり、まさしく潜在看護師(資格を持っているが働いていないブランクの長い看護師のこと)で自信もなかったので、しっかり指導してもらえるように総合病院に就職しました。
上の子の高校受験のタイミングで、もっと近所でゆったりしたペースで働きたいと思い、病床数の少ない総合病院に転職。現在8年目になります。これまで急性期、慢性期、緩和ケアまで幅広く経験させていただき、看護師としてのキャリアはトータル18年になります。
――看護師以外のお仕事を考えるようになったきっかけは?
年齢とともに体力的にきつくなってきて、セカンドキャリアを考えるようになった時期にコロナ禍が重なり…。クイーンエリザベス号の本当にコロナ初期に、病棟のクラスターで自分もコロナ感染して入院したんです。そのときに、重症化したら死ぬかもしれない。このまま惰性で働いていていいのかと、いろいろ考えていたときにインスタで介護美容に出会いました。
きれいになった高齢者を写真に残してあげたい
――その後はどんな行動に?
介護美容研究所に通って、高齢者へのメイクやネイル、エステまで美容全般と、施設に美容を導入してもらうためのノウハウ、介護美容のレクリエーションを運営するための手法などを学び、ケアビューティストのディプロマを取得しました。
――専門学校では技術だけでなくサービスの導入や運営方法まで学べるのですね。メイクやエステに止まらず、高齢者の撮影もされるとか?
介護美容の専門学校を卒業してすぐにシニアフォト講座を受講しました。以前から写真には興味があったんですが、メイクをした高齢者がきれいになって喜んでいる姿を見ているうちに、写真として残してあげたいという気持ちが湧いてきたんです。
写真は子どもが小さいときに撮っていたくらいで本当に初心者なので、とりあえずカメラを買うところからスタート。ストロボ撮影、屋外での撮影、シニアメイク、介護施設での実習、Photoshopでのレタッチなど高齢者の撮影に関する基礎から写真に残すまでを学びました。
――さらに爪ケアも習得されたそうですね。
はい。病棟看護師として患者さんの肥厚爪や巻爪などひどい状態を見てきて、これはもう仕方のないものなんだと割り切っていたんですが、介護美容を学ぶ中でケアできることを知ったんです。
歩いたりつま先に圧力がかかることによって爪は伸ばされて平らになるんですが、使わないとだんだん巻き爪になってしまうんですね。また加齢や爪水虫などで爪が分厚くなり靴が履けなくなったり、痛くて歩かないと歩行に支障をきたし、転倒して寝たきりになってしまうケースも。だから爪を正常な状態に保つことは高齢者にとってとても大事なことなんです。
――車いす着付けという資格もお持ちなのですよね。
資格ばかり取っていて(笑)。着物との出会いは40代前半のとき。「着物いいよね」と友だちと意気投合して着付け教室に通い始め、介護美容を始める直前に着物講師と着付師一級を取得しました。
出入りしていた呉服屋さんに90才近い高齢の店員さんがいて。その方は着物が大好きなんですが、足が悪くて自分では着ることができなかったんですね。でも着物を見ているだけで幸せと、タクシーで呉服屋さんに通っていたんです。そのおばあちゃんが頭の片隅にあったんでしょうね。日本理美容福祉協会で車いす着付け師という資格を取得できることを知り、受講しました。患者さんが車いすに座ったまま腰をあげずに着物を着付けることができるんですよ。
高齢者ひとりひとりと向き合えない活動にモヤモヤを抱え
――「輪繋」という屋号にはどんな思いがあるのでしょうか。
着物を着るので和っぽい名前にしたかったんです。人の輪が繋がる、永遠を表す縁起のいい「輪繋」の模様がいいなと思ってそのまま屋号にしました。
――看護師としての働き方にも変化が?
はい。ケアビューティを仕事に取り入れるために、専門学校を卒業した時点で週3回のパートにシフトしました。正職員は担当の患者さんを受け持つので日々の業務でいっぱいいっぱいなんですよね。でもパートに変わることで病院内でも院外でも時間は作りやすくなりました。
――その後、活動は順調に進んだのですか。
専門学校からの業務委託のお仕事を受けて、老人ホームをいくつか訪問しました。でもなんか考えていたのと違うなとモヤモヤした気持ちが続いたんですよね。
――どんなふうに違ったのでしょうか。
もっと高齢者の方とゆったりと関わりたいと思っていたんですが、例えばフットトリートメントでおひとりにかけられる時間は20分。それを短時間のうちに8人対応しなければいけなかったり。たまたまレクレーションの枠で時間がタイトだったこともあるんですが。学校で年間スケジュールが決まっていてアロマクラフトをやったりもしたのですが、なんか方向性が違うなと…。
――モヤモヤはどうやって解消されたのでしょうか。
モヤモヤ、迷子になりがなら、自分と向き合って方向性を見つめ直し、「写真と着物とフットケア」の三本柱で行こうと決めてから、それまでとは少し違う動き方ができるようになりました。
後編では、「写真と着物とフットケア」の詳しい活動内容、「院内写真館」を病院で実現するまでの過程、利用者さんの声など伺います。
撮影/山田真由美
取材・文/永瀬紀子