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OKINAWAサロンリポート#1 『伝説のサロン☆ミム・デ・オム』

沖縄といえば、日本屈指の観光地。more rejob読者の皆さんも、社員旅行や学生時代の修学旅行などで一度は訪れたことがあるでしょう。

そんな沖縄は今、那覇市を中心に変化の時を迎えています。ここ数年、本土からの移住者が増えたことで世界各地のワインを提供するフレンチやイタリアン、ブーランジェリー(パン屋さん)など、高価格帯の飲食店が〝首都圏水準″で軒並みオープン。それに伴い、地元の人たちの食への意識が少しずつ変わり、ある一定層のセレブリティも出現。その影響か、ヘアサロンもただ髪を切る場ではなく、トータルプロデュースができるおしゃれ空間へと進化しているのです。

そんなの当たり前じゃない? と思われるかもしれませんが、現地ならではの商慣習や独特の気候、水質、物価に対する意識、人材の本土流出など、沖縄美容界は長い間、本土とはかなり異なる環境でのクオリティ維持を強いられてきました。そんな中、沖縄のサロンをよりよくしたいと、長年に渡り、取り組んできたサロンがあります。

OKINAWAヘアサロン探訪。第1回目はMIMU de HOMMEオーナー、OMUさんにお話しを聞きました。

3人で始めた「行列のできるサロン」

「20歳から東京で美容師として働いていました。そのときはこれといった目標がなく、今のように独立してサロンを開業するなんて、それこそ考えていなかったし、ただ漠然と夢だけを描いていた20代でしたね。その後、東京のサロンで知り合ったGINと出会い、ロンドンをはじめヨーロッパ8か国を一緒に旅して、ヘアショーを観まくっていました。『地球の歩き方』を片手に、携帯もネットもない時代ですから、とにかく内装から何から、何でも見てやろうと。

’92年に沖縄の国際通りに一緒にサロンをオープンしたのですが、とにかく今まで沖縄にないサロンをつくろう、と意気込んでいました。ガラス張りのビルの3階で、20坪に5面。スタッフは3人だけ。ユニフォームをつくって、方言も訛りも一切禁止。名前も本名ではなくOMUにするなど、仕事と私生活を完全に切り離したんです。日常と切り離した空間をつくるために〝演出″しました。今でいうブランディングですよね。

沖縄の美容界を変えたくて、オープン1周年にその当時はまだ珍しかったヘアショーをやろうと、集客のために地元のテレビ局に売り込みに行ったんですが、ステージで髪切ってナニが面白いの?と言われてしまい(笑)やっと地元の新聞に2行だけ、告知を出してもらったら、600人が集まったんです。火曜日の夜、美容関係者だけでなく、一般の方もいました。無料じゃなくて有料で、です」

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サロンオープン1周年で行った、初のヘアショーのフライヤー。当時、国際通りで一番若者が集まっていたファッションビルで
平日の夜にもかかわらず、600人もの観客を集めた。

沖縄一、人が呼べるサロンとして有名に

――’93年当時に沖縄でヘアショーだなんて、本土と比べても早くないですか?

「そうですね。でも他と違うことがやりたかっただけなんです。初めてのショーの成功が話題になり、20坪のサロンがお客様でパンパンになって。当時は繁華街といえば国際通りだけでしたから、噂を聞きつけて遠くからバスに乗ってはるばるうちのサロンへいらしてくださる。ヘアスタイルも他サロンと同じことをしていられないので、かなり考えましたよね。その当時は技術の情報源は美容業界誌しかないわけで、ティッシュを編んでツイストやスパイラルパーマを考えたり、ブリーチしたり。

映画『ゴースト』のデミ・ムーアのショートヘアが大人気で、ワンレン・ボディコンの時代にショートに切りまくっていました(笑)1日25-6人カットして月300万上げていましたからね。(※編集部・注 沖縄の当時の物価から本土並みに換算すると、この1.5倍から2倍の売り上げに相当する)

さすがに走り過ぎたと、’95年に2週間、完全にサロンを閉めてスタッフ全員を引き連れてロンドンへ研修旅行に行きました。その後、『パレットくもじ』で2回目のヘアショーを企画して400名分のチケットを完売。1日2ステージ、外でやりましたね。’97年からアクアさんやミンクスさんが沖縄でショーをされるときに地元サロンの1つとしてステージに上げていただいたり、東京や大阪、上海でのヘアショーやミラノやロンドンなどのコレクションのバックステージにも参加させてもらえるようになりました。

2004年には単独のヘアコレクションを、『沖縄コンベンションセンター』で企画。このときはさすがに箱がデカくて契約金もハンパないので、本当に集客できるか肝を冷やしましたが、開けてみたら1585名動員という、新たな記録を樹立しました」

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単独で行ったヘアショーとしては最大規模。自ら協賛企業を集めるべく奔走。半月前まで動きがまったくなかったが、結果的に1585名の観客が集まる。名実ともにOKINAWAの伝説のサロンと呼ばれる契機となった。
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今、仕事ができる喜びをかみしめる

「スタッフもどんどん増えていき、2000年に牧志(まきし)に40坪をオープンしました。でもその数年後から国際通りに明らかな陰りが見えてきたんです。2000年~2003年にかけて、米軍から解放された〝新都心″へ大型スーパーが開店したり、モノレール(ゆいレール)の駅ができたり、と確実に新しい流れができつつあった。そこで2005年に松尾店を閉め、移転拡張という形で新都心にサロンをオープンしました。まだ今みたいな過密ではなく、さら地が多い時期で、おそらく、ヘアサロンでは初出店だったと思います。

ただ同時期に突然、右手が動かなくなってしまったんです。ハサミはおろか、お箸もペンも持てなくなってしまって。手術も受けましたがあまり経過がよくなく、結局3年近く、活動を縮小して休みました。スタッフも離れていきましたし、本当につらかったです。

その後、奇跡的に回復して復帰できたものの、何事も以前と同じようにはできなくて。そのとき思いました。一人でデカくしてきたワケではない。人に感謝することが大事だと。
がむしゃらに走っていたときは気がつかないんです。

うちのサロンでは今、朝の出勤時と夜の退社時に、スタッフ同士で握手するんですよ。目を合わせて、しっかりと。来年、サロンをオープンして25年になるのですが、今は売り上げなどの数字ではなく、会社にとって必要なスタッフを大切にしたいと考えています。
 
ヘアショーですか? やりますよ、25周年記念として。もう何百人動員とかは別にいいんです。今まで支えてくれたお客様とスタッフへの感謝の証としてやろうと思っています」

OKINAWAヘアサロン探訪、いかかでしたか? 次回、第2回もお楽しみに。

取材・文/山岸敦子
撮影/MAKOTY

HAIR MIMU de HOMME
http://www.mimu-de-homme.com/

Salon Info

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MIMU de HOMME(ミム・デ・オム)

沖縄県那覇市に’92年にオープン。
わずか20坪のセット面5つからスタートし、
瞬く間に沖縄のトップサロンとして県内外で知られる存在に。
自主開催によるヘアショーの動員数では他に追随を許さない。
2005年に他に先駆けて新都心にオープンしたSTS、
2012年、那覇市久米に自社ビルとしてオープンしたVieの2店舗を展開。
創業25周年を迎える2017年、さらなる飛躍が楽しみなサロンのひとつ。

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