ロンドンで研ぎ澄まされた感性を日本で輝かせる【Salon Ryu 美容師 京極琉さん】#1

弱冠22歳(当時)にして、東京・赤坂の一等地にヘアサロン「Salon Ryu」をオープンさせた京極琉(きょうごく りゅう)さん。圧倒的なカリスマオーラを漂わせる彼は、Instagramのフォロワー数が40万人を超えるなど美容業界でも注目の存在!

前編では、新卒で就職した会社が倒産するもポジティブに突き進む京極さんの姿をお届けします。ロンドン留学で現地のスタッフに自ら声をかけ、作品撮りをしたという逸話は必見です。

KYOGOKU’S PROFILE

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一本のヘアショーの動画が自分を変えました

常にニコニコと自身の半生を語ってくれる京極さん

――京極さんは中国出身だと伺いました。来日前から美容師を目指していたのですか。

中国の上海出身です。12歳の頃に母親の仕事の都合で来日しましたが、当時日本語が全く話せませんでした。

自ら友達を作ろうともせず、無意味な中学・高校生活を過ごしていましたが、高校を卒業するタイミングで「このままの人生で良いのかな」とふと思い、自分はこの先何がやりたいのかを真剣に考え始めたんです。

そんな矢先、ある美容師のヘアショーの動画に感銘を受けて美容師になることを決意し、同時に「美容業界の歴史に名前を残す存在になる!」と目標を定めました。

――美容師になると決めてからはどのように行動しましたか?

昼間は地域密着型のサロンで働いて、夜間は専門学校に通学しました。昼間働いていたサロンでは上下関係をしっかり学び、専門学校では勉強に集中。靴紐もきちんと結べないくらい手先が不器用でしたが、努力すればするほど技術が上達したことを実感できたのでとても楽しかったですね

――卒業後の進路は?

昼間働いていたサロンでジュニアスタイリストに昇格したのですが、その3ヶ月後にお店の経営が悪化して倒産してしまったんです。

この先どうしよう…と思っている時に「半年間でカット研修プログラムの受講が可能!」と打ち出した有名カット専門店の求人を見つけたんです。前職でカットデビューしたばかりだったので、数をこなして経験を積みたかった自分にはかなり魅力的でした。

そこでは約8ヶ月間、毎日40〜50人くらいをカット。最初はカットの技術を学べて楽しいと思いましたが、同じことの繰り返しで新たなカットを提案できないということに気づいたんです。

その頃、さまざまなヘアデザインを提案する「世界で活躍できるアーティスト」を目指していたので、勉強のために美容の本場であるロンドンへ、本場の空気感や技術を自分の目で確かめるために行くことを決意しました

自らfacebookのメッセンジャーでスタッフを手配し、作品撮りに挑戦

ニコニコした表情から一変して真剣な表情で語る京極さん

――ロンドンでの生活はいかがでしたか? チャレンジしたこともあったそうですね。

「Vidal Sassoon」や「TONI&GUY」など、さまざまなアカデミーに行って勉強したり、現地でスタッフを手配して作品撮りもしました。英語が少しできたので、facebookのメッセンジャーから現地にいるモデル、メイク、スタイリスト、カメラマンなど100人くらいに「コラボしよう」とメッセージを送ったんです。日本で作ったポートフォリオを見せて怪しい者ではないことをアピールしたら、皆さん快く手伝ってくれました。

――自分で手配されたのはすごいですね! 撮影はどこで?

安価なスタジオがなかったので、ホテルの部屋で撮影をしました。狭い部屋でもベッドをひっくり返してペーパーをひけば即席のスタジオになるし、撮影が終わればそのまま泊まれたので、一挙両得でしたね!

――どんなことに撮影ではこだわりましたか?

ウィッグは使いませんでした。自分の中で、ウィッグを使うことは、どこか妥協する感覚だったので、自分が出せる精一杯の実力と技術で作品を作りたいと思ったんです。リアルカットやリアルカラーで作品を作ることに、とてもやりがいを感じました。

これらが全てロンドンで撮影した作品

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ロンドンで撮影した作品の数々

――ロンドンでの作品作りを経験してよかったことは?

撮影前に自分が作りたい作品のイメージやコラージュを必死に集めてイメージトレーニングをしたり、ロンドンという地でいろんなスタッフと関わる中で、感性が研ぎ澄まされ、新たなアイデアがたくさん浮かぶようになりましたね。

インタビューの途中には、
華やかな作品の数々を見せてくれました

――帰国してからは、どのように過ごされたのでしょうか。

日本に戻ってきて、雑誌社へ自分の作品を掲載してもらえないかと営業に行きました。ヘアコンテストにもチャレンジして、JHA(ジャパン ヘアドレッシング アワーズ)にも最年少でノミネート。この頃からセミナーのオファーが入ってくるようになり、少しずつ「京極琉」を知っていただけるようになりました。

その後、サロンをオープンさせたんです。

――ご出身は中国とのことですが、中国で仕事をするという選択肢はなかったのでしょうか?

自分の中では何も成し遂げていなかったので、中国に戻りたいと思うことはなかったです。自分の人生が変わったのも夢や目標を決めたのも日本なので、目標を達成するために残って日本の美容業界をもっと盛り上げたいと思ったんです

ロンドンでいろんな作品に触れ、日本の繊細な技術は世界に通用するということを実感しました。僕自身も日本の美容師の価値をもっと高められるように、美容業界を盛り上げたいですし、まずは自分がサロンを出店して次につなげていきたいと考えました。

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ギラギラとした見た目に反し、「何事も経験しなければ始まらない」と行動へうつす真面目な姿が印象的な京極さん。自身の目で見て体験し、夢を叶えるために妥協せず何でも挑戦する姿は勉強になることばかりです。

後編では、サロンオープンの話から京極さんのウリであるデザインの話、「Kyogoku」ブランドを世界に広めるために取り組んでいることなどたっぷり伺いました。

▽後編はこちら▽
すべては世界に「Kyogoku」を広めるために【Salon Ryu 美容師 京極琉さん】#2>>

撮影/中村 早
取材・文/梅澤 暁

Salon Data

Salon Ryu

住所:東京都港区赤坂2-14-1 赤坂山王会館8F
TEL:03-6426-5811

新店が5/3にオープン!

The Diamond Kyogoku

住所:東京都港区赤坂2-14-1 赤坂山王会館6F
TEL:03-6770-1232
京極琉さんのInstagram:@ryuhairartist

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