美容室からヘッドスパ専門店へ転職。その道で独立したいと決意【myrrh 代表 磯邊恵実さん】#1
表参道のパーソナルヘッドスパ専門店「myrrh(ミルラ)」は、完全個室でゆったりと特別な時間を過ごせるサロン。毛髪診断士でありオーナーの磯邊恵実さんが、マンツーマンでパーソナルスカルプ診断や施術を行なっています。
前編では、磯邊さんがmyrrhをオープンさせる前に経験した、美容師アシスタント時代のお話やヘッドスパ専門店勤務時代に学んだことなどをお聞きします。
お話を伺ったのは…
myrrh 代表 磯邊恵実さん
大村美容ファッション専門学校卒業後、都内3店舗の美容室で勤務。2015年に銀座のヘッドスパ専門店に転職し、ヘッドスパの技術を磨く。2018年にRESALON(アール・イー・サロン)表参道店にて統括サロンマネージャーに就任。2021年3月にパーソナルヘッドスパ専門店myrrhをオープン。
ISOBE’S PROFILE
- お名前
- 磯邊恵実
- 出身地
- 長崎県
- 出身学校
- 大村美容ファッション専門学校
- プライベートの過ごし方
- 愛犬とドッグランに行く
- 趣味・ハマっていること
- 好きなアーティストのライブに行く
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- お客様の手に触れるものは「柔らかく」「丸みのあるもの」を選ぶ
ハサミを置き、新境地での成長を目指す
――はじめは美容室勤務だったそうですが、その時に得た経験で印象に残っていることはありますか。
美容室勤務の時にお世話になった、師匠のような存在の方がふたりいます。ひとり目はアシスタント1年目に面倒を見ていただいたスタイリストで、「お店のことも僕のことも気にしなくていいから、とにかく目の前のお客様のことだけを考えて動いてくれればいいよ」と言われました。おもてなしの最初の一歩を学びながら、楽しく働かせてもらって、少し自信もつきました。
ところが、その後に当時の店長のアシスタントについた時に「おしゃべり以外何もできない」と言われ、ものすごく打ち砕かれました。「今はアシスタントだけど、いずれスタイリストになるんだから技術がないとダメだ!」ということをあらためて自覚させてもらって、お客様とコミュニケーションをとりながらいかに技術を人より早くするかということをようやく学んだんです。
働き方もタイプも違う二人に教われたことがとても貴重な経験でしたし、今の私のマインドにもすごく残っているなと思います。
――そのサロンにはどれくらい勤めたんですか。
3年弱くらいですね。そのサロンで技術者としての軸を作ってもらったなと思います。ただ、当時はパーマのカリキュラムがなかったので、パーマ技術を学びたくて別の美容室に転職しました。そこでジュニアスタイリストになりましたが、ふと「デザインが好きじゃないし、得意じゃないかも」と気づいてしまったんです。ハイレベルなスタイリストさんたちにお世話になったから余計に、自分にはセンスがないかもしれないと感じてしまって。
ハサミを持つ自信がなくなった時に、目を向けたのがヘッドスパでした。幸い、アシスタント時代にシャンプーやヘッドスパの指名をいただいていたので、それをちょっと頼りにしたというか。
――それで、ヘッドスパ専門店に転職したわけですね。
25、6歳の頃だったので、いったんハサミを置いてみて、もし戻りたくなったらもう一回踏ん張ればいいかという思いもありました。今振り返ると、逃げの気持ち半分、新境地を開きたい気持ち半分という感じでしたね。
――転職先はどのように探しましたか。
ずっと表参道の美容室で働いていたので、ちょっと気分を変えたくてほかのエリアで探そうと思ったんです。まずはインターネットで検索して、気になったヘッドスパ専門店に足を運んでみました。お客の立場で受けた印象が大事だと思っていたので、これまでの就職活動も全部、店の雰囲気や施術を自分で体感してから履歴書を出すかどうかを決めていたんです。
銀座の街とお客様に育てられ、独立への思いが芽生える
――実際に働くことになったサロンの決め手は何だったのでしょうか。
心地よい空間が好きでしたし、スカルプケアブランド監修者の女性がヘッドスパメソッドを監修していたので軸がしっかりしている印象だったからです。
ほかのサロンも、いい意味でカジュアルな雰囲気で素敵でした。ただ、美容師を辞めて人生のルートを変えたタイミングでもあったので、もう少し背筋が伸びるような上質感のある場で技術やサービスを習得したい気持ちがあったと思います。
――在籍中にどんな経験をされましたか。
まず、ヘッドスパの手技や理論をしっかり学ばせてもらいました。今の私のメソッドにもそれは生かされています。それから、福利厚生をはじめ会社とはどういうものかということも知ることができ、世間勉強にもなりました。
お客様から学んだことも多いです。表参道の美容師アシスタント時代は、先輩美容師に学ばせてもらった感覚がすごく強いのですが、銀座ではお客様が師匠。自分より若いお客様は少なく、ほとんどが目上の方でした。銀座という街と、そこに来る人に育ててもらった感じがあります。
――印象に残っているお客様はいますか。
語弊があるかもしれませんが、銀座は「正当なクレーマーさん」が多いんですよ。怒って文句をつけるという意味ではなく、お店のことを考えて愛のあるアドバイスをしてくださるんです。実は最初はビクビクしてしまったんですが、何も言わずにお店に来なくなる方がむしろ怖いですよね。お店や私自身がより良くなるように、正しいことをはっきり言ってくださる人が多くて、ありがたいことだなと思いました。
――次の転機が訪れたのはいつ頃でしょう。
28歳頃に「この道で独立したい」という思いが芽生え、3年弱ほど勤めた銀座のヘッドスパ専門店を退社しました。それから銀座エリアで物件を探したのですが、もうびっくりするくらい相手にしてもらえないし、ちょうどいい広さが見つからないし、大苦戦。勢いで退社してしまったものの独立する場所が決まらず、このままだと生活費も尽きてしまうと思い、とりあえずもう一度どこかに勤めることにしたんです。
独立を念頭に再び転職。統括マネージャーとして経験を積む
――もう一度お勤めしたのもヘッドスパ専門店ですか。
表参道にある育毛&美髪専門サロンのRESALONに再就職しました。前サロンを辞めてニート生活をしている時に、たまたま「マツコ会議」(日本テレビ系列)でRESALONが取り上げられているのを見て、余裕のある大人の女性がキレイになりにくる場所だなと感じました。絶対に需要がある技術やサービスを提供している店だからおもしろそうだと思い、テレビを見たその日の夜に履歴書を書きました。
トントン拍子に面接まで進み、生意気ながら「私は30歳までに独立して自分の店を持ちたいし、技術もある程度はできる自信があるので、週4日のバイトとして雇ってほしい」という話をしたんです。そうしたらOKをいただいて。働き始めて2週間後くらいに、2号店を出すからやってみればと言われ、研修を終えてすぐにふたつの店舗の統括マネージャーに就任しました。
ちょっと切ない話、コロナ禍もあってスタッフの数が集まらず、結局2店舗をひとつにまとめることになってしまったのですが…。
――アルバイトでありながら、責任ある役職を任されるというのは、当時どのように感じていましたか。
これまでお世話になったサロンがオープンしたての店ばかりで、みんなで機動力を上げていく様を見てきたんですけど、新しい店をつくるという、ゼロをイチにする様は見たことがありませんでした。だから、会社のお金でその経験ができるならぜひやりたいと思ったんです。ここで経験値を上げてから、自分の店を出す方が絶対いいと思いましたし。
――お店の管理やスタッフの教育などでこだわったことや大変だったことはありますか。
「この人はどういう思考をするのか」を理解することに力を注いでいた気がします。仕事に対するスタンスは人それぞれで、仕事よりプライベートに重きを置いている人もたくさんいますし、仕事優先の叩き上げで生きてきた私はむしろマイノリティだと、前職で気づいたので。
大変なこともあるにはありましたが、たぶん周りの人に恵まれていたので、すごくやりやすかったです。半年から1年弱くらい一緒に働いていれば、会社から何か指令が降りてきた時にスタッフそれぞれがどう思うかを想像できたり、得意なことや苦手なことを把握できたりしました。経営サイドと現場の間の立ち位置として、不満や不安ができるだけ出ないように意識していましたね。
――スタッフが長く働きやすい環境になりそうですね。マネージャー的立場が向いていたのでは。
スタッフ数が多いわりには円滑だったかもしれません。マネージャーとして指示を出したり調整したりするのが、性に合っていた感じがします。
はじめは美容師という職業を選び、偉大な師匠の影響を受けながら働いていた磯邊さん。ハサミを持つ自信をなくした時に選んだのがヘッドスパ専門店への転職でした。銀座と表参道の店で経験を積み、自分の進むべき道を見出します。後編では、磯邊さんが立ち上げたプライベートサロンmyrrhについて、詳しくお聞きします。
撮影/高嶋佳代
取材・文/井上菜々子