小さな町の整骨院から治療院業界のリーディングカンパニーへ【ボディスプラウト 小林篤史さん】#1
地方でヘルスケア事業に携わっている方に、集客や売上アップのための取り組みについてインタビュー。今回は、神奈川県の宮前平を拠点に活動している株式会社ボディスプラウトの代表、小林篤史さんにお話をお聞きします。
宮前平で整骨院を経営しながら、商品開発や書籍の出版、治療院のサポート事業など、幅広い活動を精力的に行っている小林さん。前編では、宮前平に整骨院を開業した経緯と、開業当時の経営で大変だったことを教えていただきました。
お話をうかがったのは…
株式会社ボディスプラウト 代表 小林篤史さん
宮前まちの整骨院代表、猫背矯正マイスター。柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師。2006年、宮前まちの整骨院を神奈川県川崎市宮前区にて開院。2015年、「治る環境づくり」のビジョンを掲げ、株式会社ボディスプラウトを設立。商品企画開発、治療家の育成、情報発信などを行っている。
Instagram:@atsushi_kobayashi.nekoze
就職難のなか拾ってくれた治療院業界と地域に貢献したい
――まずは柔道整復師になった経緯を教えてください。
学生時代はプロ野球選手を目指していたんですが、「このまま野球を続けたら歩けなくなる」というレベルまで腰痛が悪化してしまったんです。結果、夢をあきらめることにしました。でも、それがすごく悔しくて。
「正しいトレーニングをすれば腰痛は治せたんじゃないか」と思い、大学ではトレーニング理論や機能解剖学などを学び、フィットネスクラブのインストラクターも経験しました。だけど、腰痛は悪化したんです。
なぜだろうと悩んでいたところ、当時恋人だった妻からカイロプラクティックをすすめられました。試しに行ってみると、その場で腰の痛みがスッとなくなったんですよ。「これはすごい!」と思いました。
その後、大学を卒業して不動産会社に就職したのですが、仕事が合わず3カ月で退職。当時は一度辞めるとほぼ就職できない時代で、いろいろ就職活動をしましたが、なかなか再就職先は見つかりませんでした。
1年ほど自分探しの旅をしていたところ、たまたま「カイロプラクター募集」の求人を見つけたんです。そこでカイロプラクティックで腰痛が改善した経験を思い出して、試しに応募してみました。実際に学び始めるとすごく面白くて、そこで「この業界に入ろう」と決めたんです。
――カイロプラクティックからスタートしたんですね。
ただ、カイロプラクティックは、日本では法制化されていないんですね。だから先輩から「何か国家資格を取ったほうがいい」と言われ、柔道整復師の資格を取るために専門学校に行き始めました。その後、鍼灸・あん摩マッサージ師の資格も取得し、卒業後に開業したんです。
卒業してすぐ開業というのは今ではめずらしいと思いますし、少し無謀に感じるかもしれません。でも資格取得のために通学していた6年間も、併行して治療院での経験は積んでいましたし、誰よりもお客さんをみてきたという自負がありました。柔道整復師の資格取得後は分院長も任され、店舗の運営面にも携わっていたので、根拠のない自信があったんですよね。
――宮前平で開業したのはなぜですか?
最初に弟子入りした整骨院が宮前区にあったんですが、そこでの経験が大きいですね。当時、右も左もわからない新人だった僕を、宮前区のみなさんが親身になって受け入れてくれて。だから僕の中で、宮前区の方々にすごく助けられたという印象があったんです。
なかなか就職先が見つからず不安だった僕に、居場所を与えてくれたのは宮前区の方々だった。だから「ここで開業して将来は絶対に恩返ししたい」という気持ちがありました。
そこで宮前区で物件を探したところ、宮前平にいい物件が見つかって、他に整骨院もあまりない地域だったので、開業場所に決めたんです。
人通りの少ない宮前平で、大きな志を掲げて開業
――実際に地方で開業してみていかがでしたか?
開業に向けて市の融資を申請したんですが、中小企業診断士さんに「うまくいくはずないから融資しなくていい」と言われましたね(笑)。そのくらい、人通りも少ないし市場調査でも良いとは言えない場所だったようで…。
でも開業に向けて内装なども進んでいたし、スタッフも3・4人雇っていたので、後に引けない状況でした。最後は僕の自信のほうが上回っちゃったんでしょうね。とにかくスタートすることにしたんです。
実際開業してみると、はじめのスタートダッシュは結構よかったんです。でも3カ月でスタッフが全員辞めて、受けた融資も底をつきました。
――スタッフが辞めていったのは、なぜだったのでしょうか?
一番大きかったのは、価値観のギャップでしょうか。僕はどちらかというとベンチャー企業のようなイメージでいたんですが、宮前平で働きたいという人は、もっとゆっくり楽に働きたい人が多かった。だから「ついていけない」という結果になってしまったんだと思います。「これはまずい」と、そこから必死で頑張りましたね。
――そこから再起できた理由は?
まずは回数券を販売して資金を調達し、主力メニューを作ることで院のビジネスモデルを確立しました。そこが確立したら、すぐに経営は軌道に乗りましたね。ひとつの整骨院で大体5000万円くらい売上げがあがるようになって。その方法がわかったので、分院展開をしたり、別の媒体としてリラクゼーション系の整体院を作ったりと幅を広げたんです。
その後、会社を乗っ取られそうになったこともありましたが、なんとか一歩ずつ上っていって、黒字も大きくなってきたので2015年に株式会社ボディスプラウトを設立しました。
その間もずっと変わらず大切にしてきたのが、「お客様が最後に選ぶ整骨院」であろうという想いでした。いろんな整骨院や整体院を転々とする方が多いなかで、最後に「ここに来てよかった」と思ってもらうために、他のところでは絶対にやっていないだろうということを考え続ける。「他の整骨院の何歩先を行けるか」を考えてきたことが、山も谷も乗り越えられてきた理由だと思います。
「猫背矯正」という強みを明確に打ち出して成功!
――地方で開業し、成功するために必要なことは何だと思いますか?
コンサルタントの仕事でもよくお伝えしているのが、強みを明確にすること。そして、その強みをしっかり打ち出すことです。あとは目の前のお客様だけでなく、もっと広い範囲の人に貢献すること。世の中に貢献するくらいのイメージで心構えの部分から変えていくと、見える世界も変わってきます。
自分の手が届く範囲の外まで貢献するには、何をしたらいいのか。「たくさんの人に貢献したい」という想いは、地方でも都心でも変わらないと思うんです。目線を地域からもっと外に向けられるようになると、必然的に「地域のお客さんは全員、僕がよくするんだ」と考えられるようになると思います。
地方開業で成功するための3か条
1.強みを明確にする
2.強みをわかりやすく打ち出す
3.広い範囲に貢献するイメージを持つ
宮前平で開業した2006年から、山あり谷ありな経営を乗り越えてきた小林さん。現在その活動の幅は、地域にとどまりません。次回後編では、多角的な活動を始めた理由と地域経営への影響などについてお聞きします。
取材・文/山本二季