金井亮 interview #2:逆境をバネに働きつづけた下積み時代
フォロワー5,000人以上は無料、10,000人以上は、1フォロワーにつき1円がもらえる。(上限10万円)。ただし、条件が1つ。それは、SNSで拡散すること。金井亮さんは、そんな個性的な『フォロワー数で値段が変わる美容室』を作りだした異色の美容師です。また、サロン以外にもケーキ屋やスポーツバーを経営するなど、幅広い分野の事業を手掛ける経営者でもあります。いったいどのようにして、金井さんは今のスタイルにいきついたのでしょうか?
中編では、サロンで働き始めた当時の思い出や、美容師としてどのようにステップアップされた過程を語っていただきました。
26歳で独立しサロンを構えなくてはいけない。
――サロンで働き始めて感じたことを教えてください
「絶望的な状況だと感じましたね。“昼食を食べられないのが当たり前”など理解ができない慣習が多く、ミーティングは朝も夜も延々とつづけられる。技術職であるにもかかわらず年功序列がとても厳しく、その上下関係にまったく納得できませんでしたね。上に先輩がたくさんいて、下にポストが回ってこない。僕が入社した当時28歳でまだアシスタントをしている先輩がいたんです。“俺の人生は終わったかもしれない”と思いました」
――独立のイメージができあがったのは、いつ頃ですか?
「入って少ししたときには、すでに独立のイメージがありました。当時働いていた美容室は、僕が働いていたサロン以外に複数店舗があり、そのすべてのスタッフの売り上げをパソコンで見れるようになっていたんです。そこで、店長の給料を調べたところ店長手当を除いた給料が28万円でした。40歳までに2臆円を貯めようと計画していたので、それを見たときに早く独立しなければと思いましたね。その時に目標から逆算し、26歳で独立しサロンを構えようと決めました。そのためにはスタイリストデビューまでに平均5年以上かかるといわれていた時代に、3年で独立まで持っていく必要があったんです」
寝袋をサロンに持ち込み、泊まり込み練習
――サロンではどのように働いていましたか?
「入社したときから、丸2年間は寝袋をサロンに持ち込み、深夜まで練習し、お店に泊まる毎日でした。店長に、朝の5時から練習を見てくれとお願いしていましたね。その成果が出て、1年半でスタイリストデビューをすることができましたね」
――スタイリストデビューをした後の動きを教えてください。
「24歳で技術の基礎をしっかりと習得し、卒業後から働いていたサロンを辞めました。次に、独立のノウハウを知るために個人店に入社。その後、技術を高めようとニューヨークへ行きました。しかし日本で独立する際に、取り入れられそうなものがとくに見当たらず、すぐに帰国しましたね」
指名を600人、店舗でナンバー1を目指して
――帰国後、独立するまでの期間はどのように過ごしていましたか?
「帰国後は大型サロンに入社し、指名を600人集めることを目標に働き始めました。大型サロンを選んだ理由は、お店でナンバー1になる力がなければ独立は厳しいだろうと考えたためです。結果、1年ほどで目標の指名数を達成し、店長になることができました。そのサロンでは1年半ほど働いていましたね」
どうすればそこまでスピード感を持ち、次々と行動ができるんですか?という問いに、「これをやったら怒られるんじゃないか、とブレーキをかける人が多いですが、だいたいそれは幻想です。自分を信じて突き進められるかが大切ですね」と語った金井さん。周囲に流されず、自分の力で道を切りひらいてきた金井さんらしい答えでした。後編では、立ち上げた後の働きかたや、『フォロワー数で値段が変わる美容室』誕生の秘話についてうかがいました。
Profile
金井亮さん
大学卒業後、渋谷のサロンに勤務し、わずか1年半でスタイリストデビューを果たす。その後、ニューヨークへの美容留学などを通し、腕を磨く。27歳で独立し八王子に美容室『(R)』をオープン。翌年スポーツバーを開店するなど幅広く事業を展開。2017年、『フォロワー数で値段が変わる美容室』を作り話題に。
金井亮 interview #3:“フォロワー数で値段が変わる美容室”立ち上げの裏側>>