エザキヨシタカ interview #2:どんなことがあっても120%の力で相手に接する
2009年、原宿にオープンしたヘアサロン『grico』。常に時代の一歩先を行くおしゃれを提案し続ける技術力と、お客さまを家族のように大切にする経営スタイルで高い人気を誇っています。そんな『grico』を、わずか24歳で立ち上げたのがオーナーのエザキヨシタカさん。業界を代表する美容師としてファッション誌の表紙や、芸能人やモデルのヘアメイクを担当してきました。2012年からは、アパレル業やイベント企画などを開始、幅広い分野で活躍中です。
今回は、そんな美容師という枠を超えて活躍するエザキさんにインタビュー。中編では、サロン勤務時代の思い出や、『grico』をオープンするまでのいきさつについて伺いました。
嫌がらせに耐えたサロン勤務時代
――美容学校卒業後の進路を教えてください。
「卒業後は、大手の美容室で2年ほど働いていました。上京当時は先輩と同居していて、貸してもらった部屋がなんとわずか1畳。風呂もトイレも共同でめちゃくちゃ汚かったですね。また、働いていたサロンでは、飲み会の席でトップスタイリストにお酒を奢らされるなど、ひどい嫌がらせを受けたんです。そんな先輩の言うことを聞きたくなかったので必死に練習し、お客さまをカットできるまでに成長しました」
相手に120%の力で接することを続けて
――サロンを辞めた後は、どのように活動していましたか?
「23歳の時にフリーになりました。集客のために、当時唯一のSNSであったミクシィで、サロンで身につけたスタイルを発信したところ、新規のお客さま100人以上から連絡が来たんです。そこで、アシスタントを2名雇いケータイ電話を9台使って、毎日寝ずに予約のメールに対応しました。そんな日々を過ごすうちに、喉にビー玉があるような感覚がずっと続いたので病院に行くと、『それは精神病です』と言われましたね。ちなみに当時1ヵ月で稼いだ金額は320万円ほどです」
――フリー時代に、周りから受けたアドバイスはありますか?
「周りにいた美容師のオーナーからは、人との関わり方をもっと考えたほうがいいと言われました。フリーの美容師時代は、アパートを2部屋借りて1部屋は自分の部屋、もう1部屋は練習スペースとしてアシスタント用に借りていたんです。その様子を見て“エザキ君は100%の力で相手に対して尽くすけれど、人によっては30%しか返さない人や、マイナス80%で返す人もいる”とアドバイスをもらうことがありました。もちろんうまく付き合えない人もいますが、それでも僕は相手に対して100%の力で接したほうがいいと思ったんです。その気持ちは今も変わっていません。そうした人付き合いを続けていることで、僕の人生はうまくいっていると思っています」
鏡がひとつだけ、看板もない状態からのスタート
――『grico』をオープンするにいたったいきさつを教えてください。
「元々は、今店舗がある場所ではなく原宿のど真ん中でサロンを出さないかという話をもらったんです。好条件だったのでオープンすることを決め、お店のホームページを作り、雑誌社にも広告を出してもらうために声をかけました。すべての準備を整え、リフレッシュするために熱海旅行をし、帰って来たときに “サロンの話はすべてなかったことにしてくれ”と突然メールが届いたんです。頭が真っ白になりましたね。それでも、何もしないわけにはいかないので、元々候補として考えていた今の場所で、隅に鏡をひとつだけ置き、看板の代わりに皆さまからいただいたお花を置いてスタートしました。材料担当のアシスタントの子がオープン当日に不安になり来なかったので、材料も届かず近くのサロンに貸してもらうなど、たくさんの人たちに支えてもらいましたね」
「人と関わる時は、魂と心に語りかける」「スタッフと関わった人が幸せになる」「関わった人は家族なので、家族を大切にする」を企業理念にしていると語ったエザキさん。真っすぐに人と向き合う姿勢が印象的でした。後編では、仕事をするうえで大切にしていることや、今後の目標について伺います。
Profile
エザキヨシタカさん
2009年、原宿に『grico』をオープン。 2012年、アパレルブランド『grico clothing』を開始。 現在では、サロンワーク以外にも、数々のファッション誌、業界誌等の撮影、芸能人、モデル、国内外でのコレクションのヘアメイクを担当。全国各地でのセミナーの講師など多方面で活躍中。
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