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介護・看護・リハビリ 2025-02-22

はじめて自分から楽しいと思えたのが看護師の仕事【介護・看護・リハビリ業界のお仕事企画 Nurse-Men 代表 看護師 秋吉崇博さん】#1

業界のさまざまな職業にフォーカスして、その道で働くプロにお仕事の魅力や経験談を語っていただく連載「介護・看護・リハビリ業界のお仕事企画」。

皆さんは、日本の男性看護師の割合が全体のわずか8.6%に止まっていることをご存じですか。看護師になりたいけど、なかなか先輩の声が聞けないと感じている男性も多いのでは? 今回は、「看護師を男の子のなりたい職業第1位にする」ことをミッションに一般社団法人Nurse-Menを立ち上げた秋吉崇博さんにお話を伺います。

前編では、病院の仕事との掛け持ちでハードな生活を送った看護学生時代、救急医療の看護師からトラベルナース、サロン運営まで!

お話を伺ったのは
Nurse-Men代表
看護師 秋吉崇博さん


救急医療の看護師として10年以上活動。憧れていた先輩がキャリアアップしていくにも関わらず疲弊していく姿に違和感を感じ、フリーランスナースに転向。看護師を軸にセラピストやデザイナー、実業家など他のプロフェッショナル分野とかけ合わせた活動をする男性看護師仲間と出会う。医療機関を飛び超えたオリジナルの看護は、看護師の活躍の場を広げ、医療業界だけでなく社会さえも変えられるという思いで一般社団法人Nurse-Men設立。訪問看護やキックボクシング×体質改善サロン運営の他、全国の小中高校や企業に一次救命処置の体験会や講習を行う「命のバトンプロジェクト」など精力的な活動を展開。

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夜勤しながらの看護学生生活は超ハードだった

圧倒的に男性看護師が少ないことを知り、「僕は天の邪鬼なので看護師になるしかないと逆に火が着きました」と秋吉さん。

――まず秋吉さんが看護師になった理由を教えてください。

高校で進路を決めるタイミングで、これといった夢がなかったんです。夢もないのに親に学費を負担させて専門学校や大学に行くのはダサいな。進学しても遊び惚けて終わっちゃうんじゃないかなとちょっと焦って、当時の担任に「かっこ悪い男になりたくないから、学費も生活費も自分で稼ぎながら夢を見つけたい」と相談したんです。そしたら「看護師になれ」とポンと言われたんですよね

――担任の先生はなぜ秋吉さんに看護師を勧めたのでしょうか。

自分で言うのも何ですが、優しすぎると言われてきました。小さい頃は、いい子すぎて常に人の顔色を伺っているような子どもで、中高になって弾けたタイプ。担任の先生は、きっとそんな自分の内面を見抜いていたんでしょうね。

――そんなお子さんだったのですね。それで高校卒業後はどんな進路に?

病院に就職して自分で学費や生活費を稼ぎながら看護学校(2年間)に通い、まずは准看護師の資格を取得。さらに同じ敷地内にある看護専門学校(3年間)に進み、正看護師の資格を取りました。

――病院で働きながら看護学校で学ぶ生活はいかがでしたか。

ハードでしたよ。何度も逃げようと思いました(笑)。8:30から16:30まできっちり授業があり、准看護師の資格を取るとすぐに夜勤が始まりました。夜勤は16:30スタートなので、着替えたら猛ダッシュ。申し送りの時間もとれないままに、先輩たちに怒られながら深夜1:30まで勤務が続きます。勤務が終わってからも、これは何だ? あれはどうだった? と先輩に聞いたり自分で調べたりしているうちに、気づけば翌朝6時。帰宅してシャワーを浴びて、授業まで10分だけ横になろう。目覚めればすでに昼過ぎ。「ヤバいぞお前」と同級生から何十件も留守電が入っていて…。遅刻もめっちゃしましたね。

――そんなにハードな生活だったのですね。

僕は救急の看護師になりたかったので、看護学生時代から救急の現場に身を置いたこともあり、かなりハードだったんです。救急には、骨折もあれば脳や心臓の患者さんもくる。全科目分かってないとダメなので、それを学校に通いながら学ぶのは本当に大変でした。でもその分、学校の実習はあまり苦労せずにすみました。テストは一夜漬けでどうにかなってきたけど、実習で苦しむ人が多いんですね。でも救急で修行していた僕にとって、仕事と学校の実習は天と地ほどの落差を感じました。だから実習で怒られることもさほどなかったです。

ただ病院でのレポートに時間をとられて、学校のテストを受けられなかったこともしばしば。国家試験はそれとは別物だからなと先生たちも最後まで心配してくれましたが、厳しい救急の現場で修行したことが強みとなり、一発合格できました。

はじめて自分から楽しいと思えたのが看護師の仕事だった

「それまで趣味やアイドルにハマることもなかったけど、はじめて自分から楽しいと思えたのが看護師でした」と秋吉さん。

――正看護師の資格取得後はどちらに勤務したのですか。

看護学生をしながら勤務していた病院にそのまま勤務しました。そうすると奨学金返済の義務もなくなるので。救命救急の現場は、力仕事も多く、結構危険な現場なので男性看護師の需要が高いんです。僕もこんなふうになりたいと、キラキラ輝く先輩男性看護師の背中を追っかけながら日々奮闘していました。でももう怒られることもほぼなくなってきた頃、管理職になって現場を離れた先輩たちがそうは見えなくなってきたんですね。そのときに、あー僕は同じ道は歩めないなと思ってしまったんです

――現場へのこだわりということでしょうか。

そうですね。だから僕は、ひとつの病院で管理職を目指すのではなく、いろんなところで自分を試して、磨いて、看護師としての新たな働き方を探していこうと決めました

違う環境で看護師をするとなったときに、果たして他の病院でも通用するのか自分試しをしたい。病院が変われば治療方針も使うものも変わってくる。通用しなかった、もしくは通用したけどもっと自分をレベルアップさせるために自分磨きをしたい。そして、新たな働き方を求めて自分探しをしたい。この3つをテーマに。

――看護師を続けること自体にはまったく迷いがなかったのですね。

看護師という仕事に自分が完全にバチっとはまっていることは感じていましたし、その頃からすでに天職だと思っていたので

――どんなところが天職だと感じたのでしょうか。

冒頭にもお話しましたが、人の顔色を伺って人のために何かをやるって、いま考えたら看護師の職業病だなと思うんです。例えば飲み会でグラスが空きそうな人や食べていない人がいたら自然と気配りしてしまう。

実は僕の母が看護師だったんです。物心ついたときはすでに父の寿司屋を手伝っていたので看護師だった母を直接知っているわけではないんですが、看護師の母に育てられたから、そういうのが当たり前だったんでしょうね。

こんど入院してくる患者さんは、右側に管が入ってるから、こっち向くのは痛いだろうな。じゃあテレビの向きをあらかじめ変えといたほうが見やすいだろうと、当たり前にやっていることが「なんでそんなに気が利くの」ってすごく感謝されて、喜ばれて、褒められて。最高じゃんと思いました

沖縄や北海道でトラベルナースに

その仕組みが知りたくて、ベビーシッターの派遣会社に登録した経験も。「そのとき担当した子がいまだにキックボクシングを習いに来てくれています」(秋吉さん)。

――看護学生時代から働いた病院を離れ、その次はどんな働き方を選択したのですか。

同窓会で出会った先輩に、自分の好きな場所で看護師をしながら暮らす、いわゆるトラベルナース(派遣ナース)として働いている人がいたんです。あ、自分もやってみたいなと思って、どうせなら最先端の医療に触れられる東京に行こうと27才のときに地元大分を離れ、心臓特化の大きな病院に行きました。

――その病院はどうやって探したのですか。

看護師特化の派遣会社に登録して、そこで紹介されました。派遣は長くてもだいたい半年契約。契約満了時にもう少しいてほしいと言われ、結局そこには1年半お世話になりました。

「延長してほしい」というオファーをいただけたことは、自分は必要とされていると思えて自信につながりましたし、自分がテーマに掲げた「自分試し」という部分でも充足感を得ることができました。当時のメンバーとはいまだに仲がいいんです。派遣の看護師にはあり得ないことなんですが、病院で勉強会を開催してほしいと声がかかったり、本当にありがたいことですよね。

――秋吉さん自身が認められたということですね。

嬉しいことに。でも、長くいれば結局管理者の話になるし、居心地がよくなってぬるま湯に浸かってしまうので、自分で決めたマックス1年半を過ぎた頃、ずっと住んでみたかった沖縄へ。派遣ナースは、ボーナスや有給がない分、毎月の給与が高いことが多いです。でも沖縄は、そこに住むこと自体を価値と感じる人が多く、多少条件が悪くても働きたい人は多いんです。

大きな病院だったので、医療者が同乗するドクターカーやドクターヘリもあってすごい勉強になりましたし、実際旅行で行くより断然沖縄が好きになりました。でも1年半で一旦東京に戻り、その後は北海道へ。3ヶ月だけ大好きなスノボ三昧して看護師やって帰ろうと思っていたんですが、結局北海道には3年いました。楽しかったのと人が良かったので。人間関係は自分次第だと思ってるんで、どこ行ってもいいんですけどね

――それにしても北海道は長く滞在されたのですね。

北海道の漁師町の病院に派遣されたんですが、町の飲み屋さんで知り合った方に誘われて個人事業主として整体院を経営することになって。知識はありませんでしたが、看護師仲間もお客さんとして来てくれて経営としはまわっていました。でもやっぱり看護師としての職人気質が騒ぎ出すというか、僕はプレイヤーでいたいんだということに改めて気づかされたんです

その頃、東京で仕事仲間が予防医学の分野で体質改善サロンをやっていたんですね。高周波超音波で体温を上げた状態でマッサージをするとほぐれ方がまったく変わってくるんです。そもそも体温が上がることで免疫力にもアプローチできる。この機械をサロンに導入することで、看護師の視点からもアドバイスできるようになり、お客様の満足度もさらに上がって。あ、僕がやりたいのはこれだと気づきました。

でも田舎町では高い費用を出して体質改善するよりも安く揉んでほしい人が断然多い。そこに限界を感じて、これを東京に持ち帰ろうと。さらに、以前からやっていたキックボクシングと高周波がめちゃめちゃ相性がいいことに気づき、現在のキックボクシング×体質改善サロンができました。

後編では、秋吉さんがNurse-Menを立ち上げるまでの経緯、訪問看護や一次救命処置の講習を行う「命のバトンプロジェクト」などその活動内容について伺います。

撮影/山田真由美
取材・文/永瀬紀子

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