順風満帆な人生が急転! 深刻な病魔をも力に変える坂巻流チャレンジ【apish CEO 坂巻哲也さん】#1

銀座や青山などサロン激戦区を中心に9店舗を展開し、オリジナル商品の開発、ヘアウィッグなどのプロデュース、独自の技術理論をレクチャーするセミナー開催など、変幻自在な活躍をなさっているapish CEOの坂巻哲也さん。
現在の健康的な姿からは想像できませんが幼少のころは病弱で、「これから」という時に癌にかかるなど、病気に絡まれていた時期があったとか。
前編では病弱な坂巻少年が抱いた将来の夢の話、癌を宣告されてから寛解するまでの葛藤などを伺います。

SAKAMAKI’S PROFILE

お名前
坂巻哲也
出身地
千葉県千葉市
年齢
59歳
出身学校
パリ美容専門学校
経歴
スタジオVで17年間勤めた後、apishを創業
憧れの人
須賀勇介さん
プライベートの過ごし方
筋トレ
趣味・ハマっていること
ゴルフ
仕事道具へのこだわりがあれば
ハサミ

手先の器用さを褒められて、美容師になることを決意

今年の12月で還暦を迎えるとは思えない若々しさ! その秘訣は毎日の筋トレと食事にあるとか。

――坂巻さんが美容師を志したきっかけは何ですか?

高校のときラグビーをやっていて、「大学でも続けたい」と思っていました。でもケガをして断念せざるを得なくなったんです。じゃあ何をするか…と考えたとき、そういえば子どもの時、姉の髪を三つ編みにしてあげたら、すごく喜んでもらえたなと思い出したんです。美容師になったら勝てるかもしれない…と思ったのがきっかけです。

僕は幼いころは病弱で、体育はいつも見学。背が低くてガリガリだったんですよ。そんな状態だったから、いつも何か「勝てる」ものを探していました。例えば鬼ごっこをするとき、僕は足が遅いからすぐに捕まってしまう。だから「四つ葉のクローバーを持っていれば、捕まっても鬼にならない」なんて、特別ルールを作ってしまうんです。前の日に四つ葉のクローバーがある場所に目印をつけておいて、当日「見つけた!だから僕は鬼にならない」って(笑)。

――小さなころから戦略家だったんですね。本格的な美容の勉強は専門学校に入ってから?

高校生のとき、地元の美容室でアルバイトを始めました。そこの先生に「あなた器用ね」って褒められたんです。その当時のことですから、アルバイトでもカット以外のことは何でもやらせてくれて、「あなたは器用だし、何でもできる」とおだてられていました。
そんなときにウエラが新人研修を開催する、と聞いて「面白そうだな」とバイト代をはたいて参加したんです。研修の参加者は美容学校を卒業してサロンに就職したばかりの人たちで、高校生は僕だけ。課題が出ても、ただひとり何もできないのが僕だったんです。地元のサロンではあんなに褒められていたのに、鼻っ柱をおられましたね。もう悔しくて悔しくて、「この人たちに勝つには何ができるのか」と考えて、原宿の美容院でアルバイトすることにしました

病魔に襲われ、順調に重ねたキャリアを見直すことに

「お客さまも社員も、周りの人たちを笑顔にするのが僕の仕事」。その言動一致の姿勢が坂巻さんの魅力のひとつ。

――美容学校を卒業後、スタジオVに就職します。このサロンを選んだのはなぜですか?

あるとき、テレビにスタジオVをつくった須賀勇介さんが出ていたんです。須賀さんと黒柳徹子さんが同等に親しくお話をしている様子に衝撃を受けたんです。
当時は美容師やヘアメイクの社会的な地位はあまり高くなくて、美容師=パーマ屋さんというイメージでしかありませんでした。それなのに、有名人と親しげに話をしているなんて、「須賀さんはすごい。この人の元で働きたい!」と思ったのがきっかけです。

スタジオVを受ける友人がいて、「もしかしたら須賀さんに会えるかも」という軽い気持ちで、彼に付き添って行ったんです。これって「よくある話」ですけど、彼は落ちて、僕が受かってしまったんですね。

――スタジオVにいらしたころ、何か目標はありましたか?

2年でカットを覚えて、3年目で売上NO.1になって、4年目で店長になって、5年目で独立する…というアホみたいな計画を立てていました(笑)。それでも21歳でカットを覚えて、ちゃんと24歳で店長になったんですよ。
でもね、年上の先輩がいるなか、管理能力もマネージメント能力もない人間が、売上があるだけで店長になっても誰も付いてきません。精神的にもキツかったですね。

――癌になったのはこの頃でしょうか?

24歳のとき、お腹が痛くなって病院へ行ったらステージ4の癌と診断されました。リンパ腺にも転移していて、当時の病状をお客さまの医師に話したら「若いと進行しやすいのに、よく生還したね」と言われました。

――癌の治療をしながら、仕事も続けたのですか?

25歳で癌治療を始めて、10年経って再発しなかったら次の人生を考えようと思いました。それで社長に、「これから10年間、会社に奉公します。癌が再発しなければ会社を辞めます」と言いました。
この言葉通り、10年後に再発をしなかったので35歳でスタジオVを辞めてapishをつくりました。

――抗がん剤の治療は体力が落ちたり、髪が抜けたり、かなりキツいと言われています。どうやってモチベーションを上げていましたか?

毎日スケッチブックに、ヘアデッサンを描いていました。そのほかにも、10年後にはこんな店をつくりたいとか、病気になる前はアメカジでしたが、元気になったらニューヨーカーみたいにジャケットを着てネクタイを締めて大人のファッションでお客さまの髪を切ろうとか、将来のビジョンを描いていました。
自分は「復活するんだ」って1㎜も疑わず、頭にすり込ませていましたね。絶対に克服できると信じていました。

そうこうしているうちに10年経って、僕の身体から怪しい影は消えてました。モチベーションが上がると同時に免疫力も上がったんでしょうね。

――そのスケッチブックは今もお持ちですか?

発病から10年後に、スケッチブックも供養しました。僕には次のゴールがあるので。

叶えたい夢は言葉にして公表する。それが実現の早道

1年で叶える100のリストは、過去形で書くのがポイント。

――坂巻さんは外見だけでなくて内面もすごく若々しいですよね。その湧き出るような情熱の源は何でしょうか?

僕は毎年、年末に新しい年に叶えたいことを100個、ノートに書いているんです。それをスタッフにも見せて、「叶えるんだ」と宣言しています。ハサミを持ちながら、美容師としてどのくらい仕事の幅を広げられるのか…自分に問いかけるいいきっかけになりますね。
とは言え、100個はなかなか出てこない(笑)。「映画に出ている」とか、叶わないだろうな…ということも書いてあります。でも、その中から30%でも叶えば、かなり達成率は高いと思いますよ。去年は58個、実現しました。

――かなり具体的な内容から、すごく大きな夢もありますね。

達成率も書いてありますよ。もし6月の時点で達成率が低かったら、ノートをじっくり見返せばいい。自分がやりたいことは何なのか目標がハッキリしてきます。
例えばノートを見返していると、「リストの38番目が目の前にきている! 今はコレをがんばろう」という具合に、何をすべきか明確になってくるんですね。

一度失いかけた命ですから、今を楽しんで生きていかないと。
お金を貯めて10年後に何かしよう…という考え方もありますが、僕に10年後があるか分からない。だから今やるしかないんです。
ずっとやりたいことを無理矢理考えてます(笑)
世の中の60歳のおじさんに「夢、100個ある?」って聞いて、「ある!」と答えられる人はそういないでしょう。

あとがき

今年12月に還暦を迎えるとは思えないほどスタイリッシュでエネルギッシュな坂巻さん。病弱だったことも癌にかかってしまったことも、すべてご自身のパワーに変えていました。後編では、新しいことにチャレンジし続ける原動力、そのチャレンジを成功させる秘訣、そしてサロンを経営するなかで迎えた最大のピンチについても語っていただきます。

撮影/古谷利幸(F-REXon)

お話を伺ったのは…

坂巻哲也さん

青山、表参道、銀座などに9店舗展開するapishの代表。サロンワークのほか、独自の技術理論を用いたセミナーの開催、ヘアショーなどへの出演も。薬剤や美容機器の研究・開発にも携わり、スタイリング剤、ヘアウィッグなどのプロデュースでも数々のヒット商品を送りだしている。また、YouTube『坂巻哲也美容チャンネル』を配信するなど、活動の幅がどんどん広がっている。

Salon Data

apish AOYAMA
東京都港区南青山5-12-6 青山第2和田ビル2F
03-5766-3605
URL:https://www.apish.co.jp/

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